作品
予兆の花(承前)
わずかに開けた障子から風が吹き込んできて珠璃の髪を揺らした。
簡素な鏡台の上に手にしていた櫛を置き、障子を閉めようといざり寄る。
……と、隙間から垣間見えた光景に気を変えて障子を開け放つ。珠璃に与えられた離れの庭には桜の老木があり、それが見事に花を咲かせていたのだ。
ちらり、はらりと宵闇に儚く花弁が散る様が美しかった。
獅堂の家に引き取られてきて、早三年が経とうというのにこれまでこのような光景に目を和ませることなどなかった。
あまりに日々は慌しく、殺伐と過ぎてしまったが故に。
悪魔、と呼ばれる存在がある。
それは時に妖怪や神とも呼ばれる、人々の恐れと祈りの対象。昨今では土着のモノに加えて、鎖国を取りやめた影響か異国のモノらも闊歩するようになったが、そういった人ならぬ異形のモノらを総じて悪魔と言う。
その悪魔を屈服させ降し、使い魔として使役する召喚士。日本の闇の歴史を語るには欠かせない召喚士の一派が葛葉一族であり、獅堂家は一族の中でも古参の名門と称される家系であった。
『あった』という過去形なのにはわけがある。
輝かしい日々は既に過去のこと。ここ数十年、獅堂の家からは『御名』と呼ばれる一族創世の頃から継がれる四つの名跡を継ぐ者も現れないどころか、召喚士の力量を持つ者さえ出していないという有様で『名ばかり』というのが相応しい家柄であった。
その獅堂家に数十年ぶりに現れた召喚士候補が珠璃なのである。
が、それほどの霊力を持った者が嫡子ではなく庶子に現れたのはなんという皮肉であったか。
珠璃は獅堂家の先代当主の末娘だ。直系であることには違いないが、先代当主が芸妓に生ませた、本来であれば一族に連なる者として迎え入れられるはずのない存在。実際、召喚士としての片鱗が発露しなければ捨て置かれ、母と同様花柳界に生きる身の上となっていたことだろう。
それほどまでに『名ばかり』と軽んじられ続けることが耐えがたかったに違いない。
十二歳のときに、獅堂家から迎えが来た。
珠璃はさして逡巡することなくそれを受け入れた。
母にはそれが衝撃であり哀しかったようでもあるが、同時にほっとしたことも珠璃は知っていた。
幼い頃から目に見えぬ異形を見、それらと会話する娘。
愛情深い母ではあったが、珠璃の異質さを理解できずそんな自分に苦悩していた。
その苦悩から解き放たれ、娘の異質さを才能として認める場所へ託せることへの安堵を責めるつもりは珠璃にはない。
(母さんは、充分頑張ったのだから……)
これ以上母を苦しめたくなかったからこその、珠璃の決断。
後悔してなどいない。
それから三年。
力の使い方を学び、研鑽してきた。
その結果が明日、試される。
『御名』の一つである『葛葉ライドウ』を継ぐための試練を課せられることになったのだ。
そのことに親子ほど歳のはなれた異母兄……現当主やその妻、年上の甥・姪たちは複雑かつ不服そうな面持ちであったが、数十年ぶりに『御名』を継ぐ者が現れるかもしれないという現実の前には背に腹は換えられないものらしい。
それを思うと可笑しくて、珠璃は小さく笑った。
彼らの態度や吐き出される言葉は、あまりにも人間らしい我欲に満ちていて。
ふと、桜の木を見ていた珠璃に向けられる視線に気付いて顔をそちらに向ける。
雪のように降る花弁、桜の根元に小さな影。艶やかな毛並みの黒猫だ。翡翠のような緑の瞳がじっと珠璃を窺っている。
「……猫?いったいどこから……」
この家に飼い猫はいないし、かつてこの家にいた召喚士たちの使い魔の気配の名残があるせいか、野良猫や野良犬はもとより小鳥さえも寄り付かぬ敷地なのだ。
黒猫はそのまましばし珠璃と視線を合わせると、こちらが身動きする間もなくくるりと踵を返してしまった。
長い尻尾の描いた軌跡を追ったときには、既に姿は消えていた。
幻なのかと思うほどに。
一際強い風が頬を嬲る。
人形のような黒髪が乱れた。
珠璃の胸に落ちるのは一滴の予感。
翡翠の瞳が瞼の裏にちらついた。
明日、珠璃の人生は二度目の岐路を迎えるのだ。
終幕
あとがき
十四代目葛葉ライドウ襲名前夜の出来事。
捏造もいいところですが、そもそも十四代目が女の子という時点でどんな言い訳も利きそうにないので、その辺りは軽くスルーで(笑)。
うちの十四代目は、正式襲名の儀式の折に腰の辺りまである長い髪を切ったという設定です。
- 2012/02/15 (水) 05:54
- ライドウシリーズ