作品
This Love
※主人公女体化注意
これが最後になるかもしれないのだと思うと、無性に寂しく、切なかった。
だからかも知れない。
自分にも彼にも何かの証になるように、あるいは印を付けるように大きな力に飲み込まれて離れようとする身体に、無意識に手を伸ばしていた。
次に目を開けたときにも、彼のことを覚えていると良いと願いながら。
☆
コーヒースタンドの道路に面した座席で、久世響希はカフェオレを一口喉に流し込むと、深々と息を吐き出した。椅子に腰掛け一息ついた途端どっと疲れが押し寄せてきたのだ。
響希はつい数日前高校を卒業して、この春から大学に通う。同時に父親が海外赴任になり、母もそれに着いていくため大学沿線の最寄り駅近くに一人暮らしをする事になった……となれば、用意することはたくさんある。
大学に合格して、住む部屋も決まってから少しずつ準備をしてきだのだけれど、今日は入学式に着るスーツを買いに出た。母は海外生活の準備に追われているので一人で。
(……一人の方がいい。母さんとの買い物ってなんだかんだ長くなってもっと疲れるし……)
行き交う人たちを眺めながら、そんなことを思う。
響希が選んだのはシンプルなパンツスーツだ。色はアッシュグレイでやや光沢がある生地で作られているため、辛うじて地味ではないという印象のもの。合わせるシャツや小物の類は店員の勧めたものから、なるべく柔らかい色合いのものを選んだが、母が同行していたら、もっと華やかでフェミニンなタイプのものを勧められ一悶着あっただろう。下手をしたら押し切られていたかもしれない。
そう、いかにも『女の子』な生地や色使い。春らしいワンピースとかシフォンのフレアスカートとか。
そういうのはあまり得意ではないのだ。
正直に言ってしまえば苦手、と言うか困惑する。
何故ならば……響希の『女子歴』は浅い。一年にも満たないのだから。
そうは言っても久世響希の性別は母の腹に宿ったときから変わっていない。そのように……その部分だけ書き換えられていた、あの日から。
あの日。
模擬試験会場近くの地下鉄の駅で、維緒と会ったあの日を境に『女子』として生きることになったのだ。
女の子として生まれ育った記憶はあるし、アルバムなどに残された思い出もそれを裏付けている。
でも。
維緒と仲良くなったきっかけであるあの日以前、響希の性別は間違いなく男であったのだ。
当日にあったのはささやかな、けれども無視できない違和感。自宅で入浴中に鏡に映る自分の裸体を見た瞬間、違和感は最高潮に達し雷に打たれたように全てを思い出した。
世界は一度滅亡の危機に瀕し、それを仲間たちとともに退けたこと。濃密だった八日間にわたる出来事。ポラリスに願って、世界を復元した。
決して夢や妄想などではない。
しかし、その記憶を持っているのは響希だけだった。
あの八日間を共に駆け抜けた大地や維緒に、積み重ねた時間の痕跡は見受けられても、記憶はない。思い出す気配もない。
(……それは別にいいんだ。予め示唆されていたことだし、覚えている俺の方が普通じゃないんだろう)
少し寂しいけれど、そう思える。
思えるのだが……復元されたはずの世界で、自分だけは元の性別とは違えていた。誰もそれに疑問を感じないようだから、時間も遡ってそのように書き換えられたのだろうと察することは出来る。
自分自身にも思い出があるが、それは記憶と言うよりも記録を第三者視点で見ているような気しかしない。復元される以前の男として生きてきた本当の思い出と複雑に共存し、様々な場面で響希を困惑させる。
生活に支障があるほどではない。
もともと順応力がある方なので、切り替えはそこそこ上手くできていると思う。
外出時に女性専用のフロアやスペースに行くときには気疲れするし、月に一度の生理のときには戸惑いが拭えないが、誰かに気取られるようなことは今では全くなくなっている。制服以外はパンツスタイルで過ごすことが多くなったように他の人からは感じるだろうけれど、母が少し不満そうにしているくらいの些細な変化だ。
口調は性差があまり表に出ないタイプだったから、人前では自身の呼称さえ気をつければいい。
男である名残は記憶と思考しかなく、おそらく上手く折り合いをつけながらやっていけるとも思う。
問題があるとすればそれは。
(女としてノーマルな恋愛が出来るかどうか、だよな)
好きな男と結ばれる……そもそも男を好きになれるのか。
その疑問が頭を掠めるとき、復元されたはずの世界で、なぜ自分だけが性別を書き換えられたのか……心当たりのようなものが浮かぶ。
(……あの瞬間、もしも自分が女だったらって少し思った)
その原因である一人の男の顔を思い出す。
あの災厄の中で出会った一つ年下の傲岸不遜な彼。でも響希の言葉には耳を傾けてくれたし、特別に扱ってくれもした。
考え方の相違から一度は袂を分かつことになったが、響希の願いを聞き入れ、共に戦ってくれた彼。
「……ヤマト」
世界の復元によって出会った事実さえなかったことになった彼の名がぽつりと唇を突いて出る。
峰津院大和……彼は今もこの国を歴史の陰から守り続ける一族の長として辣腕を振るっているだろうか。
使命に縛られ、人生を捧げているのだろうか。
未来への決断を強いられたとき、ヤマトの掲げる理想に心揺れなかったわけではない。使命と言えば聞こえはいいが、自己を殺し、国のために人生を搾取され続ける彼をその頸木から解き放ちたいという気持ちもあったのだ。
でも響希にはヤマトだけを選ぶことがどうしてもできなかった。
これまで出会った、他の誰よりも心惹かれた相手であっても。
そう、惹かれていた。
選択肢に葛藤したのも、彼を自由にしたいと思ったのも全てはそこに起因している。
(……禿げるかと思うくらい迷ったけど、俺はあの理不尽な災厄をどうしても許せなかったから)
たとえ神と呼ばれる存在であっても、何者かの意図の元に一方的に滅びの対象にされるなんて冗談じゃない。 世界を変えるチャンスだなどとは到底思えなくて……ただ日常を取り戻したかった。
その気持ちを精一杯ぶつけた結果、ヤマトは苛烈な理想を鞘に納め、折れてくれたのだ。
(だから俺はせめて復元される世界がヤマトに少しでも優しいことを願った)
時間が巻き戻されたわけではない。
あの八日間の積み重ねの上に、バックアップされていたデータを上書きするみたいにして復元されただけ。
『なかったことになった』のと『なにもなかった』のは違う。『あったこと』が前提の世界だから、記憶になくてもなにがしかの変化はあるはずだ。大地がちゃんと未来を見据えるようになったように。維緒が少し積極的になったように。
(……俺が女になったのだって)
経過があってこその結果だ。
だから表面上は以前と変わらずに復元されたように見えても、ささやかな変化はある。それが滅びとは違う未来を手繰り寄せる力になると信じてる。
(そんな変化がどれだけ小さくてもいい、ヤマトにも起きてて欲しい。あいつが背負っているものが少しでも軽くなるようなそんな変化が)
響希は別れ際、ポラリスの力で世界が復元されていく不思議な空間での出来事を思い出す。
人間を見限れば、再び敵として立つだろうと笑った不敵な顔。
他の仲間たちとは笑って別れることが出来たのに、ヤマトに対してだけは寂しさが上回った。ここで別れたら二度と会えないかもしれないと思うと、後ろ髪引かれて別れ難く切なさが募る。
恋だと気付いたときが、別れのときだった。
そう思ったら自然と身体が動いたのだ。
ヤマトの肩にそっと手を乗せ、顔を寄せてすべすべした頬に唇を触れさせた。たった八日間の間に育った想いを吐息に紛らせ耳元に囁いて……そこでタイムアップ。目を見開いたヤマトの姿が遠退いていく姿を見つめながら、去来した気持ち。
この想いにもっと早く気付けば良かった。
気付いたからと言って、選ぶ道は変わらないだろうけれど、それが失われる瞬間に気付いたのでは、あまりに儚い。
もっと彼を知りたかった。
ヤマトの傍にいたかった。
もし、叶うならもう一度会いたい、そしてその時に誰憚ることなくヤマトに添える存在であれたら……と、そんなことを考えた。
そうして気付いたら地下鉄のホームにいて、響希の性別は誕生時から書き換えられて現在に至る。
確かに同性のままであれば、誰憚ることなく……とは言えない。ヤマトを想う気持ちに恥じることはなくても、それが現実だ。
なので納得できなくはないのだけれど、なぜそんなバグのような上書きが行われたのか……明確な理由はわからない。だが、ポラリスに意思を示した者の思考がある程度反映されるというなら、あの瞬間の後悔にも似た強い想いがそうさせたのかも知れない。
「だからってヤマトに再会できなきゃあんまり意味のない変化だよ」
手の中でマグカップをいじりながら文句を言う。
(万が一再会できても、覚えてないだろうし。覚えてたとしても、どうやって説明するよ、この現状を。だいたい最後が男だった俺に頬とはいえキスされて、告白までされたんだぞ……ヤマトの中では黒歴史の可能性のが高いじゃないか)
あのとき衝動的に行動してしまった己に、何度目かの自己嫌悪を感じていると、携帯にメール着信を告げる着信音が鳴って我に返った。
知らないアドレスだ。
迷惑メールかと思ったのは一瞬のこと。
響希は表示された件名に釘付けになった。慌てて本文を開く。本文の内容はいたって簡潔で。
件名には送信者の名前、本文はここに来い、もしくはここにいるという指定場所だろう名称のみ。
(まさか……まさか……)
どうして、とか。
そんなバカな、とか。
困惑と混乱にぐるぐるするけれど、悪戯なんかじゃないことは確かだ。
峰津院大和の名前で悪戯なんてあり得ない。
逸る気持ちのままに、響希はコーヒースタンドを出ると一目散に駆けだした。
☆
メール本文にあった指定場所……4月から響希が通うことになっている大学の正門前にヤマトはいた。
駆け寄る響希に気付いた彼は、思わず足を止めてしまうほど優しく微笑んだのである。
大学も春休みに入っているため、平日の昼過ぎに学生はいなかったが、常駐している警備員の目を気にしてか ヤマトに促されるがまま場所を移動して。
人気のない並木道を並んで歩く。
聞きたいことは山ほどあるし、言いたいこともある……なのに上手く言葉を見つけられなくてもどかしい。
ヤマトの方も何も言わない。
無言が気まずくて、でも気になって、響希は隣を歩く男にチラチラと視線を向けた。
「……あ」
「どうした?」
「……ヤマト、ジプスの制服じゃないんだな」
彼はVネックのカットソーの上にジャケットを羽織り、細身のカーゴパンツを穿いていた。裾から覗く靴はワークブーツだろうか。色味は全体的にモノトーンだが、この年頃の青年としては珍しくない格好で、有り体に言えば一般人っぽい服装なのだ。
響希はジプスの長官としての装いをしたヤマトしか見たことがない。ヤマト=黒のロングジャケットのイメージがあるせいか不思議な感じがする。
響希の言葉に、ヤマトはおかしそうに喉を鳴らした。
「あの格好では目立つことこの上ないからな。似合わないか?」
「ううん……見慣れないせいか不思議な感じがするけど、カッコいいよ」
端正、という言葉が似合う顔立ちに、スタイルも恵まれているヤマトは大抵の服を着こなすことが出来るだろう。どうしても『普通』とは違う何かが滲み出ているので、系統は選んでしまうかも知れないが。
今日の装いはシックな感じなので、ヤマトの上品な雰囲気とも相まって改めて見てみると見とれそうになる。
「……そうか」
ふっと目を眇めて笑ったのに、響希の賞賛に悪い気がしていないことが伺えた。
ヤマトの方もこちらをじっと見下ろしている。
以前はこんな風に見下ろされることなんてなかったように思うのに。
「ヤマト?」
「本当に女になっていたのだな」
しみじみとした言葉に、ハッとした。
復元前の世界では、ヤマトの方が背は高かったけれど目線の位置が少し違うというくらいだった。
今は、響希が真っ直ぐにヤマトの顔を見ると顎が見えるあたり。女になったことで身長も相応になった。顔の造作や髪型は変わっていなくても、骨格や肉付きは女のそれだ。わざわざスカートを穿くまでもなく一目瞭然。
彼にに復元以前の記憶があるなら違和感どころの話ではないだろう。
「…………ヤマト、覚えているのか?」
言い倦ねて、ようやく出てきたのがそれ。
「ああ、もちろん。でなければおまえとこうして会うこともなかったろう?」
「そう、だね」
「実際は覚えていたと言うよりは時間はかかりつつも思い出した、といった方が正しいがな」
「……そっか」
響希のように、即日思い出したというわけではないらしい。
(俺の場合は目に見えてわかるような明らかな変化があって、それが引き金になったんだけど)
最初から覚えていたわけでないと言うなら、ヤマトにも何か引き金になるきっかけがあったのだろうか。
「携帯のアドレスとかよくわかったね」
「名前さえわかれば簡単に調べられるさ」
「職権乱用って奴?」
流石は国家権力の一端である組織の長、というところか。
「国のために身を粉にして働いているんだ。少しくらいの恩恵は許されてしかるべきだろう」
軽口の応酬。
ニヤリと笑った顔が悪そうで、なのに色気を感じてドキドキしてしまった。
「マコトさんや史は元気?あと乙女さんも」
「ああ、迫は以前と変わらず私の直属の部下だ。管野や柳谷とはたまにしか顔を合わせないが、相変わらずだな」
幼なじみの大地や同級生の維緒はともかく、二度と会えないかも知れないと思っていた人たちの消息が知れるのは純粋に嬉しい。
「三人に記憶はあるの?」
「いや……思い出したのは私だけのようだ。おまえや志島たち以外の情報も集めたがあの八日間の記憶を保持しているのは私たち二人だけらしい」
「……俺たちの方が普通じゃないのかもね」
「かもな。だが、覚えているのが私だけでは不服か?」
拗ねたようなからかうような物言いに響希は首を振って否定する。
ヤマトが覚えていてくれたのが一番嬉しいに決まっている。口に出しては言わないけれど。
「おまえのことを思いだしてすぐに調べさせたが、さすがの私もかなり驚いた」
響希の性別のことだろう。
ヤマトは言葉を続ける。
「あの八日間……おまえは確かに男だった。だが復元された世界でもたらされた調査報告書には女性とある。報告書におまえが性転換した記載はなく、生まれたときから女性であったことが証明されていた。つまりは、そのように書き換えられたわけだが……」
前触れもなく肩を抱き寄せられ、囁きが耳に落ちた。
「私のためだと自惚れてもいいか、響希」
ドクン、心臓が一際大きく脈打った。
再会して初めて名前を呼ばれた。
「…………っ」
唇が耳朶を挟み、そのまま頬に滑る。ちゅ、というリップノイズにヤマトが触れたところから熱が広がる。
「別れ際に君がくれた言葉とくちづけを私は覚えている」
凛と揺るぎない声が甘さを滲ませて、響希は鼓膜を灼かれるかと思った。
(……は、恥ずかしさで人は死ねるかも知れないっ)
ヤマトの言ったことは概ね正しい……とは思うが、素直に肯定もできず、否定することもできない。
耳や首筋まで真っ赤になった反応でばれているかも知れないのだけれど。
ぎゅう、と目を瞑った響希の耳にヤマトの思いの外真摯な声が届く。
「長かった……思い出すまでも、君の前にこうして立つまでも。本当に長かった。特に後者はプライベートなどと言う物がほとんどない己の立場を呪いもしたさ」
「…………ヤマト」
おそるおそる目を開けて彼の方に視線を向けると、そこにあったのは熱っぽく響希を希求する眼差し。
吸い込まれそうだ。
「復元された世界で、そうとは知らない私は常に空虚をを感じていた。何かが足りないとそう思っていた。何かが足りないことはわかっているのに、なにが足りないのかわからないことがひたすらにもどかしかった」
「……」
「今思えば、おまえという存在が足りなかったのだな。私はおまえと出会って、初めて対等に心預けられる存在を知り、満たされるということを知ってしまったから」
足りないモノのことを常に考え、苛立ち……それが呼び水となったのか。それほどの執着だったのか、身体に、心に刻まれていた記憶は、神による上書きを次第に凌駕するようになった。
「初めは、夢という形で。その内に覚醒時にも幻視をするようになり、時間をかけて私はそれらの出来事が妄想の産物ではなく現実だと認めた。おまえの存在が、認めさせたんだ、響希。おまえの名を思い出し、実在を知り……沸き上がった歓喜は言葉になど出来ないし、生涯忘れられない」
ヤマトが響希の手を取り、その甲にそっと唇を押しつけた。高潔な騎士が姫君にそうするように。
彼が思い出すきっかけとなったのが響希の不在故というのなら、響希こそこんなに嬉しいことはない。じわじわと広がっていく喜びは、言葉で表すには収まらないほどだ。
「思い出してからはどうやって響希と接点を持とうかと考えた。おまえが覚えているかもわからなかったし、策を思いつきはしたものの忙しくて時間をあけることがなかなか出来なかったんだ」
もっとも、とそこでヤマトは少し悪戯っぽい口調になって微笑んだ。
「世間一般ではおまえは受験生というやつだったから、それで良かったのかもしれないが。俗世に疎い身ではつい最近になってそれに思い至った」
その台詞に響希も唇を綻ばせる。
「メールを送ってみて反応があるようならそれで良し、ないなら別の策を考えるつもりだった。覚えているなら、おまえは必ず反応してくれると思っていたから」
「……ヤマトの自信家」
悪態は照れ隠し。
響希はヤマトの肩に額を押しつける。するとそれが当然であるかのように背中に回った腕が甘く拘束してきた。
その強さが少し痛いけど心地良い。
「あのときは返事をする暇もなかったが……私もおまえが好きだ、響希」
後頭部を押し上げるようにして仰のかされ、屈みこんだ美貌が視界いっぱいに広がる。唇に少しかさついた熱。
条件反射のように目を閉じると、軽く吸われた。
そして二・三度啄むようにして離れていった温もりが愛おしくて、目を閉じたまま温かい腕の中に身体を預ける。
「……俺が男のままでもそう言ってくれた?」
「もちろん。君という存在が重要なのであって、心あるいは魂の宿る器の性別は関係ない。ただ女である方が、少しばかり私に都合がいいと言うだけだ」
「え?」
「おまえが女なら、正式な婚姻が結べる。それに私の子を産んでももらえるからな」
「なっ!」
いきなり話が飛躍しすぎだと思ったのは響希だけで、ヤマトは大真面目だった。
「おまえが男のままだと、私は心ならずも血を残すためだけに、女と寝所を共にしなくてはならない。科学や医学が発展した世の中であっても、霊力の継承は自然な受胎でなければ成されないことがすでに実証されているからな」
子供を作るだけなら人工授精などでも可能だが、連綿と受け継がれてきた峰津院家の血筋に宿る霊力は、人工的な手段を介した子供には表れないのだとヤマトは言う。
表れるとしても一般人よりちょっと霊力が高いというレベルに止まり、竜脈を御し、各地に封印された強力な悪魔たちを管理するなど到底出来ない。
峰津院家にとって婚姻とはあくまでも強い霊力を宿し続ける血を残すためだけのもの。そこに心は存在しないのだ。
「それが義務だからいざとなればやれる。だがきっとおまえという存在を知った今は、あまりいい気持ちはしないのだろうな」
言いながら、ヤマトの手のひらが宝物のように響希の頬を何度も撫でる。
「だからおまえが女になったことは、私には都合が良かった。おまえ以外を抱かなくてすむと、そう思ったんだ」
「……」
「気に障ったか?」
「複雑ではあるかな。でもヤマトが男だった俺を否定してるわけじゃない、性別はほんとに関係なくて俺自身を大事にしてくれてるってのは何となくわかる」
ヤマトは正直だ。
語らないことはあっても、嘘はつかない。
「それだけわかっていてくれれば十分だ。響希、私はひょっとしたら、好いた相手との間に後継者を残す初めての当主になれるかもしれない。おまえとの間に産まれた子は、これまでとは異なる在り方をする当主になるかもしれない」
「それって……」
「峰津院の後継者は義務と打算の間にしか産まれてこなかった。私自身も例外ではない。前当主だった父の顔はともかく、母の顔は全く覚えていないのだから。名前さえも知らない。峰津院ではそれが普通だ。両親の愛情の下に望まれて生まれた者など一人もいなかった」
でも、とヤマトは続ける。
「もし君が私の子供を産んでくれるなら、生まれたその子を私はきっと愛おしく思う。うまくやれるかわからないが私は精子の提供者ではなく『父親』になる努力を惜しまないだろう」
愛情を注がれて育った者が当主になれば、確かに峰津院の常識からすれば異端の当主になるのかもしれない。
ヤマトの言いたいことがわかった。
(ああ……やっぱりヤマトもあの八日間で少し変わったんだ。出会ったばかりの頃のヤマトなら、絶対そんなこと言わなかった)
人間を見限れば敵に回る、その言葉に嘘はないのだろう。
彼の理想の芯の部分は今も変わってはいない。
だけど。
ポラリスとの決戦で響希たちが見せた『可能性の未来』に賭けてくれようとしているのだ。
愛情を知る峰津院家の当主、という形で。
「私はその未来が見てみたい。だから、私の子は君に産んでもらわなければ……決定事項だぞ?」
楽しげに笑うヤマトは狡いと思う。
頷く以外の選択肢が見あたらない。
思えば出会った頃から、そうだった。ヤマトの提案とも言えない提案は、たいてい決定事項で覆すことは出来ないものだった。
唯一覆したのは、実力主義の未来のみ。
響希は微笑む。
「わかった、任せろ!」
「おまえならそう言ってくれると思った」
額をこつりと合わせて見つめ合い、響希は少し背伸びした。どちらからともなく結びついた唇。
(……ひょっとしたら、俺が女になったのも俺自身の願いが原因の一つかもしれないけれど、ポラリスが人間の可能性に賭けてみたいと思った結果なのかもしれないな)
惹かれ合っていた響希とヤマトが、上書きされた記憶を押し退けて記憶を取り戻し、もし結ばれて未来を繋げたなら……そんなことを万能の監視者は考えたのかもしれない。
そうだとしてもそれは想像の範疇を出ないこと。
今、響希は女として存在し、ヤマトと共に生きていくのだと決めたのだからほかのことはどうでもいい。
埒もないことを考えるより、機会をもらったと思おう。
人類の未来などと言う大仰なモノのためではなく。
使命に縛られ、人生を捧げる……そんな世界に生きるヤマトのささやかな幸せになれるように。
「……ヤマト。俺、ヤマトが好きだよ」
「ああ」
始まりの言葉。
誓いの言葉。
頷くヤマトの顔は満ち足りていた。
彼のそんな表情が嬉しくて。
改めて告げた響希は、恋人となった男の唇に、自らの それを心を込めて押しつけたのだった。
END
- 2013/08/02 (金) 06:02
- デビサバ2