庭球小説

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Black

 忘れられないキス。
 印象深い味。
 最近ふとした瞬間に蘇えって、リョーマは唇に手を伸ばす。
 そうするともうどうにも堪らなくなってしまうのだ。

 夕飯を食べ終わって自室でゲーム雑誌を捲っていたリョーマは、喉の渇きに似た感覚を覚えて膝の上の雑誌を放り投げた。
 喉が渇いたわけじゃない。
 ただこの感覚を言葉で表すなら、『喉が乾いた』というのが一番近い。
 それを癒すには、今この場には足りないものがあって……
 だから、代用品で我慢するしかないのだ。
 溜息を一つ。
 立ち上がって、階下に下りる。
「あら、リョーマさんどうしたの?」
 洗物をしていた従姉に声をかけられた。
「ん。喉渇いたんだ」
「そう?ファンタだったら冷蔵庫に入ってるわよ」
「違う。コーヒー、飲もうと思って」
「あら、珍しい」
 ファンタでなければ、ココアが定番のリョーマには珍しいことだと、彼女は笑った。
 宗旨変えしたわけでは、もちろんない。
 渇きを癒すための代用品。
 それが、コーヒーなのだから。
 戸棚からマグカップを取り出して、インスタントコーヒーの粉末を自分の好みより少し多めに入れる。
 お湯を注いで。
 ブラックのまま一口だけ口に含んだ。
(…………やっぱり、ニガイ……)
 でも、これが求めていたもの。
 この一口だけが。
 それからリョーマは、多めに砂糖とミルクを入れて部屋に戻る。
 床に座り込み、マグカップから昇る湯気を見ながら思うことは。
(……部長、会いたいな……)
 恋しい人のことだけ。
 最近の手塚は、部長の職務はもちろん生徒会との両立も忙しくて、会うことさえもままならないのだ。
 我儘を言いたくない、自分にそんな殊勝な一面があったなんて……手塚と出会うまで想像したこともなかった。
 寂しい気持ち。
 自分の中でいっぱいいっぱいに我慢しているリョーマがふとした瞬間に思い出すのは、彼と初めてキスしたときのこと。
 初めての定期テストの勉強を見て入れるといった手塚。
 彼の部屋に招かれて。
 リョーマにしては真面目に勉強に取り組んだ。
これだって嫌われたくない、誉めてもらいたい気持ちの一心だったのだから、我ながら可愛いものだと思ってしまう。
 初めてのキスは、その休憩中。
リョーマには甘く入れたカフェオレ(あいにくと手塚の家にはファンタもココアもなかったのだ)、手塚はブラックコーヒーを飲んでいて。
 コーヒーをブラックでなんて、成長期の身体に悪いとか言いそうなのにとあげつらうと、試験勉強のときだけ眠気覚ましに飲むのだといつもの難しい表情のまま彼は言った。
 そうして落ちた沈黙。
 テーブル越しに触れてきた、唇の感触。
 探るように少しだけ深く交わしたキスは、リョーマの脳裏に焼き付いた。
 舌に残った、ブラックコーヒーの味と一緒に。
 生まれて初めてのキス。
 生まれて初めての、苦くて甘い、味。
 それ以来。
 手塚に会いたくて、会えなくて、堪らなくなったときにはいつも。
 一口だけのブラックコーヒーは、寂しい気持ちを満たすための代用品になったのだ。
 手塚本人には到底及ばないけれど。
ほんの少しだけ慰められて、また我慢することができるようになるから。
「俺ってけっこう健気っだったんだなぁ……ほんと、まだまだだよね」
 だけどしょうがない。
 本当に、大好きで大好きで仕方ない人。
 会えなくったって、日に日に気持ちは育っていくばかりなのだから。
 そう思ってカップに唇をつけようとしたのだが……
「リョーマさーん、手塚くんから電話よー。」
 階下から、従姉の呼ぶ声。
 とくんと脈打つ、心臓の音。
 カップを机の上に置いて、慌てて駆け下りた。
 苦笑する奈々子から受け取った受話器の向こうから、聞こえてくる声に全神経を傾ける。
 とつとつと交わされる他愛ない会話。
 会いたい気持ちは自分だけじゃなかったのが伝わってくるから。
(……やっぱり、本物が一番だよね……)
 大好きな声を聞きながら、机の上で冷めているだろうコーヒーを思い、リョーマは小さく微笑んだ。

                                   END

  • 2011/05/31 (火) 14:46

タグ:[短編]

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