作品
美味しいの基準
近頃気付いたことがある。
目の前で、ケーキをご満悦の態でぱくつく恋人を眺めながら、その気付いた事実を手塚は更に実感していた。
勝気で生意気が身上の年下の恋人。
越前リョーマが、幸せこの上ない表情で食べているのは、手塚にしてみれば胸焼けしそうなほど生クリームでデコレーションされたケーキ……しかもホールまるごと、である。
リョーマは甘いものが大好きだ。
手塚も嫌いというわけではなく、人並みには食べるほうだと思うが、それでも目の前にでんと置かれたそれをホールで食べようなんていう気はさらさらおきない。
よく女性が、『甘いものは別腹』という言葉を使うが、恋人にもそれは適用されるだろう。
別腹、というよりはすでに胃袋がブラック・ホール現象を起こしているのかもしれないが。
リョーマの幸せそうな顔は愛しいけれど、それでもやっぱり見ているだけで充分胸焼けする光景には違いなくて。
じっと見つめる視線に気付いたのか、リョーマはフォークを往復させる手を止めて、にっこりと微笑んだ。
「美味しいっスよ。先輩も、食べる?」
「いや……遠慮する。それはお前の褒美なんだから、心ゆくまで味わえ」
見ているだけでも胸焼けしそうなのに、とは心の内でのみ呟き、リョーマの申し出を謹んで辞退する。
「そう?」
ちょっと残念そうな表情を浮かべたものの、恋人は食べることに専念しなおした。
『ケーキをね、一つまるごと食べてみたい』
定期テスト、苦手な文型科目で、手塚が提示した点数をすべてクリアしたなら、ご褒美をくれ……と強請る恋人に頷いた。
結果リョーマは見事にクリアして、希望のご褒美を得たのである。
彼が遊びに来る日に合わせて、近所でも美味しいと評判の店でスタンダードな生クリームと苺のショートケーキをホールで買い求めたのだ。
箱から出してやったときには、それこそ滅多に見せない……純粋な喜びで大きな目をきらきらさせているのに、手塚も微笑ましく思った。
あたたかく、どこかくすぐったい気持ち。
生まれて初めて味わう感情に、いまだに戸惑ったりするけれど。
リョーマがもたらしてくれるものなのだと思うと、それだけで嬉しく、幸せだと思える。
そうして、最近気付いたこと。
今、リョーマが目の前にいて。
美味しそうにケーキを食べているのを見ながら、自分はコーヒーを啜っている。
確かにちょっと胸がむかむかする光景ではあるのだけれど。
それでもやっぱり幸せで。
いつもと同じ、コーヒーなのに、いつもより美味しく感じる自分がいたりするのだ。
恋人同士になって、時々二人で食事やお茶をする機会が増えた。
そんなとき。
リョーマとこんな風になる……いや、リョーマと出会うまでの日々は実は物足りなかったり、味気なかったりしていたのかもしれない……なんて。
ふとした瞬間に、それを実感する。
実感して、ほっこり心が温かくなる。
思わず微笑というか苦笑を誘ってしまうほど、真剣にケーキを平らげる恋人の顔。
見れば、ケーキは半分以上すでに彼の胃袋に収まっているらしく。
なのにペースは一向に衰えることはない。
その口元に。
「……越前」
「なんスか?」
きょとんとした表情が愛らしく、沸き上がる悪戯心。
テーブルに手を付いて、身を乗り出し……唇の端に付いた生クリームとスポンジの欠片を舌を僅かに伸ばして掬い取った。
「っっっ」
予想通り、リョーマはフォークを持ったまま頬を紅くして、硬直する。
「味見だ……俺には、少し甘すぎるが……」
甘すぎるけれど、悪くない。
むしろ美味かった。
小さく笑えば、勝気な恋人は我に返り、きっとこちらを睨み上げると……そっぽを向いて再び、フォークを動かし始める。
それを眺めながら……
(お前がいるから、美味しく感じる……すっかりそれが基準になってしまったみたいだな)
リョーマの存在によって、変わっていく部分が、確かにあって。
ならば、責任は取ってもらわなければ、割に合わないと。
「越前」
「…………」
まだ拗ねている可愛い恋人に向かって。
「覚悟しておけよ?」
口元に、いささか人の悪い笑みを刷き、一方的な宣戦布告を突き付けた。
END
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