作品
未来計画
「お腹空いた」
部活のない休日。
約束どおり越前家を訪れた手塚は、恋人のそんな第一声に迎えられた。
普通は『いらっしゃい』だろう、と眉間に皺を刻んだだが、そんなものを気にする彼ではない。
何しろ手塚の恋人は、見かけは小柄で華奢な美少女風であるにもかかわせず、勝気で生意気……小さな台風そのものなのだから。
「ねぇ、お腹空いたよ」
手塚の腕を取り、リョーマが強請る。
「ご家族はどうした?」
玄関先で脱力しながら問えば、彼は紙切れを突き出してきた。
「さっき起きたら、誰もいなかった」
紙切れにはリョーマへの伝言がしたためられていた。
両親は食料品などの買出しへ、従姉はサークル仲間と遊びにいく旨が書かれており、食事は金を置いていくのでコンビニなどで適当に買うようにと、締め括られている。
「さっさと着替えて来い。金を置いていってくれてるなら、外に買いにいこう」
脱ぎかけた靴を、また履きなおして促す。
そう、リョーマはいまだパジャマだったのである。
そんなことは珍しくも何ともない。
改めさせたいと思いつつも、すでに諦めが入ってる辺り、すっかり彼に毒されている。
「やだ」
「やだって、おまえな……」
「だって、めんどくさいし。あんたが作ってよ。前に料理できるって言ってたじゃん」
確かに言った。
釣りが趣味だから魚は一通り捌けるし、山に登るのも好きでキャンプなどでは率先して食事を作ったりもする。
だがしかし、キッチンに立って料理をすることは滅多にないのだ。
顔を顰めて、恋人を見下ろすが、彼がそんなことで引くような性格でないのは手塚が一番よくわかっている。
今も手塚をじっと見上げて……
「ねぇ、作ってよ。あんたが作った料理食べてみたい」
上目遣いは確信犯か?
リョーマは甘え方というものをとてもよく心得ているとしか思えない。
子ども扱いは嫌がるくせに、こういう風に甘えてくるのだから強かだ。
「ねぇ」
「…………わかった」
「やった♪」
厳禁な態度に手塚は溜息をついた。
本当に毒されている。
リョーマに出会う以前。
手塚にも理想のタイプというものがあった。
明るくて真面目で、芯の強い女性。
いわゆる『大和撫子』タイプが好みだったはずなのに。
少なくともリョーマは大和撫子からは程遠いだろう。
なのに、もう自分にはリョーマしか考えられない。
勝気で生意気な態度を可愛いと思い。
時に我儘な甘え方を愛しいと思う。
全くもって、手塚はリョーマに毒されていた。
恋人に導かれ、連れて来られたのは越前家のキッチン。
とりあえず冷蔵庫を開けてはみたが、目ぼしい食料はない。
買出しに出たと言うのだから、ある意味当然。
リョーマはと言えば、他人の家のキッチンで食材を探す手塚を横目に、ココアを美味そうに飲んでいる。
もちろん、このココアも手塚が淹れてやったものだ。
なんだって、こんなことを……と思いながら、一旦引き受けたことは生真面目な手塚のこと、手を抜く気配は微塵もない。
そうして見つけたのは、卵と、牛乳、ハム、チーズ、食パン、ジャガイモときゅうり。
どう見ても、リョーマ好みの和風な食事は用意してやれそうにないが、しかたない。
「先に言っとくが和食は無理そうだぞ」
「ま、仕方ないね。冷蔵庫の中は俺も見たもん。とりあえず、あんたが作ったものが食べたいだけだから、いーよ」
その台詞は果たして喜ぶべきか、どうなのか。
実に微妙なラインだ。
肩を竦めて献立を考える。
この材料でできそうなもの……数秒迷った挙げ句、手塚はおもむろにボールへと手を伸ばした。
約20分後。
「へー、やるじゃん」
「別に誉めるほど手の込んだものじゃない」
テーブルに並んだのは、クロックムッシュもどきと、ポテトサラダ、缶詰のコーンスープを温めたもの……それからホットミルク。
確かに手は込んでいないが、立派なブランチである。
それらを片付けながら手際よく作った手塚は、自分にはコーヒーを用意してリョーマの向かいへと腰を落ち着けた。
「んー、でもすごいよ。予想以上。あとは、味だけど……とりあえず、いただきます」
「あぁ」
いろいろ引っかかる言葉もあるけれど、その度に気にしていてはこの恋人と恋愛関係なんてやってられない。
いただきます、と言っただけましだろう。
「おいしーよ」
もぐもぐと食べながら、機嫌よさそうに言う。
「そうか」
「うん。これなら安心だね」
「安心?何がだ?」
「将来の話」
「?」
リョーマの台詞はときどき脈絡がなくて困る。
本人の中では筋が通っているのだろうが、恋人だからって手塚にはその辺の回路がさっぱり分からないのだ。
「だから、俺は料理覚える気はちっともないんだけど、あんたが料理できるなら安心ってこと」
「ますますわからん」
「もぉ、にっぷいなぁ。あんた俺と別れる気とか、浮気する気とかある?あ、言っとくけど浮気なんてしたら二度とテニスできない身体にしてやるからね」
零れそうに大きな瞳、強気の眼差しはあからさまに本気だ。
手塚は肩を竦めて見せる。
「別れる気はもちろん浮気する気などさらさらないが、それと俺が料理ができるのと何の関係があるんだ」
「関係?あるに決まってんでしょ。将来結婚したとき、どっちもが料理できないんじゃ外食ばっかになっちゃうもん。そんなの味気なくって俺やだから」
当然でしょ、と言いたげに胸を張る仕種に手塚はささやかな喜びと、多大なる脱力感を噛み締める羽目になる。
喜び、というのはリョーマが将来的な視野で自分との関係を見てくれていたこと。
脱力感、というのはいうに及ばず結婚云々に関してのことだ。
「何、俺と結婚したくないの?俺の身体にあんなことやそんなことこれでもかってくらい教え込んだくせに、責任取んない気っ?」
毛を逆立てた猫みたいな勢いで、テーブル越しにリョーマが詰め寄ってくる。
「責任は取る……が、結婚は無理だ……」
脱力しすぎた声音は、どこか途方に暮れてしまっていた。
「なんでっっ」
「アメリカでは同性同士の婚姻を認めている州もあるかも知れんが、日本の法律では同性の結婚は認められていない。だから、結婚は無理だ」
帰国子女のリョーマには、一度日本の常識とやらをきっちり説明してやらなければ……と心に決めながら言うと、彼はきょとんとした顔になった。
「そうなの?」
「そうだ」
「なーんだ」
つまんないの、と唇を尖らせるのが、堪らなく愛しいと思えるのはやっぱり毒されているからだろうか。
「結婚は無理だが、同棲では駄目か?」
「どーせいって何?」
「英語では確か……cohabitation?だったか。ようは紙切れ一枚にサインするかしないかってことだろう。気持ち一つあればどちらでも変わらんと思うんだがな」
どうだ?
眼差しで問い掛けて、顔を覗き込めば、リョーマの頬は見る見る薔薇色に染まっていく。
「一緒にいられるなら、俺もどっちでもいいけどさ」
などとかわいらしいことを口にしたかと思えば。
「戸籍上はともかく、プロポーズと指輪は絶対もらうよ。なんとなくいつのまにか、なんてのは死んでもいやだからね。あと、料理の腕は磨いといて」
「……だから、そこにどうして俺の料理の腕がかかわってくる……」
「さっき言ったでしょ。俺は料理を覚える気はさらさらないよ。人の話はちゃんと聞いてよね。まぁ、掃除と洗濯と後片付けは分担してもいいけど」
「…………」
「俺を『奥さん』にできるんだから、それくらい当然だよ?ね、未来の『旦那さま』v」
悪知恵を誰かに吹き込まれたのか、それとも生来の甘え上手な我儘なのか。
勝気に笑って、返答を迫る恋人に手塚は溜息とともに求める答えをくれてやる。
すなわち、是と。
「約束、破んないでよね……あんたがそんなことするわけないけど」
「一度口に出したことを反故にしたりしない」
いささか疲れた口調でそう言った手塚に、リョーマは満足そうに微笑んで、テーブルの上にずいっと身を乗り出し、ちゅっと唇を合わせてきた。
「……おい」
テーブルの上に膝を乗り上げてのキスに、行儀が悪いと窘める。
「ご馳走様のキス。固いこと言わないでよ。じゃ、俺着替えてくるから、そしたら寺のコートで打ち合いしよっ」
言いたいことだけ言って、二階の自室へと行ってしまった恋人に、ひたすら湧き上がるのは溜息のみ。
尻に敷かれているとは思いたくないが、振り回されている事実は否めない。
しかし……それも悪くないと思ってしまうあたり。
(…………骨の隋まで『越前リョーマ』に毒されてる)
苦笑とともに一度天を仰いで……手塚は、残された食器を片付けるべく手を伸ばした。
END
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