作品
一章 櫻霞月・四
「全く、手塚はどうしてああいう言い方しかできないかな」
優しげな面に、不機嫌さを隠さずに不二が言う。
「同感。あれじゃ不器用とか朴念仁を通り越してただの人非人にゃ」
リョーマを腕に抱きながら、同意する菊丸に大石が苦笑いした。
「おいおい、それはいくらなんでも言いすぎじゃないのか?」
「これでもかなり抑えてるつもりだけど?」
不二の言葉にこくこく頷く菊丸。
大石は肩を竦めるしかない。
そうして手塚に頼まれたことを実行すべく、再びリョーマの前に膝をついた。
不安そうな顔をしていたのだろうか。
彼はリョーマと目を合わせると、安心させるように微笑んだ。
「越前。手塚は言葉が足らないところがあるからそっけなく思えるかもしれないけど、決して君のことを軽んじてるわけじゃないんだよ」
「…………でも」
思い出す。
躊躇いもせずに背を向けられたときの、あの感覚。
リョーマがここにいることを否定されてしまったような、胸の痛みを。
「手塚は一国を治めるものとして、そして世界の理を律するものとして、感情だけで動かないことを自分に戒めているんだ。もともとの性分もあって、それがとても冷たく人の目に映ってしまうこともある。でも手塚が本当に冷たいだけの人間だったら、少なくとも俺たちは手塚に仕えようなんて思わなかった」
とてもへたくそなんだ、と大石は笑う。
「優しさとか気遣いを表に出すのが、本当に下手でね。俺たちの仲間はみんな、それが放っとけなくてそばにいるんだよ」
「確かに、手塚の感情表現能力は赤ん坊以下といってもいいね。はっきり言って絶望的だ」
不二もやや表情を和らげながら、実に容赦のなく大石の言葉を肯定した。
「ほーんと、わっかりにくい難儀な性格だよねー」
「いまさら直せるとも思えないしね。あれはああいうもんなんだって、慣れることが賢明かな。僕たちもそうだったし」
「そうだなぁ。まぁ、とにかく越前、あまり気に病まないでやってくれないか。本人に悪気はないんだ」
確かに。
手塚の態度はそっけなくて、それには胸が痛むけど、でもそれだけじゃなかった。
リョーマの不安を汲み取って、ともすれば見逃してしまいそうなぶっきらぼうさで、安心をくれた。
何より触れた場所から伝わってきた温もりはとても優しくて……
だから今は、この切なさを我慢しようと思った。
少なくとも手塚は、右も左もわからないこの世界に、リョーマを放り出そうとはしなかったのだから。
黙りこんだリョーマをどう思ったのか、大石は小さな子供にでもするように頭を撫でた。
「それにな、越前。君の存在が失えない、大切なものであることは何より手塚自身がわかってる。だから、君の存在を公にしない、と言ったんだ。民間出自の『加護女』を快く受け入れられないものがいるのも確かだし、今はちょっときな臭い噂もある。それが片付くまでは、おいそれと『加護女』を表舞台には出せないんだろう。乾も言ってたけど、それは越前を標的にしてくださいって宣伝するようなものだからな。『北辰王』は絶対の存在ゆえに、他国からだけでなく、身内からも刃を向けられることが少なくない。世界の理を律することを、世界を手にすることだと勘違いしてね。手塚は君を危険に晒す可能性から少しでも遠ざけたいんだ。不二や英二に君を任せたのだって、自分からそれをしたんじゃ越前を隠す意味がないと判断した結果だと思う」
「だからってあの言い方はどうかと思うけどね」
「混ぜっ返すなよ、不二。越前……見知らぬ世界で不安なことがたくさんあるだろうけど、手塚のことを信じてやってほしい。俺たちも君を助けるから」
真摯な言葉と眼差しに、リョーマは小さく頷く。
背を向けられた切なさと苦しさを忘れたわけじゃない。
離れていたくない気持ちの方が、今もずっとずっと強い。
でも、大石の言葉を聞いて、自分の全てを凍りつかせたあの背中さえ、信じてみたいと思ったのも本当のことだ。
縋りつきたいだけなのかもしれないけれど。
見知らぬ世界、見知らぬ気持ち。
何もかもが不安定で不確かな中で、ただ一つ確かなもの。
それが手塚だと思うから。
そう、思いたいから。
「越前はいい子だな」
と大石が嬉しそうに言えば。
「やっぱ、手塚にはもったいないにゃー」
「まったくだね」
と菊丸と不二が応じる。
リョーマはそれがおかしくて思わず笑ってしまった。
その後大石は手塚に言われたとおり、初めて『変化』したリョーマを簡単に診察してから、足の化膿止めを置いて自らも執務に戻っていった。
「ねぇ、リョーマくん。その服気に入った?」
何か簡単なものでもをおなかに入れたほうがいいと、お茶を用意しながら不二が問うてくる。
「うん。動きやすいし、悪くないよ」
「なら、それと同じ型で君の服を何着か仕立ててもらうことにしようね。寸法もぴったりみたいだし。とっても似合ってるもの」
「うんうん。すごく可愛いにゃ。いっそのこと男物もこれで作っちゃおうよ。袍とかより絶対いいもん」
「そうだね。リョーマくん、それでいい?」
袍というのが、パオのことだというのはすぐわかった。
リョーマは手塚たちの格好を思い浮かべてみる。
3人が着ていたのは、三者三様とは言うものの、丈はみなそれなりに長かった。
基本的に衣類は足元に巻き付くようなのは好きじゃない。
春夏秋冬問わず、である。
どうしようもないときは、仕方なく着たりもしたが、それでも自ら好んでは袖を通さない。
これからどうなるかはわからないけど、とりあえず今はこの格好で似合うといってもらえてるし。
男に戻ったってたいして体形は変わらないと思うので。
「うん」
「わかった。じゃあ、そのように手配するね。好きな色とかはある?」
「青とか、黒とか……寒色系がいい」
「了解。はい、少し温めにいれたからね」
高そうな陶器の茶器を手渡された。
緑茶のようだった。
かすかに花の香りがする。
一口含んでみると、さわやかな甘さが口に広がった。
温度もちょうどいい。
「大丈夫?英二が猫舌だから」
「……俺も、そだから。ちょうどいい」
「なに?おちびもそうなの?お揃いお揃いv」
席を外していた菊丸がうきうきした口調で言いながら、お菓子ののったトレイを持って戻ってきた。
硝子のテーブルの上に置かれたそれは、カステラと蒸しケーキの中間みたいな代物で。
勧められるままに一口食べてみるが、口当たりはやわらかくてとても美味しかった。
甘いものが大好き、というのもあったけれど、相当空腹だったようでかなり速いペースで用意されたお菓子はリョーマの胃袋に納まった。
人心地ついたリョーマを不二と菊丸は嬉しそうに見つめている。
「食欲があるみたいで安心したよ。初めて変化したときって食欲不振に陥ったり、不眠症になったりすることがあるらしいから」
「そうなの?」
「全員がそうっていうわけでもないけどね。あ、でも英二は不眠症になったんだっけ?」
「うん。なんていうの、感覚が研ぎ澄まされすぎるって言うのかにゃあ……とにかく普段だったら気にならないような音とか気配とかがすごく気になって眠れなかったの。二回目からはそんなことなかったけど、あれはけっこう辛かったよ~」
「ふうん」
リョーマはそこでふと気になったことを聞いてみた。
「あのさ、一定周期で変化するっていうけど、俺っていつ男に戻るの?」
戻る、というのとは微妙に違うのかもしれない。
だって不二が言ってた。
『半陽』は初めて変化したときから、男でも女でもなく『半陽』という第三の性になるってこと。
それでも『半陽』という常識が今までなかったリョーマだから『戻る』としか表現しようがないのだけれど。
「そうだね……これも個人差があることだけど、大抵の半陽は満月期……満月を挟んだ7日前後が女性化周期に当たる人が多い。リョーマくんは最初の変化だから、実際にその期間が終わってみないとなんとも言えないんだけど」
「そっか……英二と周助はどうなの?」
「俺はねぇ、満月期に変化するよん。だいたい満月挟んで7日から10日ってとこかにゃ。不二は……」
「僕の場合は珍しい例外ってとこかな。僕は人より『陰』の気が強いらしくてね。新月期……新月を挟んだ7日以内ってことだけど、その新月期以外はずっと女だよ」
「じゃあ、殆ど女なの?」
「まぁね。初めて『変化』してからこっち僕の性別は本当に入れ替わってしまった感じかなぁ」
他愛ないことのように言うが、当時は本当に戸惑ったのではないだろうかと思う。
『半陽』であることはともかく、通常の周期を過ぎても男に戻らないのだから。
「びっくりした?怖くなかった?」
「それは、それなりにね。でも今は順応してるし。むしろ僕にとっては有益なことだったと思うよ」
「どうして?」
純粋な疑問を口にすると不二は悪戯っぽく微笑んだ。
「男でいるときよりも法力が強くなったから。多分もともと『陰』の気が強いことが影響してると思うんだけど」
「法力ってなに?あと『陰』の気っていうのも良くわからない」
「法力って言うのは、五行……つまり万物の力を使える霊力のことだよ。ただ力として存在する霊力を修練を経て、術という形に応用できるようになった力。霊力を宝石の原石、法力を研磨された宝石って言えば理解しやすいかな。『陰』の気とは静の力、これに対するのは『陽』の気。こちらは動の力。陰と陽は常に相反するものでありながら、和合し均衡を取り続ける。これをして陰陽の法則といい、万物の力の源となるものである……と書物には書いてあるけど、噛み砕いて言うなら反発しあうけど切り離せない大きな力ってことだね。あらゆる全てが、この力の均衡の元に存在してるから。ちなみに『気』って言うのは、生命や魂そのものが発する力。存在そのものって覚えてもいいかもね」
「詳しいんだね」
「一応専門家だから」
「専門家?」
「不二は、法術師にゃ。しかも当代一って言われてる天才法術師」
「法術師は占いや術を用いることを生業にしてる職業のことだよ」
元の世界で最近流行っていた、『陰陽師』みたいなものだろうかと理解する。
同居していた従姉が史学部に在籍していて、日本史が専攻課目であったため、そういう知識はちょっとだけある。
従姉が貸してくれたマンガで得た知識ではあったけれど。
「その『陰』の気が強いとどうして、女である期間が長いの?」
「さぁ……それは良くわからないけど……たぶん、昔から男女を陰陽で表すなら、男は『陽』、女は『陰』って言われてることが関係してるのかもしれない。人の『気』にももちろん陰陽の理は働いてて、普通はその均衡は取れているものだけど、僕は人よりその『陰』の気が強かったんだ」
聞きたいことは、本当にたくさんあった。
だってこの世界の常識なんて全くわからないし、不二の話していることは自分にも大きくかかわってくることだと本能的に思ったから。
「万物の力って、『加護女』が使える力のことだよね?それってその、法術師が使う法力みたいなもの?」
「似てはいるけど、根本的に違う。法術師は術という過程を用いて万物の力を発現させるけど、『加護女』にはその過程が必要ない。法術師にとって万物の力は、いわば借り物の力だけど、『加護女』にとっては己の一部みたいなものだから。だから万が一制御できなくても法術師だったら術が完成せずに発動しないだけだけど、『加護女』の場合は力の暴走に繋がることになる」
「暴走……それってさっき自分の中で何かが爆発しちゃうって思った……あれのこと?」
「そう……、混乱が『気』の均衡を崩して君の力は暴走しかけた。もっとも、しかけただけであって実際には暴走してない。したとしても完全な状態じゃないから、せいぜい桜の森が半分吹っ飛ぶくらいだろうね」
「半分吹っ飛ぶって……」
淡々と言われたからこそ、リョーマは身の内に息衝く力に慄然とする。
それがとても大きな力であると、何かが爆発しかけたあのときの感覚を思い出したら、身体が震えた。
「脅えなくてもいい。力は、使い方さえ間違わなければ、恐れることはないんだ。自らの力への恐れこそが一番厄介なんだよ、リョーマくん」
「……でも」
「大丈夫だよ。僕が教えてあげるから。力を使う……その基礎は法術師だろうと『加護女』だろうと共通してることだ。そのことは、手塚にも頼まれてる。知らないことやわからないことは、覚えればいいだけだよ」
安心させるように微笑んで、不二はリョーマの頬を優しく撫でた。
触れた場所から、じんわりと伝わってくるもの……ひたひたとリョーマの心に優しく染み込むもの。
これが不二の言っていた『気』なのだろうか。
「一緒に頑張ろうね、リョーマくん」
「……うん」
「君ってば、本当にかわいいなぁ。絶対手塚にはもったいないよ。ねぇ、英二……英二?」
さっきから会話に加わっていない菊丸の方を見れば、向かいの椅子に凭れて、なにやらうとうとしている。
しょうがないなぁという表情の不二と、顔を見合わせてリョーマも微笑んだ。
「仕方ないか、昨日の夜、君を運んできてから、徹夜だったもんね。それに英二ってば、小難しい話がてんで駄目なんだ。子守唄に聞こえるんだって」
不二は口元を手で抑えながらくすくすと笑った。
「ねぇ、周助」
「ん?」
「暴走しかけた俺を止めてくれたの、周助?」
「……そうだよ。もっとも君が完全に覚醒してないからできたことなんだけどね。覚醒した『加護女』の力を押さえ込む自信は、僕にもないよ」
「完全って……なにをしたら完全になるの?」
「『加護女』の力は、『北辰王』と誓約を果たすことによって完全覚醒するよ。そのための儀式を『誓約の儀』って言って、それまでに力の使い方の基礎を学ぶんだ。『加護女』って言ったってそのお役目を天から戴くまでは、その手の知識に触れたこともない人が殆どなんだから。そういう点では、君も出発点は一緒だよ」
「うん、頑張るから……あと、止めてくれて、ありがと」
あれは本当に、恐ろしい力だったから。
「どういたしまして。うん、君みたいな子が教え子で、僕もやりがいがあるなぁ。手塚に言われるまでもなく、僕と英二が、しっかりばっちりお世話するからね」
おどけた物言いが、リョーマの気負いを楽にしてくれる。
でも、ただ一つだけ、不安がまだあった……
「誓約ってさ……」
「ん?」
「誓約って、あの人……手塚さん……俺とね、誓約、してくれる……かな?」
あの背中を思い出して。
拒絶されたら、どうしようっていう不安だけが、染みとなって心に落ちていくから。
「心配ないって。リョーマくん、こんなに可愛いんだもの。それに手塚はかなりリョーマくんを気に入ってると思うよ。君を迎えにいったときも、君の『気』が乱れたときも、ずいぶんわかりやすかったからね。まぁ、万が一にもそんなことがあったら、一発ぶん殴ったあとに僕に言いにおいで。僕がしっかり、お仕置きして改心させてあげるから」
優しく微笑んではいたけれど、その目は案外本気でいっぱいてだったので……リョーマは、不安を一瞬忘れて目を軽く見開き、そうして破顔した。
続く
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