庭球小説

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一章 櫻霞月・八

 寝台の上、リョーマは何度目かの寝返りをうった。
 大きな深呼吸を一つ。
 いつまで経っても眠気はやってきそうになくて、とうとう身体を起こしてしまう。
 まさか自分に眠れない夜が来るなんて思っても見なかった。
 なんだか、妙に落ち着かなくて、頭が冴える。
 爪先でサンダルを探して、リョーマは月明かりに照らされた室内を目的地目指して歩く。
 月は既に下弦の半月。
 それなのに晧々と密やかに明るい光を投げかけてくるのは、もといた世界の月とはあまりに違う大きさだからだろうか。
 リョーマは庭に面した大きな窓を開けた。
 春とはいえ、夜の風は少し冷たい。
 身を竦ませると、肩から大判のショールがかけられた。
「透理」
 振り仰ぐと数日前に式神に下した李の精が心配そうに立っていた。
 その姿は女性であるのだが、男物の官服を身につけているため中性的、というよりは性が未分化であるかのような印象を与える。
「まだ夜は寒うございますので」
「ありがと。少し散歩したいから、付き合って」
「御意」
 外に出るときは決して一人では駄目だと、不二や菊丸に厳しく言い聞かされている。
 心配してくれている気持ちがわかるし、自分の立場も弁えているのでリョーマは素直にその言いつけを守ることした。
 式神を従え、異世界の夜を歩く。
 昼間よりも濃密で甘い花の香り。
 時折立ち止まり、空を見上げれば、降るような星と、大きな弦月。
 身体が男に戻ったのは一昨日のことだ。
 朝、目覚めたら胸の膨らみは消え、12年付き合ってきた男の身体になっていた。
 まだ初めての変化なのでなんともいえないが、リョーマの女性化周期は満月期……おおよそ月齢12から18の間頃と、不二たちが見当をつけた。
 天領にやってきて、夜が明ければ10日目の朝となる。
「ここは星がすごいね、今にも手が届きそう」
「リョーマ様のいらした御国は違ったのですか?」
 当初は『元君』と呼んでいた透理だが、それは加護女にしか使われない尊称のため、名前で呼ぶように改めてもらった。
 どこに誰の耳があるかはわからない。
 今のところ『加護女』の存在は隠さなければ……ということで、油断はしないほうがいいと思ったから。
「うん。空気の綺麗なとことか標高の高い山とかに行けばけっこう綺麗な星空は見えたけど、俺が住んでたところは空気は汚いし、地上が明るかったから見上げても星なんて殆ど見えなかった。それにここほど月も大きくなかったしね」
「さようでございますか。こちらとは本当に異なる場所なのですね」
「うん」
 不思議な世界。
 北辰王とか、加護女とかそういった存在はもちろんだし、法術なんていうのも元いた世界では空想の中にしかなかったものだ。
 少なくともリョーマはあちらにいるとき、超能力も、霊的、あるいは超自然的な現象とも直面したことはなかったので、娯楽としては楽しんでも信じたりはしてなかった。
 けれどこちらでは、あらゆることが根本的にあちらとは違うのだと思う。
 この夜空もそうだ。
 こんなに月が大きくて近い……あちらだったら引力がどうのとか言う話になりそうだが、こちらでは天文学的な引力というものはどうやら存在してはいないらしい。
 天帝と西王母が創造した世界は、その在り方からしてあちらとは違うものなのだろう。
 ふと思う。
 父や母……家族はどうしているだろうか。
 入学式の朝に忽然と消えてしまって、心配しているだろうか。
 それとも、あちらではリョーマの存在はなかったことになっているだろうか。
 その可能性は、多分にある。
 なぜならリョーマは、天領の人間になってしまっているから。
 迷い込んだのでも、どこかにあるかもしれない次元の狭間に落ち込んだわけでもない。
 世界でリョーマを必要とし、リョーマ自身ももはやこちらにいることを選んでしまった。
 欠片の躊躇いもなく。
 リョーマが天領を選んだ瞬間、あちらからはリョーマの存在が最初から失せてしまった……ということもあり得るから。
 そうであって欲しい、と思う。
 家族に友達に忘れられるのは寂しくて悲しいけど、自分がいなくなってしまったことにいつまでも囚われ哀しみ続けていることのほうがよほど辛いから。
(……ま、あの親父たちのことだから、いつかは乗り越えるだろうけどさ……)
 リョーマの家族は決していつまでも後ろを向いていることを良しとはしない人たちだ。
 仮にリョーマが家族よりも、天領にいること……ひいては彼といたいという感情を選んだことを知っても、それがリョーマの決断だというなら納得してくれるはずだ。
 彼らがリョーマをそうあるように育てたのだから。
 自由奔放に我が道を行くこと。
 己の信じる道を貫くこと。
(……俺は、決めたから……)
 一人じゃない。
 不二や菊丸たちがいてくれる。
 彼らがリョーマの新しい家族になってくれるから。
(もし、心配してるなら、いつまでもそれに囚われつづけてないで。あんたたちの息子は、ちゃんと生きてて、これからも生きてくんだから)
 それは祈りだった。
 万物の愛し子、加護女の祈り。
 リョーマは意図したわけではない。
 しかし、無意識の祈りは世界へ波紋のように優しく、丸く広がっていく。
「リョーマ様、誰か……人の気配がいたします」
「えっ?」
 結界の外には出ていない。
 この瑠璃宮に寝泊りしているのは、自分と菊丸たちだけで……
 でも彼らは別室で休んでいる。
『気』を探ってみたが、ぐっすり眠っているようだ。
 リョーマに害意や悪意を持つ者は結界内に入っては来れないけれど……
 何の他意もなくて、偶然迷い込んだ誰かだとしたら。
「誰か、いるのか?」
 その声に、リョーマはびくんと身体を震わせる。
 聞き覚えがあるどころではない。
 茂みを掻き分けるようにして現れたのは……
「…………手塚さん」
「越前」
 言ったきり、しばし呆然と見つめ合う。
 まさか会えるなんて思わなかった。
 ひょっとしてこんな時間まで仕事が立て込むほど北辰王は忙しいのだろうか。
 それにしたってどうして、こんなところに……
 北辰王の私室は、本来内宮の中のもっとも奥まった場所にある宮・水晶宮に設えられるらしいけど、手塚は太極殿の書室に簡易寝台を持ち込んで、そこで寝起きしていると聞いている。
 瑠璃宮は水晶宮に近い場所にあって、だからなにか意図なくば夜も更けた時間に手塚がこんなところにいるのは不自然なことなのだ。
 結界の強化に来たとも考えられるが、やっぱり時間的におかしい。
 夜中じゃなければ、時間が取れない?
 乾はともかく大石が傍についてるなら、そんな鬼畜なスケジュールは組まないと思うのだけれど。
「あの……」
 どうしたの、と聞こうとしたのだが。
「こんな時間に何をしている?」
 と先制されてしまった。
「散歩だよ……ちょっと、寝つけなくて……」
「そうか……一人では、ないようだな」
 手塚の視線が、リョーマの背後へと注がれる。
 振り向くと透理が叩頭していた。
「おまえの式神か」
「え、うん」
「透理と申します、主上」
「良い式神だな。霊力もかなりあるようだ……透理、畏まる必要はない。立ちなさい」
「はい」
 許しを得て透理が立ち上がると、また会話が途切れてしまう。
 そこに立ち尽くしたまま、時折視線を合わせては逸らす。
 何とか糸口を探そうと思うのだけれど、上手くできなくて内心かなりおろおろしながら、視線を彷徨わせていると透理と目が合った。
 彼女は主の困惑を感じ取ったのか、助け舟を出すように微笑んだ。
「リョーマ様、私は先に戻っていましょう」
「えっ」
「恐れながら主上」
「なんだ?」
「リョーマ様を、お部屋までお送り願いたいのですが」
「…………わかった」
「お願い致します」
 拱手して一礼すると、透理の姿は闇に溶けるように消えた。
 また落ちる沈黙。
 リョーマが手塚を見上げると、彼は小さく溜息をつく。
「寒くはないか?」
「うん」
「…………ここで立ち話もなんだな。少し行ったところに東屋がある。付き合えるか?」
 眠くはないのか、と言外に問うているのに気付いて、リョーマは頷いた。
「なら、ついて来い」
 踵を返した手塚の後について歩く。
 リョーマの急ぎ足に気付いたのか、彼は歩調を緩めてくれた。
 しばらく行って……
「あ、ねぇ、結界から出ちゃうよ」
「大丈夫だ。俺と共にいるのだから問題ない」
 言われてみれば、結界を張ってくれたのは手塚本人なのだから、その通りかもしれない。
 納得して、また手塚に着いていくと、隠れ屋のように小さな東屋があった。
 白い大理石で作られたそれは、月光を受けて淡く輝いている。
 促されて設えられたベンチのようなものに腰掛けた。
「ここでの暮らしに、不自由はないか?」
「うん。英二も周助も良くしてくれるし、大石さんとか、河村さんとか、桃ちゃんとかも顔を出してくれたりするから……」
「…………寂しくは、ないか?」
「ううん。言ったでしょ?みんな良くしてくれるって。一人じゃないもん」
「そうか」
 また落ちる、沈黙。
 二人して、視線を合わせたり、逸らせたりしながら……でも、気まずさはあるもののさっきまでのような居心地の悪さみたいのはなくなっていた。
(……手塚さんもそうならいいんだけど……)
 これが昼の日中だったり、明かりのあるところだったらこんな風には思わなかったかもしれない。
 やわらかな月と星の明かりだけ。
 だから。
 手塚をそっと盗み見れば、彼も困ったような感じなのだ。
 不二たちが言っていた、彼は戸惑っているのだと。
 確かにそうかもしれない。
 自分はただでさえ子供だ。
 九つも離れていれば、もともとリョーマがこの世界の住人だったとしてもジェネレーションギャップの一つや二つはあろう。
 世代間の隔たりは大いなる困惑の種だ。
 それだけでなくリョーマは異世界から召喚されたのだから、彼の困惑はいかばかりか。
 むしろその点に関してはちっとも疑問や戸惑いを抱かない自分のほうが変わっているのかもしれない。
「家族がいたのだろう?恋しくはないか?帰りたくは、ないか?」
 朴訥な口調。
 相変わらず感情の機微など殆ど感じさせない声音だけれど、そこには確かに手塚の気遣いが感じられて、リョーマは胸が温かくなる。
「う……。何も言えないまま消えちゃったのは、未練……かも知れないけど。帰れないんでしょ?なら、仕方ないじゃん。それに俺、ここ嫌いじゃないし。帰れるにしたって、ここで知り合ったみんなと別れるのも嫌だもん」
 みんなのこと、とても気に入ったから。
大好きだから。
それに手塚との別離だけは死んでも嫌だった。
元の世界か、天領か……どちらかを選べといわれたら、今ある現状を選ぶ。
強がっていると思われるのが嫌だったから、リョーマは顔を上げて手塚の目を真っ直ぐ見つめた。
「……おまえの家族の話を聞きたい」
 手塚がリョーマの目を見つめ返し、真摯に問われる。
「親父……親父は昔はすごかったらしいけど、今はぐーたら生臭坊主で、母さんは家事と両立しながらいつもバリバリ仕事してる。従姉の奈々子さんは、通ってる大学が実家から遠いから家に居候することになったんだけど、おっとりしてて優しい人」
「そうか……猫を飼っていたといっていたな」
「うん。ヒマラヤンって種類の猫。カルピンって俺が名前をつけたんだ。……俺、ずっと猫飼いたくてさ、2年前の誕生日のプレゼント……贈り物がカルピンだったんだ」
 仔猫だったカルピン。
 小さなリョーマの両手のひらに乗ってしまうくらいの大きさで、もこもこしててとっても可愛かった。
「猫のはずなのに、白い狸みたいってみんなに言われてて……愛嬌あっていいと俺は思うんだけど。毎晩一緒に寝たりしてたんだよ。夏は暑いんだけどさ、冬はふかふかの毛があったかいんだ」
 いつのまにか語る言葉に熱が入っていたらしい。
 はっと気付いて、リョーマは顔を紅くした。
 カルピンに関しては親ばかと、あちらではしょっちゅうからかわれていたから。
 手塚を見ると、彼は表情は変わらないものとしみじみと口を開いた。
「可愛がっていたんだな」
「……まぁね」
 語りっぷりが恥ずかしかったので、咳払いをひとつしながら肯定する。
「…………もうずいぶん夜も更けたな。部屋まで送ろう」
 二人の間にまた沈黙が横たわってしまったのだが、やがて手塚がそう切り出した。
 せっかく会えたのだ、もっと話したい気持ちはあったけれど、手塚には明日も執務があるのだろうし、自分も眠そうにしていたら菊丸たちが心配すると思ったので素直に頷いた。
 手塚に先導されて、部屋への道を戻っていく。
 その間一言も言葉を交わさなかったけれど、これまで会えなかったことを思えば、とてもとても満たされるような気持ちでいっぱいになる。
 それでも別れ際。
「越前」
「なに?」
「困ったことや不自由なことがあったらすぐに言え。おまえの過ごしやすいように取り計らうから」
「……うん。ありがと」
 心遣いが嬉しくて微笑むと、彼はわずかに表情を和らげた。
 そのことに、胸がときめく。
 笑ったわけではない。
 確たる表情の変化ではなく、ただ眉間の皺がなくなったというだけなのだか。
 それでもリョーマは、それが嬉しかったのだ。
「俺は、これで失礼する。ゆっくり休め」
 立ち去る背中に。
「あ、あの、手塚さん」
「なんだ?」
「お休みなさい」
「あぁ、お休み」
 彼の姿が見えなくなるまで、そこに立っていたリョーマは、なんだか満たされた心地で窓を開けて部屋に入る。
「お帰りなさいませ。主上とお話はできましたか?」
 燭台を手に現れた透理に、リョーマは夢見心地で頷いた。
「あまり会話は続かなかったけどね」
「ですが……ようございましたね」
「うん。ここに来て、あの人とまともに話したことってなかったから……でも、こんな時間になにしに来たんだろうね。あの人って太極殿で寝起きしてるって聞いたのに」
 結局聞くことができなかった理由。
 首を傾げるリョーマに、透理は優しく微笑んだ。
「主上はリョーマ様のご様子を伺いにいらしたのではないですか?お休みになってるとお思いでしょうから、外からそっと」
「え?」
「不二様からご報告が行っているとはいえ、人伝ですから……きっと気にかけてらっしゃるのですわ」
「そう、かな」
「えぇ、きっと……さぁ、もうお休みなさいませ」
「そうする」
 燭台の灯りに導かれてリョーマは寝台に横になる。
 上掛けを肩まであげれば、あれほど遠かった睡魔が、じんわりと全身を眠りへと誘っていく。
「お休み、透理」
「はい。お休みなさいませ」
 言葉と共に、燭台の灯りは消えた。
 リョーマも重くなった瞼を下ろす。
 別れ際の手塚の顔を思い出しながら、リョーマは抗うことなく眠りの淵へと落ちていった。


 翌日。
 昼食を終えて、菊丸や不二とのんびりしているリョーマのところへ海堂がなにやら携えてやってきた。
 籐の籠。
いわゆる一つのバスケット。
それを開けると、リョーマには見たことのない生き物が入っていた。
「手塚さんから、越前に渡してくれと、頼まれた」
 ぶっきらぼうな口調で海堂が言うのをまじまじと見つめ、次いでバスケットの中でくるくると鳴いている生き物を見つめる。
 ウサギと猫の中間のような生き物。
 大きさは、カルピンと同じくらいだった。
 ミルクホワイトの毛並み、手足と少し長い耳と尻尾の先が胡桃色のグラデーションになっている。
 オレンジがかった金色の瞳。
 ひくひくと動いている鼻はピンク色だ。
「雷獣の子供だね」
 雷獣とは、妖獣の一種。
 もちろん犬猫などの、通常の獣とは全く違う。
 霊力を持ち、特殊能力を有した霊獣である。
 陽の霊力を持つものを幻獣といい、陰の霊力を持つものを妖獣という。
 前者は、性格も大人しいものが多く、人にも慣れやすいので空行できるものは騎獣として一般的だ。
 後者は、攻撃的な特殊能力を持つものが多く、気性も荒いため、辺境などでは人を襲うこともままあるため家畜には向いていない。が、法術師などは、妖獣を捕らえて、飼うものが少なくない。
 妖獣は霊力などが高いため、飼い馴らすことができれば、この上ない味方となる。
 もっとも、妖獣は主を選ぶ生き物といわれているため、そうそう簡単にはその主とはなれないのだが……
 北辰王であれば、容易に従えることが可能だろう。
 もちろん、加護女にも。
「手塚がおちびにって、贈り物ってこと?」
「そのつもりなんじゃない?大きくなって霊力が高まれば、護衛にもなるし変幻して騎獣にもなる」
 雷獣の子供は、その金色の目でじっとリョーマを見上げて一声鳴いた。
 手を伸ばして、そっと抱きしめる。
 頬を寄せた毛並みは、ふかふかとしていい気持ちだ。
 濡れた舌が、リョーマの頬をそっと撫でた。
 自然カルピンを思い出し、夕べのことを思い出す。
 この子も手塚の心遣いなのだろうか。
『可愛がっていたんだな』
 しみじみとした、その声がよみがえって木霊する。
「どうやらこいつ、おちびのこと気に入ったみたいだにゃ」
 リョーマの脇から雷獣の子を覗き込みながら、菊丸が言う。
 彼女……いや、リョーマに遅れること一日既に菊丸も『彼』に戻っていたため男物の服を身につけているのだが、女であるときとの印象の違いはほとんどなかった。
「そうだね。妖獣も子供のうちから躾れば、ちゃんと人に懐くし。せっかく手塚がくれたんだ。名前付けて可愛がってあげたら、リョーマくん」
「……うんっ」
 にっこり笑ったリョーマの全開の笑顔は、菊丸や不二を微笑ませたのみならず、その場にいた海堂にまで連鎖したものすごい威力を持っていて。
 リョーマの腕の中、雷獣の子供も主の機嫌につられるように、くるくると喉を鳴らした。


                                  
続く

  • 2011/05/31 (火) 15:30

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