庭球小説

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二章 桂香月・参

 見事な花房が揺れる藤棚の下。
 式神がお茶の支度をするのを横目に、手塚に促されるまま大理石の椅子に腰を下ろしたリョーマは、口を開いた。
「でもさ、国光。良かったの?」
「良かった、とは?」
「あの涼華って人に俺が『加護女』だってばらしちゃって」
 手塚は当初、リョーマの存在を公からは隠す方針だった。
 現在は、そうではないが、それでも秘密裏にことは進められていたはずなのだ。
 涼華の父・天城の横槍が入らないとも限らない。
「もうすでに準備は整っている。それに数日後には明らかになることだ……おまえが気にすることではない」
 安心しろ、とでも言うように微笑まれ、リョーマも素直に頷いた。
 内心は嬉しくて仕方がない。
 だって手塚があんなにもはっきりと自分のことを『加護女』だと言い切ってくれたのだから。
 いかにも矜持の高そうな天城の姫には面白くないことに違いなかったけれど。
 不二や菊丸に聞いていたとおり、確かに美人だった。
 身につけていた品はどれをとっても一級品……でも、派手な感じがしてあまり好感は持てなかった。
 好感が持てないといえば、綺麗に施された化粧。
 彼女の美貌を際立たせてはいたけど、彼女はまだ十六歳だというのだから、唇に紅を刷くだけでも充分美しいと思うのに。
 大人への背伸びと言う、可愛げのあるものではなく。
 ましてや王の御前に出ると言う礼儀からでもない。
 ただひたすらに女であると言うことを誇示するための化粧。
(……そういうのって、あまり好きじゃない)
 それに、あからさまに自分を見下していたあの態度。
 自分に自信があることは悪いことじゃないと思うけど、それにしたって限度があるだろう。
 プライドの高さが高慢さに掏り変わってしまえば、鼻につく以外なにものでもない。
 なんだか、不二たちが彼女を毛嫌いする理由がわかったような気がする。
 そう言えば父親のことも嫌っていたっけ。
「天城って人はそんなにやばいわけ?」
「まぁ、厄介ではある。初代北辰王の代から王家に仕えてた一族の末裔だからぞんざいに扱うわけにはいかないからな」
「俺はまだ本人にはあったことないけどさ。あの娘を見れば想像つく感じ。多分好きになれそうにないな。だいたい周助にセクハラ……えと、なんて言えばいいのかな。色目を使う?そんな真似してるんでしょ?」
 不二や菊丸はこの異世界においては家族も同然。
 大事な家族にそんな真似するような男、そもそも好きになれるはずがない。
 唇を尖らせるリョーマに、手塚は苦笑する。
「確かに感心できることではないな。だが、不二のあしらい方を見れば、案外リョーマも天城に同情するかもしれないぞ?あいつは本当に河村以外には容赦のない人間だからな」
「ふーん。まぁ、周助は簡単に隙なんか見せたりしないだろうから、あんまり心配はしてないけどね。それに涼華って人の言い様、ナニ?なんか『半陽』のことすっごい見下してなかった?『半陽』って差別されてるの?」
『半陽』風情とまで言われたのだ。
 そんな言い方が罷り通ってるなら聞き逃せない。
「そんなことはない。……だが、『半陽』を快く思わない人間がいるのは確かだ」
「そうなの?」
「あぁ。残念なことにな。何故快く思わないのか……理由は様々だろうが……しかしそれは少数派だ。殆どの人間は『半陽』を蔑視するような感情は持っていないから不安に思わなくてもいい」
「うん!」
 彼が大丈夫だと言うのなら、何も不安に思うことはない。
 リョーマの手塚への信頼は、不思議と思う隙もなく絶大で絶対のものだ。
 手塚を信じられなくなるときがくるとすれば、そのときは己自身も信頼できなくなるときなのだろう。
 でも。
 そんなときはきっと来ない。
 リョーマは自分の直感を信じている。
「『藍の儀』当日になれば天城と対面することになるだろう。俺も気を配るが、けっして不二や菊丸から離れないようにするんだぞ。涼華殿も着いてくるだろうしな」
「わかった、気を付けるね」
「そうしてくれ…………透理も頼んだぞ」
「御意にございます」
 支度を終えた透理は、手塚の言葉に叩頭すると静かに姿を消した。
 花の香りのするお茶と、揚げ団子に糖蜜をまぶしたドーナツのようなお菓子。
 リョーマは喜々としながら、それを手に取る。
 もちろん、初めて袖を通した正装を汚さないよう気をつけながら。
 その仕種を優しく見守っていた手塚だが……
「リョーマ」
「なに?」
「その衣装、とてもよく似合っているな。紅の色も初々しい感じがしてとても好ましい」
 飾り気のない、けれどもストレートな誉め言葉に、リョーマの頬がぱっと紅くなる。
 危うく喉に詰まりかけたお菓子をお茶で流し込んだ。
「リョーマ?」
「く、口紅はね……英二がここにくる前につけてくれたんだ。せっかく綺麗な格好をしたんだからって」
「ほう?」
「それで……この服はね、二人が着ていったらって勧めてくれたんだ。国光が……喜ぶからって……国光、見立ててくれたんでしょ?アリガト」
 すごく嬉しかった気持ち。
 どうしても伝えたくて。
 羞恥に熱くなる頬を隠すように俯きがちに、素直な気持ちを口にする。
「…………あいつら」
 呟いたきり何も言わない手塚の反応が気になって、そっと上目遣いに伺ってみて……リョーマはますます紅くなった。
 手塚の涼しげな目元が、僅かに紅い。
 どうやら、照れている……らしい。
 手塚が滅多に感情をあらわにする人間じゃないと知ってるから。
 自分にだけ、いつもそんな風に誰にも見せない表情を見せて欲しい。
『北辰王』じゃない『手塚国光』という人間をもっと知りたいと思う。
 でもリョーマには、生まれて初めて胸に湧き上がる心を言葉にする術がない。
 未知の感情に戸惑って。
 堪らなく恥ずかしい……それだけしか理解できない。
 今は、まだ。
 気まずいわけではない、照れ臭いだけの沈黙に、いつかわかればいいなと思う。
 ちゃんとわかることができたなら。
 恥ずかしくても何でも手塚に伝えたいと、そう思うから。
 風が時折藤の花を揺らすだけの静寂を破ったのは、手塚の方だった。
 わざとらしい咳払い。
「その……気に入って、もらえただろうか?」
「うん」
「なら良かった」
 ふっと優しく微笑まれて、胸がぎゅっとなる。
 隙間もないくらいいっぱいになった感情は、喜びだろうか。
「そう言えば……何か話したいことがあるのではなかったか?」
「あ、うん。でも国光もそう言ってたよね?」
「おまえの話が先でいい。いったいなんだ?」
 菊丸たちにしっかり聞いてくるように、と念は押されたものの……どう言い出していいのかわからず、裳衣の袖をもぞもぞといじってしまう。
 手塚は急かず、リョーマの言葉を待ってくれた。
「あの……あのね。国光この服のほかにもアクセサリー……装飾品を見立ててくれたって周助たちに聞いたんだ。戒指(ゆびわ)とか、耳環(みみかざり)とか。でも俺、耳環を着けるための穴、耳朶にあいてないから、その……国光あけてくれる?」
「…………」
「……ダメ?」
 不二たちは喜んで引き受けてくれるっていったけど、でも。
 問いかけは恐る恐る唇から零れ落ちた。
 手塚は驚いたような表情を一瞬浮かべ、口元を綻ばせる。
「駄目なわけあるか。俺から頼もうと思っていたんだが……おまえの口から言ってもらえて、とても嬉しいよ」
 伸ばされた腕。
 大きな手のひらで、優しく頭を撫でてもらってリョーマも微笑んだ。
 子ども扱いはしてほしくないけど、手塚にこうされるのは嫌いじゃない。
 その気持ちに後押しされて、もう一つの望みを言葉にした。
「あとね。国光も耳環つけてないでしょ?俺があけちゃ、ダメかな?国光がくれるものには全然かなわないだろうけど、俺頑張って作るから。周助と透理が俺が作っただけで呪具になるって言うから。それで国光のこと護れるかもしれないんだって。だから、俺の作った耳環、つけてくれる?俺につけさせて欲しいんだ……手元狂わせないようにするから」
「リョーマが作ってくれるのか?ならば、喜んで」
 快く頷いてくれたのが嬉しい。
「アリガト、国光っ」
「礼を言うのは、俺のほうだと思うがな」
「そんなことないよ!だっていつも俺国光にもらってばっかで……こんなことくらいでしかお返しできないもん。でも、俺頑張って作るからね!」
「楽しみにしてる……だが、くれぐれも怪我などしないようにな」
 忙しい手塚に、心配をかけたくはない。
 リョーマが頷くと、手塚は表情を和ませた。
「で、国光の話したいことって何?」
「あぁ……とりあえず『藍の儀』をもって諸官や貴族には『加護女』の存在を公示することにはなったが、それはあくまでも知らしめるだけに過ぎない。北辰王と加護女の絆を確固たるものにし、加護女を完全覚醒させるためには『誓約の儀』が必要であることは不二から聞いているか?」
「うん」
 それは召喚された初めの頃に聞かされた。
 ただ選ばれただけでは、不完全なのだと言うこと。
 現段階においては、万物の力を感じ、その一端を引き出すことくらいしかできないのだ。
 それだけでも法術師に例えればかなり腕が立つと言ってもいいらしいのだが、加護女はそうではない。
 加護女の本来の力とは、万物の声を聞き、彼らに祈りを伝え、その力の全てを己のものとして駆使することができるもの。
 すなわち加護女の祈りとは調和の護り。
 天より降された北辰王の強大な力を抑えるための鞘なのだと、不二は言っていた。
 北辰王の力は、一度抜き放たれれば世界をも滅ぼしかねないほどの両刃の剣。
 だからこそ、天の力を地の力で護るのだ。
 無意味に他者を傷つけぬよう。
 それもまた陰陽の理の内。
 この世のものは須らくその理によって守られる。
 正しく理を廻すために、強大な力をもつ一対の存在には、誓約と呼ばれる儀式が必要なのだと、不二は教えてくれた。
 加護女を覚醒させ、本来は別個の存在である二人が、真の意味で一対になる。
 陰と陽の力の和合が、理の基本だから。
 互いの力を連動させ、世界に作用するように。
「ちゃんと聞いてるけど……それがどうしたの?」
「日程が決まった。来月……梔涙月(けいるいづき)の満月の夜に俺たちの『誓約の儀』を執り行うからそのつもりでいてくれ」
「ほんと?」
「あぁ」
「じゃあ、そしたら俺、本当の意味で国光の加護女になれるんだね!」
 飛び上がってしまわないようにするのに大変な努力が必要なくらい嬉しくて。
 手塚はそんなリョーマを穏やかな眼差しで見つめていた。
「本当の意味も何も……俺の加護女はおまえ以外の誰でもない。リョーマだからこそ、おまえが俺の加護女なんだ」
 真摯に告げられた言葉は、リョーマの心を震わせた。
 加護女だからではなく、リョーマが必要なのだと。
(……そう言ってくれたんだと思っていいよね、国光……)
 油断したら涙が零れてしまいそうだ。
 でも手塚には笑顔だけ覚えてて欲しいから……込み上げてくる喜びは自然とリョーマを微笑ませる。
「それとな、リョーマ。誓約の儀を機会に水晶宮に手を入れようと思っている」
「水晶宮って内宮の一番奥の?」
「そうだ」
 手塚は普段太極殿の執務室で寝起きしているが、その水晶宮こそが王族やその近親者の住まいとされている。
 今は誰も住んでいないし、手塚が北辰王を継いでからというもの人の出入りも一切なかったらしい。
 内宮の中でももっとも広く、立派な建物でリョーマも外側から見たことはあるのだが、人が住んでいない分、内部はは少し荒れているだろうと言うのが、そのとき一緒にいた不二の言。
 そこに手を入れるということは。
「住めるようにするの?」
「あぁ。誓約の儀が終わったら、執務室住まいは止めようと思ってな。そしたら、リョーマ……おまえも瑠璃宮を出て、水晶宮に引っ越してくる気はないか?」
 手塚の提案に、リョーマはぽかんとした表情を浮かべる。
「そ……それって、いっしょの家に住もうってこと?」
「その通りだ。もちろん部屋は別々だが……今までよりもずっと時間が持てると思うんだがな……考えておいてくれないか?」
 手塚と一つ屋根の下。
 それは確かに今までに比べればずっと一緒にいられる時間が増えると言うことだ。
 忙しい手塚には無理を言うことはできないと思っていたリョーマに、拒む理由がどこにあるというのか。
「そんなのっ……そんなの、考える必要ないよっ。うんって言わないわけないじゃん!!すごい嬉しい」
 身を乗り出して頷くと、提案を持ちかけた本人は嬉しそうに表情を和らげた。
「あ……でも」
「ん?」
「周助と英二は?一緒じゃダメ?」
「いや……あの二人はもちろん、私官は全員水晶宮に移ってもらうつもりだ。部屋だけは腐るほどあるんだから問題はないだろう。透理の本性も、水晶宮の中庭に移すといい。一所にいたほうが、おまえを守りやすいしな」
 手塚の言葉に何度も相槌を打ちながら、リョーマはものすごいご褒美をもらったような気持ちでいっぱいになる。
 まだ『藍の儀』も終えてはいないのに、気持ちはもう来月に飛んでいた。
 大好きな人たちと一緒に暮らせること。
 手塚が『誓約』を交わしてくれるといったこと。
 いつだって、気遣っていてくれる真心が伝わってきたこと。
 こんなに嬉しくて、楽しみなことはない。
 言葉になんて、とてもできない気持ちを伝えるためにリョーマが唯一知る方法は。
 手塚に向けて極上の笑みを向けることだけだった。

続

  • 2012/01/18 (水) 04:00

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