庭球小説

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二章 桂香月・四

『藍の儀』をいよいよ明日に控えた夜。
 いつもなら遅くまでこの部屋にいてくれる不二や菊丸もその準備のために、早々に退出してしまっている。
 することもなくて、ぼうっとしていれば。
「リョーマ様、そろそろお休みになってはいかがですか?」
「……うん」
「湯を使ってさっぱりしていらっしゃいませ」
「…………うん」
 曖昧な返事しか返さない主に、式神は小さく笑った。
 それを聞き咎めてリョーマはつんと唇を尖らせる。
「透理、なに笑ってるんだよ」
「ふふ、お気に触りましたら申し訳ございません。ですが、そんなに緊張されなくても」
「別に緊張なんかしてない」
「左様ですか?」
 おっとりと微笑まれて、リョーマは黙り込む。
 透理はやっぱり、元の世界で同居していた従姉に雰囲気が似ている。
 勝気なリョーマだが、穏和なわりに鋭い従姉の前では素直にならざるをえないことが度々あった。
 それがいやなわけではない。
 多分もう二度と合えない従姉のことも、透理のことも大好きだし、本当の姉のような気持ちでいるから。
 ただ見透かされているような感じが、少し苦手なだけ。
 それは不二や菊丸にも言えることだけれど。
 自分にとって身近な存在であればあるほど、そんな風に穏やかに包み込まれると……照れてしまうのだ。
 普段が勝気で強気なだけに、『照れ』という感情をいつもリョーマは持て余す。
 もちろん彼らには、そんな複雑な感情もお見通しなのだろうけど。
「明日のこともございます。お早めにお休みなさいませ」
「……わかった。そうする」
「では、湯殿の準備をしてまいりますね。しばしお待ちください」
「うん」
 透理の姿から視界から消えるとリョーマは深い溜息をついた。
 彼女の言うとおり、自分はいま緊張している。
 自分の性格からして、そんな言葉とは無縁だとばかり思っていたのに。
 明日。
 リョーマは初めて、諸官や貴族の前に『加護女』として手塚の隣に立つ。
 それ自体は、不謹慎かもしれないが別にたいしたこととは思っていない。
 どんなときでも、自分を偽ったりするのはいやだから、あるがままの自分でリョーマは初めての責任を果たす。
 緊張はそのためにではなく。
 自分の手を静かに見つめる。
 小さな手。
 あちらの世界にいたときから、最近の子供にしては小柄な方だった。
 アメリカ育ちなのに上にも横にも伸びなくて。
 スポーツをやっていたから、辛うじて筋肉はついていたけど、それも薄い。
 誰がどう見たって子供であることには違いない。
 手塚は大人で……
 諸官や貴族はどう思うだろうか。
 王として立派に責務を果たす彼の『加護女』がこんな子供で。
 リョーマが今まで出会った人たちは当たり前のように接してくれたけれど。
 不安を感じたりしないだろうか。
 自分が子供なことで、手塚に迷惑をかけるのだけはしたくない。
 そのためには。
(……何があっても毅然としとかなきゃ……)
 儀式そのものは、神事の場である星彩の塔の外に張り出した露台から桃の樹から作った弓を用いて、桂の矢を放つのみ。
 問題はそのあとだ。
 場を太極殿の露台に移し、その下に集まった諸官や貴族に、事後を報告する。
 そこでリョーマが『加護女』であることを宣言する段取りになっており、その後には宴が設けられているという。
 主催者は、手塚自身。
 宴の中で、主だった官や貴族と正式に対面するのだが。
 先日会った天城家の涼華姫や、その父親とも当然顔を合わせなければならないから。
 何を言われるか、どんな態度を取られるかはわからない。
 人目があるのであからさまなことはしないだろうが、不愉快に思うだろう確率のほうが高いとリョーマは予測している。
(特にあの、涼華って人……明日は何があっても我慢だぞ、自分)
 綺麗だけど鼻持ちならない、その言葉を具現化したような件の姫を思い出す。
 自分自身もプライドは高いほうだとは思うけど、それを振りかざすような悪趣味ではないつもりだ。
 誇りとは、自らの胸の内にのみ灯っていればいいもの。
 これまでの結果であり、これからの指針になるはずのものだ。
 まだ十五年も生きていないけど、それがリョーマの『誇り』。
 そう思ってるけど、あの姫は多分違うだろう。
 リョーマが『加護女』となったことで、そして手塚がリョーマに心を砕くことによって、彼女のプライド……『自尊心』は少なからず傷ついたはずだ。
 場合によっては、それが王主催の宴であるにも係わらず、リョーマを辱めるような行動に出るかもしれない。
 例えそうなっても。
(引かない。負けない。動じない……だって俺は国光の加護女なんだから)
 もっともそれは最悪の場合の話。
 無駄な騒ぎは回避すべく、言われた通り不二たちの側からは離れないようにするつもりだ。
 緊張感は、意気込みへと変わっていた。
 けど、過ぎる意気込みはろくなことにならない。
 お風呂に入って心身ともに解すに限る。
「リョーマ様、仕度が整いました。今日は鈴蘭の香玉(こうぎょく)ですよ」
「うん、ありがと」
 頷いて、浴室へと足を向けた。
 天領に来て戸惑うことも多かったが、こちらの風呂はすぐに気に入った。
 といっても、紫電宮のみのことらしいのだが。
 何しろ紫電宮の風呂は温泉だ。
 空中の城塞に何故温泉があるのか、と思ったけれどそれは誰にもわからないのだと言っていた。
 この紫電宮は、初代のころに『七星剣』とともに天帝より北辰王が賜ったものということで。
 天界の建造物の構造は人の身には解き明かせないのだそうだ。
 この温泉の湯は『浄泉』と呼ばれて、入るだけで日々の汚れが清められていくという、便利な代物である。
 冷ましてもその効果が消えることはないので、顔を洗ったり口を濯いだりするのにも使われている。
 つまり石鹸の類を使う必要はないし、歯ブラシのようなものは見たこともない。
 地上では、そんなことはなくリョーマが常識的に思ってきた通りということだが。
 初めて聞いたときには、紫電宮が天のものだというのなら、天界の住人はよほど生臭なのかと、リョーマですら思ったが、いつしか気にならなくなってしまった。
 温泉だからといって硫黄くさくはないし、湯の質も最高だ。
 もともとあちらでは無類の風呂好きだった。
 風呂好きが高じて、趣味の一つが入浴剤集め。
 こちらに入浴剤はないが、代わりに香玉というものを湯の中に落として、微かな芳香を楽しむことができる。
 形状からして、球形のバスオイルのような感じだった。
 籐籠の中に着ていたものを脱ぎ捨てて、浴槽のあるスペースへと足を踏み入れる。
 肌を撫ぜるのは風。
 風呂場は露天仕様なのが、またリョーマを喜ばせた。
 湯気が室内に篭もらないようにするためということだが、大理石を大きくくりぬいた浴槽に、ゆっくりと身を沈める。
 周囲は竹を簾のようにした帳で目隠しされているため、誰かに覗き見られる心配もない。
 内宮の奥まった場所に立っている瑠璃宮には、そもそも人も少ないのでそんな心配こそ無意味だと思うのだが。
 天を仰げば湯煙の向こうに、ほぼ真円を描いている大きな月。
「ゴクラク、ゴクラク♪」
 湯船の中に手足を伸ばして、のんびりとバスタイムを満喫する。
 満月期だから変化している身体。
 さすがに目を背けるようなことはなくなったけど、凝視できるほどには慣れていない女の身体を見下ろした。
 改めてじっくり考えてみると、一番初めに感じた……あの、鏡に映った裸体を見たときに感じた違和感はもう感じない。
 慣れるというのとはやっぱり違う。
 言葉にするならば、馴染んだ……というのが近いだろう。
 どこがどう変わるのかは説明できないけど、本当にちょっとしたニュアンスの差なのだ。
 こういう感覚を積み重ねて、ようやく慣れていくものなのかもしれないと……お湯を透かして見える身体にぼんやり思った。
 存分に風呂を堪能して、上がる前に何度か頭から湯を浴びる。
 こうすることで、髪の毛も洗ったことになるのだ。
 初めは半信半疑だったリョーマだが、毎朝さらさらと櫛が通り、艶さえも増してきたような感じがするので真実なのだと納得した。
 香玉の香りがシャンプーの残り香のようにほんのり香る。
 雫を滴らせたまま部屋に入ると透理や、下手をすると就寝前に顔を出してくれる手塚にしっかりばっちり注意されるので用意されていた布でリョーマにしては丁寧に身体と髪を拭いた。
 パジャマなんて代物はないので、この世界で目覚めたときに着ていたのと同じ浴衣のような寝巻きを着て、やわらかい幅広の紐を結んだ。
 普通は前に結ぶものらしいけど、うつ伏せ寝の傾向があるリョーマは横の位置で結ぶことにしている。
 ちょっと不恰好だけど、寝返りを打ったときにお腹が圧迫されて、うっかり目が覚めるのはごめんだ。
 姿見で一通りチェックしてから、脱衣スペースを出ると……
「リョーマ様」
 衝立の向こうから、透理が顔を出した。
「主上がお見えになっていますよ。お茶をお出ししておきました。何か御用がおありでしたら、お呼びくださいませ」
「うん、わかった。ありがとね」
 手塚が来ている。
 明日のことがあるから、今夜は来られないかもしれないねと不二が言っていたので諦めていたのだが……
 待たせるのがいやなのと、顔を見たいのとで慌ててリビングスペースに向かった。
「国光」
「リョーマ……そんなに慌てると転ぶぞ」
 籐の長椅子にゆったりと腰掛けて、手塚が出迎えてくれる。
「俺、そんなにドジじゃないもん……でも、どうしたの?周助が今日は来れないかもっていってたのに……」
「明日があるから、か?仕事量に大差はないから心配するな。それに休む前に顔を見せにくるのは約束だったろう?」
「うん……でも、国光に迷惑かけるのはいやなんだ……」
 少し視線を逸らして正直に言えば、手塚の表情がさらに穏やかになる。
「馬鹿だな、迷惑なはずないだろう……だが、やはり少し不便だな。まぁ、来月になれば解決される問題だ。あまり気にするものでもないか」
 とくんと強く脈打つ鼓動。
 来月の『誓約の儀』のあとに水晶宮に移るように言われたこと。
 喜びがよみがえって胸を満たすから。
「なら……いいけどさ」
「リョーマ、こっちへ来い」
 手招かれて、湯上りのせいじゃなく微かに頬を紅くしたままで、リョーマは手塚の隣に腰を下ろした。
「なに?」
 首を傾げて問い掛けると、まるで手品のように手塚はベルベッドに似た素材でできた小箱を手のひらの上に乗せてこちらに差し出す。
「これは?」
「開けてみろ」
 言われるまま小箱を手にとって開けてみる。
「あ…………」
 そこにあったのは耳環(みみかざり)が一対。
 楕円形の藍玉(アクアマリン)をあしらった銀細工で、小振りだが一目で上等なものだとわかるほど繊細なものだ。
「明日の正装に似合うと思うんだが……」
 確かに青系統の色で纏められた裳衣には、小さいながらも良く映えることだろう。
 アクセサリーの類は手塚が職人に細かく指示をして作らせたと聞いている。
 なら、これも……手塚がリョーマのために考えてくれたものなのだ。
「初めての耳環は、俺につけさせてくれると約束してくれたろう?いま、果たさせてくれるか?」
「……うん」
 自分から言い出したことだ、いやだなんていうはずがない。
 怖くないわけではないけれど……喜びと比較すれば、そんなのは些細なことだ。
「不二に頼んで金具の部分に術を施してもらった。だから傷はすぐに塞がる」
 治癒術は高等法術の一つだ。
 不二くらいの法力があれば傷を塞ぐのも朝飯前だろう。
 ただし、法術でできることは外的な傷を塞ぐことぐらいなのだそうだ。
 病気の治療は、やはり医学の分野らしい。
 唯一の例外を除いて。
 その例外こそ『加護女』。
 覚醒すれば病を治すことも無理ではない……と言われていると不二が教えてくれた。
 加護女は生きる力そのものに働きかけることができるから。
 でも滅多に使われることはない。
 文献にも、過去三度の例しかないと教えてくれたのは乾。
 実際はもっと多いかもしれないが……そういう力は、むやみに使ってはいけないものなのだろうとリョーマにも理解できた。
 強大な力を持つということは、自分をセーブすることができなければ危険なもの。
 不二も……そして多分手塚も、そうしている。
 それはこれからの自分にも求められることなのだ。
「リョーマ?」
 訝しげに声をかけられて、はっとして笑顔を返す。
「なんでもないよ。心の準備はできてるから着けてよ。痛いの一瞬なんでしょ?」
「まぁ、それはそうだが……痛いのがいやなら、少しの間だけ感覚を麻痺させる呪符も作ってもらってある。使うか?」
 それにはふるふると首を横に振る。
 手塚がくれるものなら、例えそれが痛みでも覚えていたいと思うから。
 物も感情も感覚も思い出も、なにもかも。
 全部大切にしたい。
「大丈夫だよ。俺、注射でも泣いたことないもん」
「注射?」
 こちらで薬と言えば、飲み薬か塗り薬が基本だ。
 血管に直接薬を注入すると言う概念そのものがない。
「えっとね……腕とかの太い血管に、注射器って言う道具を使って薬を直接入れるの」
 リョーマの知る言葉で説明すると手塚は軽く眉を寄せた。
「それは……効くのか?」
「うん。病気とかの種類とか、薬の種類もあるけど俺のいた世界では、ものすごく一般的な治療法だよ。伝染病の患者なんかにはワクチン……えと、えと……抗体?を打つし、予防接種っていうのもあってそれを打てば何種類かの病気は予防できるんだ。筒状になってる細いはりを血管に刺すんだよ。大抵一瞬で終わるんだけど……小さな子は怖くて泣く子もいるし、大人になっても苦手なやつはいるけど、俺は平気だったから」
「そうか……リョーマ」
「ん?」
「今度ゆっくりおまえの世界の話を聞かせてくれ。政治形態や、医学や歴史。そのほかにもたくさん……この世界でも使えることが見つかるかもしれない」
「それはいいけど、でも俺が知ってることなんてたかが知れてるよ。詳しいことは話せないと思うし」
「構わない。あくまで参考にするだけだ……そこからよいものが見つかれば見当する。そのときはおそらく……乾や大石も話を聞きたがると思うから無理矢理同席するだろうがな」
 確かにあの二人なら、そうかもしれない。
 向学心と探究心旺盛な乾と、手塚に負けず劣らず勤勉な大石。
 想像するとおかしくてリョーマはちょっと笑ってしまった。
「俺で話せる範囲ならね」
「頼む……じゃあ、リョーマどちらかの耳をこちらに向けてくれ」
「ん」
 頷いて、まずは左耳を差し出す。
 耳朶を探るように触れてくる手塚の指。
 少しくすぐったかったけど、それは我慢。
 じっとあたりをつけたらしいところを見つめている視線が熱い。
 一点に触れる金具の感触がした……そう思った次の瞬間には、ちくんと、注射なんかとは比べ物にならないくらい痛みを感じたけどそれも我慢できた。
「大丈夫か?」
「うん、もう痛くないし。さすが周助。じゃあ、もう片方も!」
「あぁ」
 右の耳朶にも同じ、一瞬の痛み。
 それもすぐに消えてしまったけど。
 手を伸ばして触れてみる。
 両方の耳朶に固い感触。
 手塚がつけてくれたビアス。
 嬉しくて……顔が自然と綻んだ。
「ありがと、国光」
 そう言うと手塚は、うっとりするような笑顔で微笑んでくれた。
「よく似合ってる」
「へへ……俺も頑張って国光の耳環、作るから!待っててよね」
「楽しみにしてる」
 元になるものは、すでに透理の本性である李の枝から切り出してある。
 親指の爪くらい大きさの正方形の四角柱。
 それを二つ、乾ききるまでは次の作業には移れない。
 乾いたら、鑢を使って形を球形に整え、紙やすりでさらに磨いて金具を取り付けたあと顔料を混ぜた樹脂を塗るのだ。
 均等な大きさにするのが難しそうだが、リョーマはやる気満々だった。
 早く手塚に渡したい。
 彼の耳に付けるのが実は自分が付けてもらうことよりも怖かったけど……それが叶ったらどれだけ幸せだろう。
 だから頑張るのだ。
「今日はこれで失礼する」
「え?もう?」
「あぁ。いよいよ明日、だからな。おまえも早く休んだほうがいい」
 名残惜しい気持ちはあったけど、そう言われては仕方がない。
 来てくれただけでも本当に嬉しかったから。
 リョーマは素直に頷いた。
「はい。お休み、国光」
「お休み、リョーマ。よい夢路を」
 優しく表情を和ませて退出していく手塚の背中を見送りながら、何があっても手塚に恥をかかせないように、精一杯やろうと……リョーマは決意を新たにした。


続

  • 2012/01/18 (水) 04:02

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