庭球小説

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三章 梔涙月・壱

 梔涙月二日。
 先月の末頃から長雨が続き、久しぶりに太陽が姿を見せた午後。
 瑠璃宮の中庭には、高らかな金属音が響き渡っていた。
「ほいっと」
 身ごなしも軽く、宙を舞うように一撃を繰り出したのは菊丸。
 彼のに手にあるは、鉄扇と言う……文字通り鉄で作られた扇である。
 通常の扇より一回りほど大きいだろうか、鉄色に鈍く輝くそれは、暗器と呼ばれる種類の武器だ。
 開けば繊細な細工の施されているそれは、一見したところ武器には見えない。
 だが一度畳めば、強力な打兵器となり得る。
 一見すれば武器とは見えず、服の中などに隠し持てる武器を総称して暗器というのだが、菊丸はその暗器の達人なのだ……と話には聞いていた。
 優雅な舞踏のように、呼吸する間もあらばこそ鉄扇を操る菊丸に、達人であるというのはけっして誇大表現でないのだと、リョーマは思った。
 彼の相手をしているのは、がっしりとした体躯の青年。
 菊丸の攻撃を隙なく手にした剣で受けながら、だがしかし油断できないだろうことが伺える。
 青年はけっして弱くはないはずだ。
 何しろ彼は、剣自身……なのだから。
 数百年前の高名な刀匠によって鍛えられた一振りの剣。
 しかしその存在はいつしか忘れられ、宝物庫の片隅で銘が読み取れないほどに古びていった、それを見つけたのはリョーマだった。
 夢に見た。
 たくさんの武器や宝物が眠る蔵で、箱にさえ収められていなかった剣を手にする自分の夢を。
 不二にそれを話したところ、それは『夢見』の夢で、いくつもある未来の可能性の一つを垣間見たのではないかと、解いてもらった。
 未来はけっして決まっているものではない。
 現時点の分岐から、未来は如何様にも変化する。
 いくつもの分岐。
 いくつもの可能性。
 あるいは過去の断片。
 それを夢に垣間見ることを『夢見』という。
 法術師が鍛錬を重ねて、占術の一つとして習得する場合もあれば、生来のものとしてその能力が授かっている場合もある。
 先天性の『夢見』能力者であっても、修行をしなければ、その夢はあまりに漠然としすぎて意味をなさないのだそうだが……
 歴代の『加護女』の中にも、その任につくことで自らの内に埋もれていた『夢見』の能力を開花させたものが多数いるそうで。
 たぶんリョーマもそうなのだろうというのが、不二や乾の見解。
 最もいつでも望むときに、未来を暗示する夢が見れるわけではないらしい。
 それが占術として『夢見』を学んだ者との違い。
 初めて見た『夢見』の夢は『兆夢(ちょうむ)』といい、その『兆夢』の示すまま、不二と菊丸に伴われて向かった宝物庫。
 リョーマは不思議な確信をもったまま、埋もれていた剣を見つけた。
 その感覚は、透理を式神に降したときに酷似していて。
 だから躊躇わなかった。
 鞘から抜いた刀身は、錆すら浮いていたけれど……そっとリョーマが手を翳しただけで在りし日の白刃を取り戻した。
 探るように指を触れさせれば、そこには確かに『魂』の存在を感じた。
 故郷でも、古いものには魂が宿る……という話を聞いたことがあったリョーマは、この剣もそうなのだと確信して。
 名を与え、姿を与えた。
 式神・冥刃(みょうじん)。
 これまで樹木の精霊しか式神に降したことのなかったリョーマだが、冥刃は初めての『魂を得た無機物』を本性に持つ式神である。
 いかにも武人という風情の人型を持つ式神は、本性が剣だけあって、その剣技はかなりなものであるのだが。
 それに拮抗し、時に圧倒する菊丸の体術も生半可なものではない。
 一進一退の攻防。
 金属のぶつかり合う音は、いつ果てるともなく続くかと思われた。
「それまで!」
 断固たる声が審判を下す。
 その声は乾のもので、菊丸と冥刃は静かに武器を引いた。
 砂時計の砂が落ちきるまでの、時間制限付きの試合だったのだ。
「引き分けかぁ」
 残念そうに肩を竦める菊丸に、式神は苦笑を浮かべる。
「流石、いざ事あらば星神を御身に降ろされる方ですな。一筋縄ではいかぬ、感服いたしました」
「んな、畏まる必要はないって。でも、ちゃーんと決着はつけたいから、いつか再戦してくれよな」
「望むところです」
 笑いながら一礼して、二人はリョーマたちの所に戻ってきた。
 梔涙月は、天帝が慈悲と恵みの雨を地上に施す月。
 優しい長雨が続き、それを人々は天涙という。
 日本の梅雨に似ているが、湿度が高いわけでは決してなく、木々や大地を潤すまさに慈雨というに相応しい雨だった。
 しとしとと世界を濡らす天涙は、この時季咲き誇る梔子の香り甘く漂わせる。
 先月の終わりから降り始めた長雨の、気まぐれのような晴れ間。
 午前中で執務を片付けた手塚が、七星剣の仲間と誘い合わせ、瑠璃宮の中庭で内輪の試合を催したのだ。
 もちろん、リョーマを退屈させないために。
 雨は嫌いじゃないけれど、こう長く続くと外に出る機会が減って室内に篭もることが多くなるため、それはそれで楽しいけどほんのちょっと退屈の虫が騒ぎ始めていたのも確か。
 手塚のそんな気遣いはとても嬉しかったし。
 菊丸はもちろん、その他の私官たちの剣術や体術もまるでカンフー映画を見ているようで、リョーマは先ほどから瞬きする間も惜しく見入ってしまった。
 一番手は、乾と海堂。
 青竜刀を得手とする海堂の動きは、まさに竜の如く変幻自在であったが、対する乾も負けてはいない。
 本業は歴史学者の癖に、実に正確無比に剣を操るのに、感嘆を通り越してリョーマは呆れた。
 私官の名をいただくもの、それくらいは当然というのが乾の弁。
 冥刃も言っていたが、北辰王の私官には、諸官の監視役や王の補佐の他にも大切な役目がある。
 天界の将軍としての北辰王。
 天軍を統べる将軍位は三つ。
 太陽を象徴する日天(にってん)将軍。
 月を象徴する月天(がってん)将軍。
 そして、星々を象徴し、それを配下とする星天(せいてん)将軍……それが北辰王の天界での御位。
 日天・月天両将軍は天界に在り、地上に干渉してくることは滅多にないが、星天将軍である北辰王は地上における天帝の代理人として世界の理を乱すような事態がおこったとき、必要とあらば天軍を用いてそれを治めなければならない。
 天帝より預けられた天軍……その直属の配下こそ、北斗七星それぞれの星……七星剣と呼ばれる星神。
 天の存在は、人の世界で実体を持つことはできない。
 時間の流れが違いすぎるからだ。
 人の世界の百年が、天の一日と俗に言われている。
 それゆえ北辰王が星神たちを使役するためには依代が必要なのだ。
 私官本来の意味はそこにある。
 天の存在の依代になるには、やはり強い精神力……魂と心が必要だ。
 でなければ星神に呑まれ、依代は『個』としての自我を失う羽目になる。
 だからこそ、王が自らの目で見定め、その器量有りと判じたものを私官に任じる。
 勘違いしている者も多いが、けっして特権を与えられた名誉職などではない。
 いざというときは星神を降ろして戦うことになるのだから、現実問題として武術の基礎値……心得がないというのはお話にならないということらしい。
 いくら精神力が強くても、身体がついていかなければ戦闘に際して本末転倒だ。
 手塚が最強にして至高といわれる所以も、何も王として有能だからだけではなく、七星神すべてを降ろせるだけの私官を得ているから。
 たった七人と侮ってはいけない。
 七星神が揃えば、一日と待たずに地上を制圧、あるいは灰燼に帰すことが可能といわれている。
 全ての星神を揃えることが可能だった北辰王は、初代以来。
 それだけの人材を自らの眼で選ぶことができた、というのは人徳がある証明のように民には思われるため、手塚はますます尊崇を集めることとなったのだ。
 日頃政に携わって、鍛錬の時間に劣るせいか軍配が海堂に上がった試合のと、その剣技にいまだ驚いていたリョーマに乾はせつせつとうんちくという名の説明を聞かせてくれた。
 二番手は桃城と河村。
 技と言うより、力勝負の二人の試合の迫力もものすごかった。
 腰に佩くのではなく、背中に担ぐしかないような大剣を軽々と振るう桃城に、己の身長とさほど変わらぬ長さで、重量も自身より重いだろう大刀を操る河村。
 何合と打ち合う剣戟も一際重く腹に響いた。
 今まで半信半疑というより、ほとんど信じていなかった河村の豹変も目の当たりにして、心底驚いてしまった。
 この試合の勝者は、河村。
 そのくせ不二に出迎えられた途端いつもの彼に戻って、リョーマはその落差に笑うしかない。
 三番手が、菊丸とリョーマの式神・冥刃だった。
 これは時間切れの引き分け。
 戻ってきた冥刃は、透理と共に静かにリョーマの背後に控えている。
 菊丸は……大石に労われていて、今は声をかけるのもお邪魔になりそうだ。
「周助は、参加しないの?」
 傍らで、自分と共に観戦を決め込んでいる彼に声をかける。
 そう、彼。
 今は新月期なので、不二も男性体なのだ。
 見慣れた莎麗姿ではなく、男物の長袍を身につけている。
 菊丸同様違和感があるわけではない。
 とても自然に受け入れられるのだけれど、普段の衣装とあまりに違うのと、女性体である時間のほうが長いので、どうにも見慣れない感じがする。
 いずれは……慣れることとは思うが。
 法術だけでなく、武術も得意だというから試合に参加してもおかしくないのに。
「うん……今回は、遠慮させてもらうよ」
 微笑む顔が、いつもと違う。
 なんだか無理をしているようだ。
「周助、具合悪いの?」
 心配になって問い掛ければ、彼はゆるゆると首を横に振った。
「大丈夫だよ。前に説明しただろう?男でいるときは、陰の気が少しばかり不安定になることがあるって。そのせいで本調子が出ないだけ。病気とかじゃないから……でも、心配してくれてありがとう」
 そうは言うけど、胸に落ちた染みのようなしこりが消えることはない。
 不二は存外頑固で、だからこれ以上何か言っても無駄だとは思うのだけど。
 ちらりと視線を河村に向ける。
 すると彼は、リョーマの意図を察して小さく頷いた。
 河村が気付いていて、気をつけてくれているなら……とりあえず一安心だ。
「さ、次は大石と手塚だよ」
 リョーマの心配を払拭するように、不二が明るい口調で言う。
「二人とも剣を握るのは珍しいからね。よく見ておくといいよ」
「うん」
 暗い顔をしていたら、不二の気を病ませてしまうかもしれないから。
 リョーマも明るく頷き返した。
「大石、負けちゃダメにゃ!」
 菊丸の声。
 視線をそちらに向ければ、彼は恋人に活を入れている。
 対する大石は。
「うん、まぁ、努力するよ」
 と苦笑気味。
 手には長槍を持っている。
 大石は槍の使い手らしい。
 本人のイメージに適っていて、リョーマは口元を綻ばせた。
 そして手塚はというと……
 不二とは反対側の隣の席から、静かに立ち上がった。
「リョーマ」
「なに?」
「これを預かっていてくれ」
 そう言って腰に佩いていた七星剣をリョーマに差し出す。
「えっ……でも、それじゃあ国光はなにを使うの?」
「乾に剣を借りる。七星剣を一対一の勝負……しかも普通の武器相手に使うわけにはいかない。これは力ある神器だからな。勝敗を決する以前に、相手の武器を弾き飛ばしてしまうんだ」
「そうなんだ」
 神器と普通の武器では、それだけで相当なハンデということなのだろう。
 リョーマは北辰王を象徴する剣を、大切そうに腕に抱えた。
「ねぇ……頑張ってね」
「加護女の声援を受けては、負けられないな」
 軽く目を眇めて応じるのに、勝気に微笑み返す。
「乾、剣を貸してくれ」
「あぁ……おーい、菊丸。大石をそろそろ離してやれ。でないといつまでも試合が始められないからな」
 乾は手塚に剣を渡しながら、菊丸にからかい雑じりの言葉をかける。
「何でそんな言い方するかなぁ。乾、性格悪いにゃ」
「いまさらだ」
 分厚いレンズの眼鏡に阻まれ、伺えない表情。
 乾は口元だけでにやりと笑い返した。
「二人とも、準備はいいかい?」
 中庭の中央に進み出た二人が頷く。
 大石は槍を、手塚は剣を静かに構えて……
「それでは……勝負、始めっ」
 乾の掛け声で試合が始まる。
 剣を握ることが珍しいという二人の試合。
 リョーマだけではなく、そこにいる全員が固唾を飲んで見守っていた。
 静寂。
 二人とも手の内を探りあうように動かない……緊張感だけが高まっていく。
 いつも温和な表情の大石の顔が、常とは違う鋭さを覗かせているのがリョーマには意外だった。
 大石だけではない。
 手塚も。
 有能な王の顔から、天界の将軍の顔へ。
 鍛えられた美しい白刃を思わせるような気配を身に纏って。
 きりきりと胃の痛くなるような時間がどれだけ続いただろう。
 ひょっとしたら、そんなに長い時間ではなかったのかもしれないけれど。
 そのときは、緊張の糸が限界まで張り詰めた瞬間に訪れた。
 先に動いたのは大石。
 いつ踏み込んだのか、判別できないほどの素早さで槍先を繰り出す。
 たぶん、普通の人間だったら反応できずに貫かれていたに違いない。
 手塚は、それを読んでいたように余裕を持ってかわした。
 そしてリーチの差などものともせずに、絶妙の間合いで切り込んでいく。
 演武のように美しい型で、激しい打ち合いを演じる二人に、みな声もない。
 綱渡りをしているかのような攻防が続く。
 しかし、手塚のほうにはまだ余力があるようだった。
 突き出された槍、その柄を深く脇に抱え込み、大石の身体を反転させてしまったのだ。
 咄嗟に大石は体制を立て直そうとしたけれど……
 手塚の動きの方が数瞬早い。
 躊躇することなく懐に踏み込み、下段に構えた剣をそのまま振り上げ、大石の手に握られていた槍を弾き飛ばしたところで勝負はついた。
 主の手を離れた槍は、宙を舞いそして地面に突き刺さり……
「ま……参った」
 切っ先を寸止めされて、大石が負けを認める。
「勝負あった!勝者・手塚!」
 乾の声に、手塚は剣を収め、地面に腰を下ろしてしまった大石の手を取って立たせた。
「……やっぱり手塚には敵わないな」
 肩を竦めた大石に、手塚は不敵な笑みを浮かべる。
「そう簡単に勝たれては、俺は北辰王の位を天に返上するしかなくなるからな」
 あれほど張り詰めていた緊張が、ようやく緩んだのを一瞬遅れて自覚し、リョーマは息を吐いた。
 手に汗握る、というのを目の当たりにして。
 身動き一つならなかったのだから。
 それは他の面々も同じようで、桃城などはしきりにすげぇを連発しているし、海堂はなんだか呆然としたままだ。
「あれで実力の半分も出していないんだから、堪んないよね」
 やれやれとでも言いたげに不二が呟く。
「そ、そうなの?」
 あれでも充分すごいのに。
「そう。手塚が本気を出せる相手は滅多にいない。天界の将軍ということは、すなわち人の世に比類なき武人ということだからね。手塚を負かした人間を僕は二人しか知らないよ」
「誰っ?」
「先代の北辰王と、その加護女。つまり手塚のご両親だよ。最もあの頃は手塚も少年だったし……今だったら、どうかな?互角か上回るかもしれない」
「ふーん……国光のお父さんはわかるけど、お母さんも強い人だったんだ」
 その言葉に、不二はくすくすと笑った。
「強い人……うん、確かに。あらゆる意味において強い御方だったよ、鈴鹿様は。少なくとも僕がこれまで出会った人の中で『無敵』という言葉が最も相応しいと思う方だから」
 何を思い出しているのか、好意的ではあるものの含みのある物言いにリョーマは首を傾げる。
「機会があったら手塚に聞いてご覧よ。お母上がどんな方だったかね」
 小刻みに肩を震わせて笑いを堪えようとしているので、疑問は深まるばかり。
 本当にいったいどんな人だったのだろうか。
 俄然湧いてきた興味に、いつか手塚に聞いてみようと思った。
 不二のこの有様から、ひょっとしたら彼自身は遠慮したい気分になるかもしれないと予感がするのだけれど。
『誓約の儀』が終わって、もう少しゆっくりお互いに時間が持てるようになったら。
 そう心に決めて、戻ってきた手塚を出迎える。
「お疲れ様。国光、すっごく強いんだね。かっこよかった!」
「そうか?リョーマに誉めてもらえるなら、たまには剣を握ってみるかな」
「ほんとっスか、手塚さん。そしたら俺!俺と手合わせしてくださいよ!!」
 それは聞き捨てならないとばかりに桃城が名乗りをあげる。
「……すぐ負けて手合わせの意味がないのがおちだろうが」
「んだとぉっっ」
 海堂の言葉に、すぐさま噛み付くのはいつもの光景。
 手合わせしてもらいたいのは、桃城ばかりではないらしい。
「確約はできないが、そのうちにな」
 そう言って、手塚がリョーマを見下ろす。
 優しい眼差し、胸がぎゅっとなりながら、預かっていた七星剣を彼に返す。
 その瞬間、触れ合った指先に心臓が大きく高鳴った。
 それは何故なのか、思う先から胸がいっぱいになって何も考えられなくなる。
 もっとちゃんと考えたいのに。
 それは久しぶりに太陽が顔を覗かせた日の午後のこと。
 いつもよりほんの少し特別な、けれど変わらぬ日常。
 熱くなりかけた頬を一陣の風が弄った。
 それは一瞬のことだけれど、とても強い風で……
 予感。
 微かに淡く……胸に落ちた染み。
 だからリョーマは、自分自身を安心させるように、己の半身の端正な顔を見上げた。


続

  • 2012/01/18 (水) 04:08

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