庭球小説

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三章 梔涙月・拾壱

 遠ざかっていく天城の足音を聞きながら、リョーマは涼華と向き合っていた。
 意識が戻ったといっても、血の呪檻のおかげで全身に怨嗟の念が絡み付いているようで、立ち上がることはできない。
 固い石の床に横たわっていたせいもあるだろう。
 いくら時流が緩慢になっているからと言って、身体にいいわけがないし。
 座り込んでいる視性から見上げ続けるのはけっこう疲れる。
 いいかげん首が痛いと思って、俯きかげんに溜息を付いたとき、嘲るような涼華の声が耳を打った。
「ようやく己の状況を自覚できましたの?」
「?」
やれやれと思って再び見上げれば、開け放たれた扉から届く光に涼華の顔がくっきりと見えた。
 相変わらず、しっかり化粧の施された顔。
 それは彼女の造作の美しさを引き立てているが、リョーマはそれを『綺麗』だとは思わない。
 己の上位を疑わず、蔑むような眼差しは、せっかくもって生まれた美貌をおおいに損なっていると思うから。
「あなたは『加護女』。それは認めましょう。天鈴はあなたの腕から離れなかった。妾の手を拒んだのです……仕方ありませんわ」
 ということは、自分が意識を失っている間に、腕にはまっている天鈴を奪おうとしたのか。
 リョーマは左手首に視線をやる。
 北辰王の七星剣と対になっている天鈴。
 加護女たる証のそれは、水晶でできた鈴を連ねた腕輪。
 材質、細工ともに人の手によるものでないことが明らかな神器だ。
 常であれば五色の光を放っているそれは、血の呪檻の影響か、暗く翳り曇っている。
 五行の巡らない場所では、覚醒していない自分に、この神器の力を発現させることは不可能なのだ。
 射るような視線を感じて、顔を上げる。
 気に入らない、涼華の顔はそう言っていた。
「まぁ、あなたのような下賎のものが、『加護女』に選ばれただけでも良しとすることですわね。例えこれから先、ただ生きているだけの器と成り果ててもこれほど名誉なことはないのですもの。あなたのような子供はただの飾り物で充分……妾が隣にいるほうが、官も民も安心しましょう。家柄も、美しさも、年齢もなにもかもがあの方に相応しいのは妾の方なのですから。あの方がそのことに気付くのだって、時間の問題……そしたらあなたは、あの方にとっても国を統べるためのただの道具に過ぎなくなるのですわ」
 涼華が自信ありげに語る言葉は、リョーマに哀れみしかもたらさなかった。
「そうかな?あんたを選ぶほど国光は趣味悪くないと思うけど」
「なっ、なんですって!」
「国光が……俺以外の誰かを選ぶとしても、それは絶対あんたみたいな人じゃないのだけは確かだよ。それに別の誰かのことを一番好きになって、大切にするようになっても、あの人は他の人間を道具扱いするような人じゃない」
 口ではきっぱり言い切っても、胸の奥が軋んで痛い。
 手塚の隣に、自分でない誰かがいることを想像するだけで苦しくなってくる。
 手塚を好きだと想う気持ち。
 多分なにがあっても、リョーマは手塚への恋心を捨てることはできないだろう。
 誰よりも彼を信じている、絶対の信頼と同じように。
 けれど、これから先、どうなるのかはリョーマの心ではなく、手塚の心にかかっている。
 だからこの胸は、痛むのだ。
 それを堪えて、リョーマは涼華をひた、と見つめる。
 どんな言葉で揺さ振られようとも、いま自分が信じるべきは彼女の言葉ではなく、手塚の心であり、自分自身の心なのだということ。
 証だと思う。
 目には見えないけど。
 自己満足かもしれないけど。
 睨むわけでなく、ただ静かに見上げる眼差しに、涼華は気圧されたようにたじろいだ。
「国光が、あんたを選ぶことはないよ」
 最後通告のように、淡々とした口調で言い切ったのに、彼女の自尊心はいたく傷つけられたのだろう。
 それ以前に、ただの下賎の子供と思っているリョーマに気圧されたことも涼華にとっては我慢ならないことだったのかもしれない。
 頬に痛みが走った。
 涼華に平手打ちされたのだ。
 蝶よ、花よと育てられた貴族の姫。
 渾身の力でもたいしたことはないが、彼女の指にはいくつもの戒指が嵌められており、金具の部分が頬を引っかいて一筋の傷を作ったらしい。
 痛みを感じて伸ばした指先に、血がついたから。
 伝い落ちてくる感覚はないので、滲んでいるだけだろう。
「お黙りなさいっ。あの方に相応しいのは妾だけですわっ。妾だけが、あの方に愛される資格があるのです。御名を呼ぶことを許されているからといって思い上がりも甚だしい……あなたには『加護女』としてしか意味がない。北辰王の伴侶として大切にされるべきは、妾以外にありえないっ」
 切羽詰ったようにまくし立てる涼華を、リョーマは哀れまずにいられなかった。
 誰かを哀れむことは嫌いだ。
 共感や同情とは違う、対等の立場からではなく、自らを高みに置いて優越感に浸っているような気がして……そんなのは好きじゃないから。
 そのはずなのに、今涼華に向けている感情は、怒りよりもなによりも、憐憫としか形容ができない。
「そんな目で妾を見るのはやめなさいっ」
 リョーマの己への感情を敏感に感じ取ったのか、先ほどとは反対側の頬を叩かれた。
「……あんたは、かわいそうだね」
 独り言のように呟く。
「あんたは、何かしてもらうこと、与えられるのを当然と思ってる……誰かに何かしてあげたいとは、思わない?誰かのために何かしたいと思わないの?」
「何を言って……」
「俺の言ってる意味がわからない?あんた、自分が『加護女』になるって信じてたみたいだけど、その意味を本当にわかってた?」
 自分だって、全てを知ってるわけじゃない。
 多分、わかっていることの方が少ないだろう。
 ただ、天帝の代理人だからと言って北辰王はこの世界を思いのままに統べる存在ではないし、その半身だからと言って加護女はなんでも我儘を叶えてもらえる女王ではないのだ。
 傅かれることを当然と思うような存在ではないし、またそれはあってはならない。
 涼華が夢見たであろう『加護女』とは、その実像から遠くかけ離れているだろうことは想像に難くなかった。
「あんたにとって国光の意味は何?もし国光が北辰王でなかったら、あんたは国光をどう思ったの?」
「主上が北辰王でなかったら……ですって?馬鹿なことを仰るのね。北辰王は、北辰王じゃないですの」
 それ以外に何か意味があるのかと、馬鹿にするような視線に、リョーマは悲しく目を伏せた。
「あんたにとっては『北辰王』が『手塚国光』なんだね……『北辰王』の伴侶になって誰からもちやほやされるのだけが望みで、それ以外に意味はないんだ……」
「それがどうしたって言うんですの?北辰王は至高の存在。その伴侶には、妾こそが相応しいのですわ」
「…………俺は別に、『北辰王の伴侶』ってのには興味ない」
「え?」
 信じられないことを聞いたとでも言いたげに、涼華は首を傾げる。
 虚を突かれたのか、その表情は年相応の少女の驚きだった。
「俺は『手塚国光』が『北辰王』だから、あの人の『加護女』になりたいって思った。その権利を俺にくれた誰かがいるなら、感謝してもし足りないよ。国光だから、傍にいたいし、俺で力になれるならそうしたいって思える。国光が好きだよ。世界で一番大好き。でもそれは、国光が北辰王だからじゃない。手塚国光だから、だ。たまたまあの人は北辰王だっただけ。あの人の隣にいられて、あの人を支えることができるなら、俺はそれでいい。それが『加護女』って言う天命だったんだ。今の俺たちは『北辰王』と『加護女』だけど……どこの世界で出会っても、どんな立場でも、国光が国光なら俺は誰よりも何よりもあの人を選ぶよ」
 存在する全て世界の中で、彼こそが唯一無二。
 唇から零れ落ちた言葉に、リョーマは改めて気付く。
 あぁ、こんなにも。
 こんなにも自分は、手塚のことが好きだったのかと。
 この世界に自分を召喚してくれた誰かに、心から感謝する。
 そして『北辰王』と『加護女』という絆を結んでくれた誰かにも……その気持ちは、とても言葉になんてできない。
 止め処なく溢れてくる想いが、全身に染み渡りリョーマを強くしてくれる。
「俺は俺の全てで国光を支えたい。幸せにしたい。大事にしたい……あんたは?あんたはあの人に、何かしたいとは思わないの?答えてよ」
 その眼差しに涼華への哀れみはすでになかった。
 淡青色の瞳にあるのは、勝気な光。
 絶対に負けるはずがない、と言う断固たる意思を込めて、歪んだ思い込みに凝り固まった少女を見上げる。
「それは……っ」
「答えられないの?」
「…………っっ、黙りなさい。おまえのような下賎の半陽に意見される謂れはありませんっっ」
 涼華は明らかに混乱気味だった。
 彼女にとって、リョーマが語る言葉は理解しがたいものなのだろう。
 人が理解できないものにぶつかったときに取る選択肢は、多くはない。
 理解しようと努めるか、拒絶するか。
 曖昧にしたままお茶を濁したりする場合もあるが、大抵はこの二つだ。
 涼華は……後者のようだった。
「国光を想う気持ちなら誰にも負けないよ!『北辰王』しか見てないあんたは、その時点で他の誰より俺に負けてるんだ」
「黙りなさいと言ってるでしょう」
 涼華の手が振り上げられ、リョーマの頬に懇親の力で打ち下ろされた。
 じんじんと疼く頬。
 頬は赤く腫れているかもしれない。
「おまえなど……おまえなど、主上にもう二度と会えぬような身体にしてやるっっ」
「何をするっていうのさ。俺に何かするってことは、呪詛を受ける覚悟があるってことだよね。そしたら、あんたの父親の野望とやらは水の泡だ」
「そんなことはどうでもいいっっ。おまえだけはどうにも気に触るっ。おまえがいるから、主上は妾を選んではくださらなかったのよっっ」
 意のままにならぬリョーマという存在。
 理解など到底できない半陽。
 リョーマの言葉によって追い詰められた涼華は、己が望むもの以外全て拒絶し、正常な判断をなくしかけていた。
 本能では、自分がリョーマに劣り、人間として敗北していることを悟ってしまっているから。
「そんなに主上を恋い慕っているのであれば、主上以外に汚されるはどれほどの屈辱でしょうね」
「…………」
 涼華が何を言いたいか、何をしようとしているかはわかった。
 リョーマが幼少期を過ごしたアメリカでは、悲しいかなその手の事件は子供にも珍しいものではなかったからだ。
「主上も汚れた加護女などに用はなくなる。傷物を大事にしておく必要などないのですもの」
 いいことを思いついたように微笑み、外にいる見張りの者たちを大声で呼ばわる。
 ほんの少しの間の後、足音が複数近付いてきた。
 現れた男は三人。
「おまえたちにこの半陽をくれてやりましょう。好きになさい」
「よろしいのですか?」
 それは加護女にそのようなことをしていいのか、と言う意味なのか、それとも当主たる天城が虜囚として捕らえているものをその娘の一存とはいえ自分たちがどうこうしていいのかという意味なのか。
 リョーマには図りかねた。
「構いません。妾を侮辱した報いです。思う存分可愛がっておやりなさい」
 仮にも貴族の姫が、外道のような振る舞いを……とリョーマは半ば呆れた。
「何を期待してるのか知らないけどね、国光はこんなことで俺への態度を変えたりしない。俺も犬に噛まれたみたいな出来事であの人から離れたりしないよ。国光のこと、信じてるもん。どっちかって言うと、ばれたらあんたの方が軽蔑されると思うよ」
 自らに降りかかる災厄を予感しても、リョーマは気丈に言い放った。
 本当は怖い。
 怖いと言うより、手塚以外の誰かに……そう思っただけで嫌悪感でいっぱいになる。
 手塚の元に帰ったとき、このことがトラウマになったらどうしよう……
 侵食していく不安に負けないように、きつく涼華を睨み据えた。
「おまえたち、さっさとその半陽を黙らせてっ」
 悲鳴同然の涼華の声に、男たちの目に獰猛な光が宿るのを見た。
「まぁ、俺たちとしてもいたいけな子供をどうこうするのは気が引けるが……なにぶん主人の命令には逆らえなくてな。悪く思うなよ」
 言いながらも、笑みを口元に刷いて男たちが近付いてくる。
「まぁ、子供とはいえたいそう別嬪さんだ。役得ってやつかぁ?」
「なぁ、誰が初めになる?」
 死ぬほどの目に合えばいい。
 成り行きを見守っている涼華の目がそう言っていた。
 泣き叫び、許しを請うのを望んでいるのだとしたら、けっしてこの恐怖に屈したりしない。
 それでも何とかそのときを引き伸ばそうと、後退しようとしたリョーマの身体から力が抜けていく。
 怨嗟と死の念が練りこまれた血の呪檻。
 涼華と男たちの負の思念によって、効果が増幅し、リョーマへの拘束力が強まったらしい。
(……こんなときにっ……)
 言葉にしたつもりが、音声にならなかった。
 また拡散していこうとする意識を必死に繋ぎとめようとしているリョーマの胸元に男の手がかかる。
 抗うことも叶わない。
 霞んでいく視界……辛うじて機能しているのは、聴覚と触覚のみ。
 何かを引き裂くような音。
 肌が空気に晒される間隔に、胸元をあらわにされたのだと悟る。
「随分大人しいな。諦めたのか?」
「まぁ、無駄な抵抗はしないってのは、利口な判断だなぁ」
 生臭い息が近付いてくるのに、激しい嫌悪感が込み上げて……
(……や……やっぱりヤダッ……国光以外の人になんて……ぜったい……ぜったいヤだよっっ……国光、くにみつっっ)
 助けて、と心が悲鳴をあげた。
 まさにその瞬間。
 耳朶が燃えるように熱くなった。
 それは一瞬の出来事。
 知覚した次の瞬間には、もう何も感じなくて……
 どうっと、何かが床に叩きつけられる音を聞いた。
 その途端朦朧と仕掛けていた意識がはっきりとしてきて……絡みつくようだった呪力も軽減していた。
 目を開けると、男たちが床や壁に叩きつけられたのか、昏倒している。
 涼華は……呆然とリョーマを見下ろしていた。
 あの一瞬、目には見えない力が男たちを弾き飛ばしてくれた。
 それが誰の力なのか、わからないリョーマではない。
 両方の耳朶に、そっと手を伸ばす。
「……くにみつ……ありがと……」
 手塚がくれた、ピンク色の真珠の耳環。
 リョーマが彼に贈ったものと同様に、この耳環には守護の力が込められていたに違いない。
 普段使いのものだから、余計にリョーマの身を案じてそうしてくれたのだろうか。
 そしてリョーマが、真実絶体絶命と感じたときにのみ発動するように……
「何で……どうしてですの……」
 ぶつぶつと呟く涼華の声に重なるように、遠くから聞こえてくる足音。
 真っ直ぐに、こちらを目指して駆けてくる音。
 リョーマは迷わなかった。
「国光!!俺は、ここだよっっ」
 欠片も疑わずに、その名前を呼んだ。
 声を限りに。


続

  • 2012/01/18 (水) 04:22

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