作品
三章 梔涙月・拾弐
リョーマが涼華と対峙している頃、手塚も大石を伴い天城と相対していた。
通された部屋は応接間。
螺鈿細工の施された紫檀の円卓に、揃いの椅子。
設えられている調度は、いずれも最高級の品ばかりで……この屋敷のどこをとってもそうなのだか、一国の王の居城たる紫電宮のほうがよほど質素な有様だ。
手塚が天城の私邸を訪れたのは初めてだが、金と権威にあかせたとしか思えない品々は、あまり趣味がいいとは感じなかった。
それは大石も同じようで、居心地が悪そうである。
二人して出された茶に口はつけず、天城の出方を待っていた。
「……それでは、どうあってもお受けいただけないと?」
「丁重にお断りする」
天城は、常にリョーマの存在を仄めかしながら、よりにもよって涼華を正妃に迎えろなどと持ちかけてきた。
加護女の身の安全と引き換えに、娘を正妃に付け……いずれ生まれ来る子の外戚として権威を振りかざそうと言う魂胆が見え見えだ。
「仮に涼華殿を正妃に迎えたとして、私は彼女に子を持たせることはできない」
きっぱり言い切る。
それは言外に、彼女を愛することはできない、有体に言えば身体の関係を持つことはないと宣言しているも同然だ。
「婚姻は北辰王に認められた、己のために許された数少ない自由だ。愛情を感じない相手を妻にする気はないのでな」
他国では王の婚姻といえば、少なからず政略が絡んでくる。
政の一環だ。
けれど天領国においてはそうではない。
天帝の代理人として、そしてなにものにも犯されざる国家の王として、北辰王に課せられているものは多い。
己の私情に流されることは殆ど許されず、人生の大半を義務によって縛られているといってもいい……それを強制ではなく、自らの意志として己に課すだけの覚悟がなければ、そもそも北辰王は務まらないのだが……
そんな北辰王に許された、数少ない自由。
恋愛をする権利はその一つだ。
正妃となるべき資格は、家柄や血筋、美貌などは一切関係ない。
ただ、北辰王が愛しているか否かなのだ。
だから、例え出自が娼妓であろうと、流浪の民であろうと、他国の者であろうと、北辰王が愛し、その愛を受け入れた者であるならばそれだけでいいのだ。
もっとも、歴代の北辰王の殆どは己が加護女を正妃として迎える。
そのわけは、今の手塚には容易に理解できた。
北辰王が誰よりも心傾けられる相手、それがこの世界そのものを象徴する存在である加護女たる資質だからだ。
数少ない例外は、加護女が同腹の姉、もしくは妹がであった場合だと史書にはある。
しかも例外の中の数組は双子だったと、手塚は記憶していた。
男女の双子は、この世界では陰陽の理を体現しているとされ、歓迎される。
陰と陽は常に引き合う力。
引き合いながら拮抗しつづける力だ。
世界はそのように均衡が取れている。
だから、生まれたときから一対の存在である男女の双子が王家に生まれたとしたら、彼らが北辰王・加護女の役目を天より賜るのは自然なことなのだろう。
兄妹、もしくは姉弟で役目をいただくことになった北辰王は、確かに加護女以外を妻に娶ることがある。
天城はそれを引き合いに出し、涼華を正妃にと迫ったのだが……
同腹での婚姻は認められていない、と言うのもあるが、それはけっして血を繋ぐためではなかったはずだ。
加護女以外を妻にしたとして、それは真実その女性を愛していたからに違いない……正妃になったものには貴族の娘もいたが、中には宮城に仕える女官という例もある。
そして、生涯独身を通し、縁者の中から養子を迎えた北辰王もいた。
北辰王は、けっして愛情を伴わない婚姻はしない……過去の歴史が証明している。
野心や身分などがそこに入り込む余地はない。
「それに私が妻にと望む相手はすでに在る」
「…………それがあの半陽だとでも?」
「言葉遣いに気をつけよ。あれは私の半身。侮辱は許さん」
冷たく斬りつけるように視線を向ければ、天城の顔が屈辱にだろうか……赤くなった。
「まだ子供ではないか!しかも素性も知れぬ下賎の者を一国の正妃に据えると仰るか?馬鹿馬鹿しい」
「野心を持って自らの娘を押し付ける輩よりは、おまえのいう下賎の者のほうがひたむきで信が置けると言うものだ」
ずばりと言い切ると、天城の顔色は一変する。
手塚はゆったりと膝を組み、眼鏡を直しながら穏やかな口調で言葉を続けた。
「確かにリョーマは子供だ。今は私もまだどうこうする気はない。が、いずれ相応しい年齢になったとき正妃に迎えたいと思っている」
そう、子供であることなど全く問題にならない。
手塚は焦ってはいなかった。
むしろ、愛しいものの成長を見守り、蕾が花開いていく様を間近で見れるのだとしたら……男として、これほどの幸せはあるまい。
これまでに誰かを特別に愛しいと想ったことはない。
女性と付き合ったことがないわけではないが、彼女らを愛しいと想ったことはない。
そもそも恋愛を前提とした関係ではなかった。
彼女らはそれが生業であり、手塚は身分を秘して彼女らの身体と時間を買っていたに過ぎない。
しかも面倒はごめんとばかりに、一人に続けて通うこともない。
衝動であり、日々の鬱屈や重圧を晴らすための、ひとときの逃避。
可愛いと思っても、美しいと思っても……愛しさは湧き上がりはしなかった。
リョーマが、初めてなのだ。
たった一人の誰かを、愛しいと思う幸福を教えてくれたのは。
リョーマの成長を待ちながら、自分の気持ちも大切に育てていきたい。
(…………だからこそ、俺にとっては、リョーマが『加護女』なのだろう)
掛け替えのない、たった一人だ。
そのたった一人を、奪い、あまつさえ姑息な取引を持ちかけてきた輩に容赦などしない。
穏やかな口調はしかし、底知れぬ怒りを孕み、その穏やかさゆえに冷たく響く。
「あれは私が天より賜った至宝。おまえがしたことは、天への反逆にほかならぬ」
「主上が内々でこちらに足を運ばれたのは、初代より王家とともに歩まれてきた天城家へのご配慮です。こちらとしても事を荒立てたいわけではない。元君を速やかにお返し願いたい」
今まで黙っていた大石が、核心を切り出す。
言葉遣いは丁寧だが、常のような穏和さはない。
「……では、どうあっても涼華を正妃と迎えてはいただけないとおっしゃるか?」
「くどい。涼華殿は国母の器にあらず。例えリョーマがおらずとも、私が彼女を妻にすることはない」
「元君の身柄は、こちらの手の内にあるのだと申してもか?」
「それをこそ興醒めだな、天城。人の命を取引に使おうなどと……上位貴族最古参の誉れも語るに落ちた。自らの行動が、祖先の功に泥を塗ったと知れ」
取り付く島もない手塚の言い様に、とうとう天城は慇懃な仮面を脱ぎ捨てて、ふてぶてしく笑った。
「お返しできぬ、と言えばどうされるか?」
「……脅しか?あくまでも悔い改める気がないと言うのであれば、自ら奪い返すまでのことだ」
もはや話すことはないとでもいうように、手塚が立ち上がり、大石もそれに続く。
「………………さすが、鬼を正妃に据えた愚王の息子よな」
「なんだと?」
「父と同じく、わしを軽んじる。橘や桃城を重用し、民草を私官に引き上げ……天城家当主たるわしを蚊帳の外に放り出し、歯牙にもかけぬくせに、配慮だ温情だと抜かす。それをわしがありがたがると思ったか?」
くつくつと笑う顔、その目は澱みに凝り遠くを見つめていた。
手塚は妄執に取り憑かれた男に、真っ向から向き直る。
「おまえは父上を愚王といったが、父上の判断は正しい。そのような心根を持つ者を、傍近くに召し上げるわけにはいかない……北辰王は野心とは無縁でなければならないのだからな。人を蔑み、家名を驕り、おまえは何を望んでいるのだ?」
「わしの望み、だと?」
「そうだ。娘を正妃につけ、王家と姻戚関係を結び……おまえは何がしたい?」
天城は手塚の問いに狂ったように笑った。
「桃城や橘を上回ることができるではないか。わしを差し置き、王に重用され続け、国の中枢にある……したが北辰王の外戚という権威を得れば、溜飲も下がると言うもの。天の代理人たる北辰王は、すなわち世界を統べる存在なのだから」
つまりは己が感じつづけた劣等感を優越感に変え、それを満たすために今回のことを仕組んだというか。
手塚は溜息をついた。
「天城……それは勘違いも甚だしい」
「なに?」
「北辰王は、けっして世界を統べる存在ではない。天より世界を預かり、全ての民に仕えることこそが北辰王の為すべきこと。一国を治めることは即ち天より課せられた試練でもある。為政者であっても、独裁者であってはならぬ。権を振り翳すなぞ、もってのほかだ。みなが私に傅き、敬う姿勢を見せてくれるのは、その責任を全うしてくれるという期待があればこそ。初代より、王家に使えている最古参の家柄……その当主たるおまえがそれを理解していないとは……おまえの口から出るのは、不平不満ばかり……それを訴える前に、おまえはおまえ自身で何かを成したのか?何もせずに、自らの望みばかりを口にするは獣にも劣ろう」
「何も知らぬくせにわかったようなことを言うな!」
「私にはおまえのことなど何一つわからん。わかるのはおまえが何もしていないということだ。父上が太師たちを私官に任じたのは別に貴族だったからではない。彼らは友として、父上を支えるために行動していたと聞いている。太師は、上位貴族の嫡子として何不自由ない生活を約束されていながら、猛勉強をして科挙を受け官として父上を支えようとした。橘の現当主は、いざことがあったときに父上の力になろうと……それこそ、父上の即位の前から剣の腕を磨くため、国内はもとより、諸外国を武者修行して回った。身分を秘し、自ら旅費を稼ぎながらな。その心意気に感じ入った父上が、真の友と見込んで私官に迎えたんだ。私官は、いざというとき、その身の内に星神を降ろすための依代。万が一の時には命をも代償にする役目だ。互いに信頼しあっている相手でなければ、命を預かることも、預けることもできない。それだけの絆を築く努力をしてきたんだ。それはもちろん、私と我が私官たちにも言えることだ……彼らは、私にとって忠臣であるとともに、心許せる友であるのだから。身分や出自など関係ない。ただ心だけがあればいい」
淡々と語られる言葉。
大石の視線を感じる。
そうだ。
天城は手塚にとって許しがたいことを、もう一つしていたのだ。
「半身を攫っただけでなく、その心ある友も、おまえは傷つけたな。悪意ある鬼の助力を受けてまで……」
「はっ……下賎の者のことなど知ったことではないわっ。当代一とは言え法術師風情と……今一人は誰にでも足を開くような色迷(好き者)ではないか……それを友などと……なにをするっ」
吐き捨てた天城の胸倉を大石が掴んだ。
「今の言葉、取り消してもらおう」
愛する者を貶められ、瞳には怒りが煮え滾っている。
当たり前だ。
菊丸が娼妓だった過去は変えられない。
何人もの客を取っていたことも事実だ。
しかし、それは菊丸の心に添った行為ではなかった。
過去は過去と受け止めている。
だが、誰より恋人にその過去を知られている苦悩は……推し量れるようなものではない。
今でも時折、かつての現実が棘のように菊丸の心を傷つけていることを手塚も知っている。
先月のお披露目の宴で、涼華がやはり菊丸の過去を侮蔑する発言をしたとき……とても悲しそうな、痛そうな顔をしていたのだとリョーマが気に病んでいた。
菊丸のそんな苦悩を、大石が知らぬはずもない。
彼の怒りはもっともだった。
「無礼者が、なにをするかっ」
「無礼なのはどっちだ!真実も知らずに他者を貶めるのは無礼じゃないのか?」
いつもの彼からは、想像できない剣幕で捲くし立てる。
これほど想われているなら、菊丸もいつかは完全に吹っ切るだろう。
「大石、気持ちはわかるが放してやれ。こんな輩に怒りを覚えるだけ空しい」
「…………手塚が言うなら」
渋々といった態で、大石は天城を解放した。
ごほごほと咳き込む男を冷たい目で見下ろす。
「もう一度問おう、天城。おまえはこれまでに、自らの手で何かを成したことがあるか?」
「…………」
「答えられぬか。それも道理だろう。家柄に頼み、名に驕り……おまえは望むだけで何もしていない。何もしていないくせに、日々を懸命に生きているものたちを下賎と蔑み愚弄する。そんなおまえがはじめて成そうとしたのが自らの野心を満たすための犯罪……いや、反逆行為か。冥府の祖先たちは、情けなさに涙も止まらぬであろうよ。これが最後だ、天城、我が半身を返せ」
「…………お断り申し上げる」
冥く、敗北感に満ちた声音だ。
彼は今更ながらに気付いたのだろう。
自分に、何もないことに。
そしてそれを天城は耐えることはおろか認めることもできない。
「そうか、ならば自分で取り戻す」
踵を返そうとした手塚の目の前を、何かが過ぎった。
ものすごい音を立てて、床が抉れていく。
咄嗟にそれに反応して避けたが、それがなんだったのかはわからない。
件の鬼の力かとも思ったが、妖力……というわけではないようだ。
まるで爪痕のように……床に残った痕跡。
「逃しませんぞ。是といっていただけぬのであれば……わしを軽んじる王など要らぬ……」
哄笑する姿は、すでに正気を逸しているように見えた。
「手塚!」
「……わかっている」
見えない爪の攻撃が続くのを、紙一重で避けながら……
精神を集中させる。
「武器もないのに、いつまで妖魔の爪を逃れられますかな」
「妖魔……そうか、隠行しているのか!」
大石が声を荒げる。
妖魔は、人が霊獣や妖獣を使役するように、鬼が使役する妖のもののことだ。
時に単独で現れ、集落を襲うこともある凶悪な生き物は、鬼と同じく混沌に属し不思議な特性をもっている。
その一つが、姿を隠す能力……隠行だ。
「なるほど、鬼の使役獣か……」
呟いて、手塚は肩の位置まで腕を上げ、そして手のひらを返した。
応接間に通される際、召使に預けた七星剣。
それが手の中に、出現したのだ。
「なぜ、剣が!」
「七星剣はただの剣ではない。意志ある神器。例え離れても主が呼べば手に戻る」
驚愕する天城に、そう返して手塚は鞘から七星剣を抜いた。
顕わになった刀身は、月光の煌めきを零す。
七つの玉が埋まった白刃に、隠行している妖魔の姿が映った。
「窮奇(きゅうき)」
虎の姿に、翼を持った凶悪な妖魔だ。
妖魔の中では、かなり格が上で、鬼であろうとも簡単に使役獣にできるような生易しい相手ではないのに……
それが四頭。
主である鬼の気配はどこを探ってもないが、だからといってこの屋敷のどこにいないとも限らない。
窮奇の鋭い爪が、隠行したままで手塚と大石を引き裂こうとするのかわす。
立て続けの猛攻……その一瞬の隙を付いて、とりあえず一頭の首を刎ねた。
両断された頭と胴体が、ごとりと床に落ちる。
息絶えたことでようやく姿を視覚として捕らえることができた。
しかし、あと三頭。
油断はできない。
そこへ……
『主上!』
翡翠色の小鳥が飛び込んできた。
「透理か」
小鳥に変じた式神も、辛うじて爪を避けながらこちらに向かってくる。
『リョーマ様の力、手繰ることができました!!』
それはリョーマの居場所がわかったことを意味する。
この屋敷に入ったときから、透理にはリョーマの力を手繰ることを命じていた。
気配は絶たれているが、力は絶たれていない。
リョーマの力が完全に絶たれていれば、例え手塚の耳を飾る耳環に彼女の力が込められていても、そこから伝わる北辰王の神力を得ていたとしても……小鳥とは言え、確たる形を持って顕れることはできないはず。
手繰ることも難しいほど、か細い力の糸。
それでも近付けば、ずっと探りやすくなる。
そう思ったからこそ。
今すぐ助けに行きたい……その顔を見たい、そう思っても。
この窮奇を何とかしないことには……
「手塚、ここは俺に任せて、越前のところに行け!」
「……大石」
「きっと待ってる……俺なら大丈夫だ。俺にとって見えないことは何の不利にもならない」
手塚に出会う以前。
まだ大石が少年だった頃、一時的に彼は光を失っていたことがあるのだ。
優秀な医師のおかげで、光を取り戻した彼はそのご自分も医学の道を志す。
実家は武術の道場を開いていた彼は、失明していた期間も鍛錬を怠らなかったという。
それ故例え暗闇でも、彼の武術の腕が鈍ることはない。
「わかった……北辰王の名に於いて、天に願い奉る。七星・禄存(ろくそん)。汝が将の召喚に応えよ。天より疾く来たりて我が臣の力となれ!」
非常のときなので略式だが、七星神降臨の呪言を唱えた。
手塚の声に応えるように、七星剣の刀身に埋め込まれていた玉の一つが光を放つ。
翡翠の玉……七星神が一・禄存星神の光だ。
次の瞬間、七星剣とともにこの部屋に入る前に手放していた大石愛用の長槍が姿を現した。
光は、槍に吸い込まれ……槍は銀色がかった淡い翡翠色の光を纏う。
禄存星神が宿ったのは、大石本人ではなく槍。
神が宿ればその武器は七星剣と同じく神器になる。
今回はそれが最良と、手塚は判断した。
「では、大石、任せたぞ」
「あぁ」
「窮奇を倒し、天城の身柄を抑えよ。これは勅命である!」
「御意のままに」
返事を背後に聞き、手塚は駆け出す。
透理を案内に、途方もなく広い邸内を、全速力で。
途中、天城の私兵などとやりあったが、本気の手塚の相手になるはずもない。
召使たちは恐れをなしたように姿を隠し。
辿り着いたのは薄暗い地下回廊。
その奥から、冥い、力を感じる。
内に向けた結界のような力なのか、外にはあまり洩れてこないが……確かに感じた、その矢先。
その冥い力を一瞬突き破ったのは、紛れもない自分の力で……
(……まさか、リョーマの身に何か……)
万が一のときのため、耳環に施していた力が発動したのを悟って手塚は急ぐ。
その耳に。
「国光!!俺は、ここだよっっ」
迷いもせずに、己の名を呼ぶリョーマの声を聞いた。
続
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