作品
三章 梔涙月・拾伍
不二と入れ違うように入室してきた手塚を、リョーマは笑顔で迎えた。
事後処理に終われていると不二は言っていたが、その端正な顔はどこか憔悴しているようで。
リョーマは長椅子に腰掛けた彼に手ずから茶をいれてやった。
「疲れてるの、国光?」
「……いや……身体の方はどうだ?具合が悪いところや痛いところはないか?」
「ううん、大丈夫だよ」
「そうか……よかった」
どこか力ない口調は、なぜだかリョーマの胸に、あのときの手塚を思い出させた。
鬼の性に流されかけていた彼が、我に返って……そして自分を壊れ物のように優しく抱き締めた……あのとき。
切なくて、優しい気持ちがあの時と同じようにリョーマの心を満たす。
リョーマは、手塚の隣に腰を下ろし、彼を見上げて待った。
とても、辛抱強く。
彼の唇が開くのを、
だってとても、言いたくて言い出せないような迷いを感じたから。
どれだけそうして見詰め合っていただろう。
手塚はその間何度も唇を開きかけては閉じ、そして視線を彷徨わせた。
急かすことはしない。
ただ、何かを言いあぐねている手塚に、大丈夫だ……という気持ちを伝えたくて、自分より一回り以上大きな手にそっと触れた。
一瞬彼は身体を強張らせたけれど、すぐに困ったような顔になる。
そうしてようやく重い口を開いた。
「リョーマ」
「なに?」
「俺はおまえに言っていなかったことがある。本当は真っ先に言わなければならなかったことかもしれない……けれど、言い出すきっかけを掴めなくて……」
「……聞くよ……何でも聞くから……」
遅すぎることなんてないんだと、リョーマは頷く。
「……リョーマ、あのときおまえが見たように俺は妖力を使うことができる。今まで強いて使ったことはなかったが、その力が俺にあることは知っていた……いずれ北辰王を継ぎ、天より神力を授かることになっていたことから、両親は俺に感情を制御することで妖力を抑えることを教えた。なぜなら神力と妖力は全く相反する力……それを混在させることがどんな影響をもたらすか誰にも想像できなかったからだ」
「うん」
「俺の妖力は母上から受け継いだもの。母上……先代の加護女である鈴鹿御前は、鬼道の巫女……すなわち鬼だった。鬼である母上と、北辰王たる父上の間に俺は生まれた……」
「……それは、あの天城って人に聞いたよ」
「そうか」
「でもそれって悪いことなの?国光のお父さんとお母さんはちゃんと愛し合ってたんでしょ?だから国光が生まれたんだよね」
「……あぁ……お二人は……子供の俺の目から見ても仲睦まじく、愛し合っていたと思う……」
「国光はお父さんとお母さんの間に生まれたの、嫌だと思ってるの?」
「とんでもない!父上と母上の子として生まれたことは俺の誇りだ。母上は鬼の中では異端だったのだろうが、温厚で優しさと厳しさの意味をよくご存知の方だったんだ」
「そう……ねぇ、国光、俺あのとき言ったよね?国光が国光であることだけが大事だって」
「…………」
「国光に鬼の血が流れてたって、妖力を使えたって……何の問題もないよ」
「……だが!!」
声を荒げた手塚を、しかしリョーマは真っ直ぐ見つめた。
「だが、俺は知らなかったんだ!!自分があんな風になってしまうなど……あいつらの骨を砕き、足を引き千切り……初めは怒りだったはずだ……それなのに……いつしか血の匂いに、色に……恍惚になりそうな自分を抑えられなくなって……冷静な自分が、そんな自分を見てるんだ。やめろと叫んでいるのに、ちっとも言うことをきかない……俺の身体……俺の心なのに……誰かを傷つけることの興奮が、怒りを勝りそうになっていた……」
苦しそうな告白。
痛々しいその姿に、リョーマは寄り添う。
けれど手塚は、そんなリョーマの身体を乱暴に引き剥がした。
「妖力があることは知っていた!だが自分の中にあんな自分がいるなんて知らなかった!!今まで抑えていた妖力も、気を抜けば溢れそうになる!そうしたら、制御できなくなるかもしれない……みんなを……おまえを傷つけるかもしれない……」
あの手塚が。
こうまで弱い姿を晒している。
こうしてリョーマに会いに来るまで……我に返ってからずっと、彼は己の中の見知らぬ自分に怯えていたのかもしれない。
みんなの前では、いつもの自分であるよう律しながら。
それを思うと胸がぎゅっとなった。
愛しくて愛しくて、たまらない気持ちが溢れてきた。
「でも、あの国光も、国光だよね」
そう言うと、手塚ははっとしたようにリョーマを凝視する。
「……リョーマ……おまえは……恐ろしくはなかったのか……?」
「正直言うと、ちょっと怖かった」
何も隠したくない。
だから本当のことを口にした。
「それなのに……俺は俺だと……問題ないと……おまえは言うのか?」
「怖かったのは本当だけど……だからってそれは国光を否定してるわけじゃない。そんなこと絶対したくないよ。北辰王の国光も、鬼の国光も……それからただの『手塚国光』って言う存在であることも……全部ひっくるめて国光なんだ。どれ一つ欠けても、俺が傍にいたいって思う国光じゃない……そうでしょ?」
想いが伝わるように、リョーマは真摯に言葉を紡ぐ。
時が止まったようにこちらを見つめる手塚の眼差しを受け止めたままで。
「それに……自分の知らない自分を怖いって思う気持ち……俺にもちょっとわかる」
初めて女性化した自分の身体を目にしたとき、リョーマは現実を受け入れたくなかった。
これは自分じゃないんだと、不安で不安でひたすら言い聞かせた。
でも、やっぱり自分は自分でしかなくて……とても、怖かった。
あのときの恐怖は語り尽くせないほどだ。
こちらの世界に生まれていれば、あそこまで不安に思うことはなかったかもしれないが、リョーマの生まれ育った世界に『半陽』という性も常識もない。
全くの未知、常識の範疇を超えた事態がわが身に起こってどうしたら良いのかわからない、そんな気持ち。
思い出しながら、リョーマはそれを手塚に伝えた。
「国光が感じているのに比べたら、すっごく小さなことかもしれないけど……でもね、今は『半陽』ってことも、女の身体になることも受け入れられたよ。みんなが……国光が、いてくれたから。『加護女』じゃない……『俺』が必要だって言ってくれたから。だからね、俺も何度でも言うよ。鬼とか人とかそんなのは関係ない。国光が国光であることが、俺には一番大事なことなんだ」
「……リョーマ」
「それにさ……妖力だって抑えつけるだけじゃなくて、ちゃんとした使い方覚えればいいじゃん。制御するってそういうことでしょ?俺も初めは『万物の力』を授かったの怖かった。だって大きな力だから。でも周助がね、『力は使い方さえ覚えればいい』って言ってくれて、教えてくれたから……国光だってそうすれば良いんだよ。神力だけでもすごいんだもん。それに妖力が加わればきっと無敵だよ!」
手塚ならきっと妖力だって使いこなせるようになるはずだと信じている。
いい考えだと思って提案したのに。
手塚は珍しく無防備な表情で驚いたかと思うと、先ほどまでの深刻な空気はどこへやら声を立てて笑い出したのだ。
大爆笑、といっても良いくらい。
心から思って真剣に言ったのに笑われて、リョーマはむっとする。
「なんで笑うんだよ!」
「……怒るな、リョーマ」
語尾に笑いを滲ませたまま、手塚はリョーマの身体をぐいっと抱き寄せた。
「国光!」
誤魔化されないんだから!という意味を込めて睨み上げると、彼はやけに晴れ晴れした顔で言ってのける。
「神力同様妖力も使いこなせ……とはな。おまえには敵わんと、そう思っただけだ」
ぴったりと額を合わせてくるものだから、とてつもなく整った顔が視界いっぱいに近付いて……だから、リョーマはそれ以上文句を言えなくなってしまう。
「だがおまえの言うとおりなのだろう。力を恐れ、そのまま放置しておく方が何倍も始末におえない。言われるまで思い浮かびもしなかったのだから、俺もまだまだだ」
なんにせよ、手塚が前向きになってくれたようなので、リョーマは先ほどの大爆笑は水に流すことにした。
くつくつと喉の奥でまだ笑っていた手塚だけど、ふと真顔になって。
リョーマの鼓動を跳ねさせる。
「俺はおまえにもう一つ言っていなかったことがあるんだ」
「え?」
手塚の言葉に、リョーマは首を傾げた。
「北辰王と、加護女のことだ。この世界での常識は、双神の加護かおまえの知識に書き加えられているようだから、このこともすでに知っているかもしれない。だが、やはり俺の口から言わないうちに『誓約』を成就させるのは、卑怯なように思うからな」
「…………」
「北辰王と加護女には特別な絆が存在している。その最たるものは、存在の共有だ。誓約さえ交わしてしまえば、俺たちも互いの存在を常に感じるようになる……これはわかるか?」
「うん」
「しかし存在の共有とはそれだけではない……命数……寿命も共有するということだ。北辰王が死ぬとき、時を経ずして加護女も死ぬ。嫌な言葉で言えば、道連れ、だ。だが、その逆は聞いたことはないから、おそらく誓約が成立した時点で加護女の命数は北辰王に従属されるのだと思う。そして不慮の死で加護女が命を失わない限りは……北辰王が生きている限り、加護女も生き続けることになる。鬼という種族は数が少ない代わりに不老長寿。母上は父上とともに亡くなられたが、実際おいくつだったのか俺は知らない。が、父上よりは遥かに年上だったようだ。そして鬼の血を引く俺も……純血の鬼ほどではないが、人としては長すぎる時間を生きることになるだろう。存在を共有している限り、おまえにもそれを強いることになる。つまりおまえだけが、俺に命を左右されていると言っても過言ではないんだ。いつか時に置き去りにされているような感覚を抱いてしまうことになるかもしれない……それでもおまえは、俺と誓約してくれるか?」
今ならまだ間に合う。
なんとか、元の世界に返してやる方法を講じてみる……とそう言った手塚の両の頬を、ぱちんと軽く叩いた。
「リョーマ?」
「あんた俺の言ったこと覚えてないの?傍にいるって約束したでしょ?何があっても、傍にいるよ。ずっと、一緒にいる……ここが俺の世界で、あんたは俺の帰る場所なんだから」
二度とそんなこと言わないで欲しい。
想いを込めて見上げた先……蕩けるような優しい顔で笑う手塚に、リョーマの目は釘付けになってしまう。
そうしてさっきまでよりずっと強く、抱き締められた。
「さっきの言葉は、嘘だ」
「……うそ?」
「そうだ。大人の建前……というやつかもしれん。いや……最後の足掻き、か……だがもうそんなものは全て捨てる。元の世界になど返さない。例えおまえが俺のことを怖がったとしても、傍にいたくないと言っても……おまえを放してやることはできない。リョーマ……おまえのいない世界など、もう俺には考えられないんだ」
硬質なテノールは、熱が篭り甘ささえ滲んで、リョーマの耳に届いた。
それは幻聴かと疑うほど……
けれど、幻聴じゃないと、抱きしめてくる腕の強さが証明していて。
リョーマは窒息しそうなほどの喜びで、眩暈がしそうだった。
おずおずと手を伸ばし、逞しい背中に縋りつく。
「国光……俺……」
好き、と言いかけてその言葉を飲み込んだ。
その言葉を言うのに相応しい場所があることに、気付いたから。
だからその代わり、もう一度……自らの願いでもある言葉を口にする。
「ずっと、傍にいるから」
まだ、ほんの少し、自分の心にだけ恋心を抱いたままで。
答える代わりに、リョーマの髪に頬を埋めた彼は、なんと言ってくれるだろうか。
けっして一方通行の想いではないと予感して。
リョーマは、手塚の胸に力を抜いた身体を預けた。
続
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