作品
間章・壱
そこは空疎なる静寂に満ちた場所。
あるいは猥雑なざわめきが響き渡る場所でもある。
ありとあらゆる次元の狭間……捩れたその空間の名を人の言葉で表すならば、混沌と言うのが、正に相応しいだろう。
彼の者の居城は、混沌に佇む虚無そのもののようだった。
朽ちかけた玉座に片肘を付き、その者は低く笑う。
美しい青年だった。
決して逞しいとはいえない体躯ではあるが、しなやかなその様はさながら獲物を狙う豹のよう。
繊細な造りの顔立ちは、どこか中性的であり、右目の下の泣き黒子が抗いきれない妖艶さを青年に与えて……
「やはりあの程度のニンゲン如きでは大して役に立たないな……が、それなりには楽しませてもらった。いずれ相応の礼でもしてやろうか?」
くつくつと笑いながら、問い掛けた相手は表情を仮面に隠したまま押し黙っている。
「なんだ……不満そうだな?」
雰囲気を感じ取り、ちらりと仮面の男に向けた瞳の色が……濃い灰青色から、禍々しいまでに鮮やかな深紅へと変化した。
青年は……人ではない。
いや、そもそも人間がこのような空間に、生きて存在し続けられるわけがない。
ここは『生』という力から、明らかに隔絶した場所であるのだから。
「少しは俺のやり方に慣れろよ」
そう言って青年は、玉座から立ち上がり仮面の男へと近付くと、からかうような仕種で彼の喉を擽った。
まるで愛玩動物にそうするかのように。
仮面の男のほうが身長が高いため、青年は下から見上げる形となる。
ともすれば媚びるような態度に見えがちであるが、青年の眼差しにはただただ傲然とした不遜さがあるのみ。
この世に支配するものとされるものと、その両極の関係しかないというのであれば、彼はまさしく支配するもの。
媚を売る、などという行為は必要なかったし、もっとも縁遠いものだろう。
そんな真似をせずとも、彼は眼差しだけで、あるいは声だけで……些細な仕種だけで他者を容易く篭絡させる術を生まれながらにして持っているかのようだった。
「俺がこの世で一番嫌いなもの、知ってるだろう?」
「…………」
「物事をすぐさまぱっぱと済ませちまったら、つまんないだろうが……罠は周到に、綿密に……それでこそ楽しめるってもんなんだよ。そう……おまえは俺を楽しませなきゃいけないんだぜ?」
艶やかな笑みを口元に刷いて、青年は言う。
「おまえは俺が拾った……俺の所有物なんだから……俺がいなかったら、あの狒狒ジジィに殺されてたかもしれないってこと、忘れたわけじゃねぇだろ」
「…………あぁ」
ようやく言葉を発した仮面の男の頬を撫でる指先は、、労わりすら感じられるほど優しげであったが、決してそうでないことを仮面の男はよく知っていた。
「俺は無粋な輩が、退屈よりももっと嫌いだ。だから先代の北辰王には、感謝すらしてるんだぜ……くく、不満そうにしてんじゃねぇよ。憎いんだな……先代も、今の北辰王も……そしてやつらを支える加護女も……おまえの憎しみ、そして復讐さえも……ただ、俺を楽しませるためにある」
青年は、引き結ばれたままの仮面の男の唇に、そっと己のそれを寄せる。
くちづけは愛情ではなく、契約の証。
そして支配し支配される関係の再確認。
「おまえが俺を楽しませてくれるなら……俺はいつだって力を貸し与えてやるさ」
「…………」
「今はまだそのときではない。今のままのおまえでは、北辰王には……勝てない。だから時を待て。おまえの身体に……俺の……鬼の一族最強である俺の力が馴染むのを……そうして時が来たら、おまえの全てで俺を楽しませるんだ」
いいな、と囁く声は甘い。
とても甘い、毒を孕んでいる。
仮面の男は沈黙する。
沈黙したまま、膝を付き深々と叩頭して……
「……全ては、悪路王の御意のままに……」
服従を誓う男の姿を、美貌の青年……悪路王は、満足げに見下ろして可笑しそうに肩を震わせる。
混沌の中に佇む虚無の城に、密やかな笑い声だけが響いていた。
終幕・四章に続く
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