庭球小説

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五章 蓮荷月・弐

「間もなく主上がお戻りになられます」
 先触れを告げに来たのは、リョーマが手塚に付けた式神の鑑月である。
 護衛や傍仕えのためにと思っていたのだが、古い神鏡を本性に持つ式神は、秘書としても有能らしく大石や乾らとともに、手塚の執務を手伝っている。
 水晶宮で暮らし始めてから、手塚は太極殿から戻る前に、こうして執務を終えたことを知らせてくれるようになった。
 手塚は先触れがあってから、ものの十分も経たずに戻ってくる。
 普通に歩けば、太極殿から、水晶宮までは大人の足でもそれなりに時間がかかるのだが、もともと王の住まいとして内宮の奥にある水晶宮と、王が執務を執り行う太極殿には予め呪いが施されているため、特定の扉を通ると、行き来ができるようになっているのだ。
 それは、水晶宮が、住居として機能して初めて発動する呪いだが、星彩の塔にある仕掛けと似たようなものである。
 同様の呪いが仕掛けられた場所が、宮城内にはいくつかあった。
 それは、この紫電宮が、天の建造物であるためなので、どのような原理でそうなっているのかは不二や乾はもとより、主である手塚にもわからないものらしい。
 最も太極殿と水晶宮をつなぐ扉は、誰でも通れるわけではない。
 北辰王と、彼が水晶宮に住まうことを認めた限られた者のみ。
「わかった、鑑月。ご苦労様」
「それでは失礼いたします」
 役目を終えた鑑月は、リョーマの与えた命を守るため、姿を消した。
「透理、厨房にいる河村さんに、連絡して」
「御意」
 リョーマからの連絡を受けて、河村が夕食を配膳してくれるのだ。
 太極殿で寝起きしていたころの手塚は、起きている間は殆ど仕事漬けだったと聞いているが、最近では公私の時間をきっちり分けて生活している。
 そのことは、リョーマには嬉しいし、周囲を安心させてもいた。
 手塚は強靭な心身の持ち主だが、それにしたってぎりぎりの状態まで息抜きをしない生活は、好ましくはないだろう。
 手塚が帰って来ることを考えて、リョーマはテープルの上に広げていたものを片付ける。
 これをまだ、彼の目には触れさせたくない。
 内緒で計画していることがあるから。
 リョーマは、手塚の目には、決して触れないだろうクローゼットスペースの棚にそれをしまいこんだ。
 不二のお下がりである裁縫箱。
 彼女が一番初めに裁縫を習ったときに、手塚の母である鈴鹿御前からもらったものだということで、受け取ることを躊躇したリョーマだったが、優しく笑って手渡してくる不二の心が嬉しくて、ありがたく使わせてもらうことにした。
 黒い漆塗りで、上蓋には螺鈿で細工された蓮。
 箱の内側は、朱塗りというその裁縫箱に、選んだ鈴鹿御前の趣味の良さが伺えた。
 艶やかで、傷一つない箱からは、不二がどれだけこれを大事にしていたかということが伝わってきて、そしてそんな大事にしていたものを自分に譲ってくれたことの嬉しさから、リョーマは心からこの裁縫箱を大切にしようと思う。
 いずれ新しいものをって、不二は言ってくれたけど、新しいものなんかいらない。
 優しい気持ちで螺鈿の蓮に指を這わせたその時、部屋の外に大好きな人の『気』を感じた。
 リョーマは、執務を終えた彼を出迎えるために、踵を返す。
 年上の恋人は、仕事を終えると自分の部屋でなく、隣のリョーマの部屋に戻ってくるのだ。
「お帰りなさい、国光!」
「あぁ、ただいま」
 北辰王としての顔から、恋人の顔に戻った手塚が目元を和ませながら室内に入ってくる。
「今日もお疲れ様。大丈夫?疲れてない?」
 王の執務がどれだけ大変か、本当のところはリョーマにはよくわからない。
 一国を治める政は、大変なんだろうな……と漠然と想像するのみだが、こないだ乾がこっそりと手塚が一日に処理するだいたいの書類の量を教えてくれた。
 その量たるや……リョーマには気の遠くなるようなもので。
 それに目を通して決裁し、尚且つ諸官からの奏上や、対面などもあるというのだから、それをこなす手塚は王として当たり前とは言え、本当にすごい。
 ただ、乾が言うには、最近はその処理速度が恐ろしく上がり、さらに効率的になったそうだが……
「リョーマの顔を見たからな。疲れも吹っ飛んだ」
 大きな手のひらが、愛しげに頭を撫でてくる。
 そんなことを言われると、ついつい自惚れてしまいそうになるではないか……乾が言うところの、手塚の仕事が速くなった一番の原因は、自分の影響だと……そんなふうに……
「おまえの方は、何事もなく過ごせたか?不自由があったら、すぐに言うんだぞ」
 多分少しばかり紅くなっている頬に、滑り降りてきた手のひらが触れた。
「不自由なことなんてないよ。ここの生活にも慣れたし、みんなも国光もいるから」
「そうか……腹が減ったな、食事にしよう」
「ん」
 頷いて、リョーマは恋人に纏わりつく。
 ほんのちょっとの距離でも、一緒にいることが嬉しいから。
 移動したダイニングスペースの円卓の上に、式神によって運ばれた夕食が並んでいる。
 食欲をそそる匂いに、二人は席についた。
 汁麺などの場合を除いては、大皿に盛られたものを小皿に取り分けて食べるという中華料理の食事形式。
 あちらにいたころは中華料理を食べに行く以外では、馴染みのなかったそれは、すでにリョーマにとっては日常になっていた。
 一国の王が取る食卓にしては、質素かも知れれないが、それでも十分な量の料理は、どれも河村が腕を揮ったものだ。
 手塚が仕事の片手間ではなく食事を食べるようになったことを一番喜んだのは彼かもしれない。
 きゅうりやにんじんなどを細い千切りにして、綺麗に並べた前菜。
 これはたれをまわしかけて混ぜ合わせて食べる。
 スープは、卵ととうもろこしで。
 その他には豚肉と巻心菜(キャベツ)の蒸し煮や、揚げた魚に野菜たっぷりの餡をかけたものなどが並ぶ。
 過ごしやすいとは言え、夏は夏。
 そのことを充分考慮した、あっさりとした味付けでありながら、ボリュームのある献立に河村の気遣いが感じられた。
 デザートは、リョーマも大好きな杏仁豆腐。
 海堂が取って来てくれた瓜も、食卓を彩ってくれていた。
 水が美味しいから、お米も美味しい。
 自然、箸が進むのも早くなる。
 夕食は、他愛ない話をしながら、手塚と二人で……というのが水晶宮で暮らし始めてからの日課だった。
 朝食はみんなで、昼食は不二や菊丸……時にはイレギュラーなメンバーもいたりするが……と三人で食べるのだが、夕食はよほどのことがない限り手塚と二人きりの水入らずで過ごす。
 心が通い合い、恋人同士という関係になったけれど、手塚が忙しいことに変わりはなくて、リョーマは不二や菊丸と、手塚は大石や乾と過ごす時間のほうがどうしても多くなってしまう。
 みんな一緒も楽しいけど、やっぱり恋人同士の二人きりの時間だって満喫したい。
 だから、一日のうちでも一番長く手塚といられる、夕食とその後のひとときがどれだけ嬉しくて幸せか……
「国光、これ食べる?」
「あぁ」
 甲斐甲斐しく小皿に取り分けてやりながら、リョーマはとても、ご機嫌だった。
 美味しいご飯に、大好きな人。
 ご機嫌になるのは、当たり前だ。
「ねぇ、この瓜ね。昼間海堂さんが持ってきてくれたんだよ。わざわざ取ってきてくれたんだって」
「知っている。数日前に、しばらく宮城を留守にすると許可を求めてきたからな。あいつが育った辺りまではさすがにふつうの騎獣では時間がかかりすぎるから、おそらく南州にまで足を伸ばしたんだろう」
 南州は、名前の通り、天領国の南に位置する州で、果物の宝庫と言われている。南州で手に入らぬ果実はないとまで、言われるほど。
 手塚の騎獣たる龍馬(りゅうめ)ならば、天海を隔てた辺境まで半日もかからずに行って戻ってこられるが、それ以外の騎獣では往復にどんなに急いでも一週間近く費やしてしまう。
 私官と言えども確固たる理由もなくそれだけの間、宮城を空けることはできない。
 手塚の言うように、海堂はこの瓜のことを思い出し、南州へと赴いたのだろう。
「いいひとだね、海堂さんって」
「あぁ。あいつはとっつきにくいが、義理がたいし、情にも篤い。おまえのことを、とても気にかけてくれているようだな。俺からも礼を言っておこう」
 シャイな海堂が、尊敬する手塚からこのことで礼など言われたらどうなるか、想像してリョーマは口元を綻ばせた。
「どうした?」
「なんでもないよ。そういう風に何気なく優しくされるって嬉しいなって思っただけ」
「そうだな」
 手塚が微笑んだので、リョーマも嬉しくなる。
 いつだったか、不二が教えてくれた。
 リョーマに出会うまで、手塚の綺麗な顔が表情を浮かべることは殆どなかったのだと。
 王としての責務に忙殺され、時には経験不足からの無力に自らを責め……不二や大石たちが周囲にいたけれど、それでも心満たされない部分がどこかにあったのだろう。
 いつしか王としてではない、一人の『手塚国光』としての感情を表す術を忘れてしまったかのようだったと……家族同然に育った不二が寂しそうな顔でリョーマに言ったことがある。
『でもね。リョーマくんと出会って、手塚はどんどんいい方向に向かってる。手塚の心からの笑顔なんて、何年ぶりだろう。ありがとう、僕の『兄上』に『幸せ』を思い出させてくれて』
 本人の前では、口がさけても手塚のことをそんなふうに言わないだろう不二の言葉は、リョーマの心にひたひたと染みて、誇らしさをもたらした。
 そして再確認した。。
 手塚を想うこの心が、リョーマの誇りだと。
 他の誰にも負けない、譲れない、何があっても揺るがない、自分の中の絶対のもの。
 だから。
 彼が笑ってくれると嬉しい。
 彼の感情を感じられることが、リョーマの中で何にも代えがたい喜びになるのだ。
(……国光もそうならいいな……)
 そうなれるといい。
 リョーマがなりたいもの。
 手塚を全身全霊で支えられる自分、そして……
 恋人が、誇りに想ってくれるような……自分。
 他愛ない会話を交わしながら、リョーマはその決意を噛み締めていた。
 そうして、いつもの幸福な夕食を終えて。
 リビングスペースで食後のお茶を飲もうと移動して……硝子のテーブルの上に、布をかけられた箱が二つ。
 一つは衣装箱で、もう一つはそれの半分位の大きさで、少し浅い。
「……国光……これ……?」
「鑑月に頼んで食事の間にここに運んでもらった。おまえを驚かせようと思ってな……驚いてくれたか?」
「うん……これって、もしかして……」
「『紅の儀』の衣装だ。いわゆる裳衣ではなく、舞姫だったと言う初代『加護女』の伝承に則ったものを身に纏うことになっている」
 こういう説明をするときの手塚は、どこか照れ臭そうだ。
 それをくすぐったく感じながら、リョーマはテーブルに近付く。
「開けてみてもいい?」
「もちろんだ」
 贈り主の了承を得て、布を取り外したリョーマは、感嘆の溜息を漏らしたきり言葉も出てこなかった。
 なんて綺麗なんだろう。
 小さいほうには当日リョーマを飾る装飾品。
 項練や耳環や、腕釧(二の腕にするタイプのブレスレット)、鈴のついた踝釧。
 その中でも一際目をひいたのが鳳冠と呼ばれるもので、王の伴侶にしか身に付けることを許されていない特別な髪飾りだ。二羽の神鳥……雌雄一対であるところの鳳凰である……が、向き合う形で細工されており、両端からは真珠を連ねた玉条が数本垂れている。これをヘアバンドのような要領で頭につけるのだ。細工は繊細で、二羽の神鳥は、まるで今にも羽ばたきそうだった。
 この鳳冠を身につけるということは、『加護女』としてだけではなく、公私にわたって王の伴侶であることを意味する。
 鳳冠は、王の妻……もしくはそれに準ずる存在が身につけるもので、かつて北辰王が加護女以外を娶ったときは、加護女ではなく正妃になった女性がその権利を有したと伝えられていた。
 手塚が、いずれリョーマをお嫁さんにしてくれる……というのは、近しい者の間ではすでに知られていることだけれど、どうやら恋人は『紅の儀』に鳳冠を身に付けさせることによって、公式にもそれを知らしめるつもりのようだ。
 手に持った鳳冠と、手塚を交互に見ると、年上の恋人が、肯定するように小さく頷くから……リョーマは頬を朱に染めて、はにかんだ笑みを浮かべながら鳳冠を箱に戻した。
 衣装のほうは大きく分けてパーツが二つ。
 胸包の類だと思うが、ストラップのないワンピースのような上衣。身体の線がぴったりと出る作りで、ウエストの辺りから両脇にスリットが景気よく入っている。丈は、身体に当ててみたが……膝より少し上くらいだろうか。
 色はしっとりと落ち着いた紅。
 加護女の貴色だ。それに金糸銀糸を織り交ぜた同色の糸で、丁寧な刺繍が施されていた。
 下衣は、巻きスカートのようだが、裾は長く足元を覆い隠すほどで、こちらも身体の線に沿うものと見て取れた。やわらかな布地は、上質のものである独特の重さに似た感覚を手に伝えてくる。こちらにも太ももの辺りからスリットが入っており、舞を舞っている最中に足が露わになることが予想できる。
 胸から上は露わになっているわけだし、露出度はかなりのものだ。
 舞姫の衣装というから、少々煽情的なのは止むを得ないのかも知れない。
 そう思って手塚を見上げると、彼はリョーマの考えていることがわかったのだろう、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「去年、河村が『紅の儀』の衣装を着た不二を見て複雑そうな顔を浮かべていたわけがやっとわかった。恋人の肌も露わな姿を、自分以外の……しかも公衆の面前に曝したい男がいるものか。神事ゆえ止むを得ないとは言え……少しばかり業腹だ」
 むっつりとした物言いが、手塚の独占欲を表していて、リョーマはぞくぞくした。
 愛されている実感、のようなものかもしれない。
 リョーマは、衣装をきちんと畳んで箱にしまい、まだ難しい顔をしている恋人にばふんと勢いよく抱き付く。
 もちろん手塚は、リョーマの身体をきちんと受け止めてくれた。
「そゆ風に言ってくれるの、なんかちょっと、嬉しいよ?」
 逞しい胸に頬を擦り付けて、感じたまま素直な感情を吐露すると、恋人を取り巻く空気が少し和らいだものになり、回された腕にゆったりと抱き締められた。
「大の大人が……とは、思わないか?」
「全然。何にも思われないほうが、俺は嫌だな」
「そうか」
 どこか嬉しそうな手塚の声音。
 リョーマは、ますます身体を密着させて、顔を上げる。
 恋人の顔を正面から見上げて……
「ね、国光」
「なんだ?」
「俺ね、一生懸命踊るから、見ててね。世界のこととか、神様に捧げるためのものだとか、一応考えるけど……でも、国光のこと一番考えて踊るから。だから、一瞬でも見逃さないで……それが俺の、国光の『加護女』ってことだから」
 勝気に笑って言い放つ。
 恋人は、一瞬目を見開いたけれど……次の瞬間には、蕩けそうな笑顔を見せた。
 そして、全く……と吐息交じりに呟き……
「本当に、おまえには敵わん」
 言葉とともに、笑みを刷いた唇が、自分の唇にそっと寄せられる気配を感じて、リョーマはそれに応えるため、近づいてくる顔をぎりぎりまで見ていられるように、ゆっくりと従順に瞼を下ろした。


続

  • 2012/01/18 (水) 04:41

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