作品
六章 榴火月・壱
月が変わって、数日。
リョーマは、不二たちと共に自室で針仕事に勤しんでいた。
「いたっ」
指先に、ちくりとした痛み。
見てみれば、案の定、人差し指の指の腹に、ぷっくりと赤い珠が浮かび上がっている。
「大丈夫?リョーマくん」
「ん、へーき。ちょっと刺しちゃっただけだから」
血の滲んできたところをそっと舐め、息を一吹きすると、もう傷はない。
軽い傷なら、こうすることで治すことができる。
もちろん不二に倣った基本的なやり方を踏まえた上で。
こういうとき、治癒の力があると便利だ。
でなければリョーマの指は、針山と変わりないほど刺し傷ができていたはずだから。
下手に傷は作れない。
だって。
(国光に心配かけちゃうし、それにばれちゃったら意味ないもん)
手にした黒い布地は、なんとか形が整い始めている。
来月は、手塚の誕生日があるから、それまでには間に合わせたい。
いまリョーマが縫っているのは『衫(さん)』という男性物の上着の一種だ。
元の世界風にいえば、ワイシャツに当たるもので、春や夏にはそのまま着用することもあるが基本的には、袍の下に着る。
形状は袍とさして変わらないが素材が違う。
袍は絹や毛織物で作られたものが多く、対して衫は綿などが多い。
袍衫を重ね着するのが、こちらの冬衣というわけで。
手塚の誕生日に、袍衫一揃えを贈るべく、鋭意奮闘中なのであった。
衫は、ほぼ仕上げの段階まできた。
今日か明日には、完成するだろう。
そしたら今度は、袍に取りかかる。
慣れた人なら、十分間に合うだろうが、現段階で自分の裁縫の技量を考えると、ぎりぎりになりそうだった。
先月の『紅の儀』のあとから裁縫を習い始めて、約半月。
だいぶ上達したとは思うが、それでも初心者からは抜けきれていない。
衫を作るのだって、傍らで縫い物をしている不二や菊丸の助けがあってこそ、ここまでこぎつけたのだ。
慣れていないから、あまり長い時間縫い物に集中してはいけない、と言われていたし。
少しずつ、少しずつ教わりながら……手塚が受け取ってくれたときのことを考たら、ともすれば苛々しそうな作業も頑張れた。
「でもさぁ、おちびも最初に比べれば、指刺す回数減ったよにゃあ」
「そうだね。初めは僕らもはらはらするような手つきだったけど、いまは針の扱いに慣れたみたいだしね」
くすくす笑いながら、二人は自分たちの作業の手を止めた。
不二も菊丸も、それぞれの恋人の冬物をリョーマに合わせて仕立てている。
菊丸が大石に選んだのは、クリーム色に緑を淡く混ぜたような色合いで、無地ではあるが文様が浮かび上がるようなタイプの絹。
不二が河村に選んだのは、朽葉色の毛織物。少し厚手のものにしたのは、外で武官を指導することもある恋人を慮ってのことだろう。
リョーマは、衫には黒地の綿を、袍には深い藍色……北辰王の正装である甲鎧によく似た色……の絹を選んだ。失敗が目立たぬように、絹は地模様の入ったもので、パイピングや飾り釦に艶を消した金色を使ってアクセントにする。
布地は、春蓮で商家を営んでいる不二の実家から購入した。
新しい季節の平服を仕立てるとき、不二たちはいつもそうするそうで、今回はリョーマもそれに便乗させてもらったのだ。
加護女として正式に認められたリョーマは、国庫から一定の封戸(ふご。王族や加護女に支払われる生活費)を受けている。
その中から材料費を出した。
生活に必要なものや、衣料品などは手塚が買い与えてくれるため、これまで使ったことは無かったが、さすがに贈り物をする当人に支払ってもらっては意味がなくなると言うもの。
この世界にきて、初めて自分のお金でした買い物だ。
不慣れでもなんとか、形になっていく布地に、時に苛々しながら、それでも充実感のようなものを感じている。
疲れた目をしぱしぱさせていると、それに不二が気づく。
「一休みしようか?」
「ん」
以前目が赤くなるまで集中してしまって、手塚にえらく心配させてしまったことがあるので、素直に頷く。
疲労は治癒力でどうにかなるものではないのだ。
自分で気をつけるしかない。
菊丸も、手にしていた布をガラステーブルに乗せて、うーんと伸びをした。
彼が猫属性だなぁ、としみじみ思うのはこんなときで。
伸びをしたり、眠気を我慢したりしている仕種は、故郷の飼い猫を彷彿とさせてリョーマを小さく笑わせる。
「なんだよ、おちび」
「んーん、なんでもない」
そう言っても訝しげな菊丸の視線をなんとかとかわし、不二が入れてくれたお茶を手に取った。
甘い花の香りのする緑茶は、リョーマのお気に入りだ。
口に含んで舌で転がすとほのかに甘く、優しいまろみが心をほっとさせる。
それと、河村が作ってくれた焼き菓子。
胡桃を混ぜ込み、蜂蜜で味付けされたそれは、クッキーとケーキの中間の食感で腹持ちがするため、おやつとしてリョーマの部屋には常備されていた。
「この分だと、手塚の誕生日には間に合いそうだね、リョーマくん」
先ほどまでリョーマが作業していた布を手に取り、出来具合を確かめながら不二が言った。
「うん……でも、ぎりぎりって感じかな。袍は衫よりも手間がかかるんでしょ?」
「まぁ、縁取りとか、留め具とか付けるのが綺麗に仕上げなきゃいけないから、手間と言えば手間だね」
「でも、手順通りにやれば、特に『手間』とは思わないから大丈夫にゃ」
「んー、頑張る」
口に入れた焼き菓子を嚥下しながら、そう言うと二人は目を細める。
「手塚は本当に幸せ者にゃ」
「そうだね、こんな健気でいい子をお嫁さんにしようって言うなら、多少の忙しさは目を瞑らないと」
笑いを噛み締める不二の言葉は冗談にはなっていない。
月の半ばに、北辰王主催の武術大会『武徳の会』が開かれるため、手塚は常の政に加えそのための準備に忙殺されているのだ。
リョーマの前では、あまり疲れたところや政などを持ち込まない恋人だが、不二や乾の口から聞くにつけ王様家業と言うのは本当に大変なのだと思い知るばかり。
自分にできることは、この部屋に戻ってきた彼を出迎え、労うことくらいで。
「国光……大丈夫かな……」
ぽつんと唇から零れ落ちた言葉。
「大丈夫にゃ、おちび。去年までより、全然余裕があるって大石言ってたから」
「そうそう、僕らがいくら言っても書室で寝起きしてるのをいいことに仕事三昧……基本的に丈夫なものだから、僕なんかは一回くらいぶっ倒れてみればいいのにって思ったもんだよ」
だから大丈夫だと、やけにきっぱり言われては、反論もできない。
自分なりに手塚のことは気をつけるにしようと言うのが、とりあえず最善のように思えた。
「それに頑張れば、誕生日にはリョーマくんから手作りの贈り物が貰えるんだもの」
「最高のご褒美にゃ……それにしてもおちびの世界の風習って面白いな。誕生日に贈り物をするなんて」
そうなのだ。
天領国には、誕生日を祝う……という習慣がない。
誕生日と言うのは、その個人が生まれたという戸籍に載るだけの日付であり、個人を占うために必要なくらいで、それ以上の意味もそれ以下の意味もないというのを聞いたとき、リョーマのほうこそひどく驚いたものだ。
「そっかな。俺には、誕生日をお祝いしないほうがびっくりだったけど」
「なんで?」
そういう常識がないのだから、首を傾げる菊丸の反応は当然なのだろう。
不二も興味深そうにこちらをうかがっている。
「誕生日ってさ……生まれておめでとうって言う意味もあるけど、ありがとうって感謝する日でもあるんだって。生んでくれてありがとう、生まれてくれてありがとうって……だって、生まれることができなければ、出会うこともないわけじゃん?俺が国光や周助たちと出会えたのだって、この世に生まれて、生きてるからなわけだし。あっちにいた頃は、そんなに意識しなかったけど、天領に召還されて……あぁ、そうなんだなって思うようになった。だから、俺はこの世界で出会った、大好きな人や大切な人に生まれてくれて『ありがとう』って言いたいって思ったんだ」
だからリョーマは、これまでに誕生日を迎えた面々には、自分なりの贈り物をしてきた。
この世界で自分が作れるものなんて、大したものはないけど、こちらでも作れるあちらのものを模索して……
大石や乾、桃城に海堂には『ミサンガ』を作って贈ったのだ。
手塚の誕生日に思い至ってから知ったために、本来の誕生日より遅くなってしまったけれど……リョーマがこちらにきた後に誕生日を迎えた人たちに。
もともとは願掛けのためのものだが、あちらにいた頃作ったことがあったし、糸さえ揃えばなんとかなるだろうと考えて。
糸は……式神の一人、蓮を本性に持つ蓮祥(れんしょう)に用意してもらった。
蓮の繊維を用い、彼女の手で縒った特別な糸を、草木で染めて……
聖性を持つ蓮の糸、リョーマにとってもそして手塚にとっても大切な人たちをもしものときに、守るように願いを込めて作った。
手渡したときは、不思議そうな顔をしたけれど、ちゃんと大事に身につけてくれていることをリョーマは知っている。
「そうか……そう考えると、誕生日を祝うって素敵だね」
「生まれたことを感謝する日かぁ……うんうん、今までそんな風に思ったことないけど、生まれたこととか生まれてきてくれたこととか出会えたこと、感謝する瞬間って本当にあるもんな」
噛み締めるように言って、菊丸はリョーマの頭をいい子いい子と撫でる。
優しい動きに、なんだかとっても満足した気持ちになって。
リョーマは、こちらを見つめる二人に、心からの笑みを向けたのだった。
続
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