庭球小説

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六章 榴火月・弐

 久しぶりに空いた午後の一時を恋人と過ごすべく、手塚がその場所に訪れたとき、先触れを出していたためすでにリョーマは、自分の到着を待っていた。
 過ぎ行きつつある夏の気配。
 柘榴の実がたわわに生った木の下に布を広げ、携帯用の小さな卓を置いて茶器を用意し、どこかそわそわとしながら……
 周囲を覗っていた瞳が、手塚を捉えて……幼いけれど整った顔が、喜色に色付く。
 その瞬間はいつも、手塚の心にあたたかく幸福な気持ちをもたらした。
「待たせたか?」
 問い掛ければ、恋人は軽く首を傾げて小さく頷いた。
「ちょっとね……でも、待ってるのも楽しいよ。だって国光、一度した約束は絶対破らないでしょ?必ず来てくれるってわかってるから。待ち遠しいのも、平気だし嬉しいもん」
 にっこり笑うリョーマに、自然と自分の顔にも笑みが浮かぶ。
 彼の隣に腰を落ち着けると、慣れた手つきで茶を入れ始めた。
 こんな風に『お茶の時間』と称した逢瀬を交わし始めた頃は、己の式神に任せきりであったのに……不二や河村に習ったということだが、すっかり手際が良くなったものだと感心する。
 もといた世界と、まったく異なるこの天領になじもうとリョーマなりに努力しているようで……その姿勢はとても好ましく、手塚には愛しいものだった。
「はいっ」
「ありがとう」
「へへっ……日のあるうちに国光と会えるの久しぶりだもんね」
 茶を零さないようにしながら、身を寄せてくるさまは子猫のよう。
 今にも喉を鳴らしそうな仕種に、彼の機嫌の良さが伝わってきた。
 もっとも、それはリョーマだけではない。
『子供の頃から一緒にいるけど、君って人がこんなにわかりやすいなんて、思ってもみなかったよ』
 しみじみと、苦笑混じりに最近の手塚をそう評したのは不二だ。
 家族同然に育ってきた彼女が言うのだから、間違いないだろう。
 間違いなく……
(溺れている……のだろうな)
 生まれて初めて……いや、ようやく出会えたというほうが正しいだろうか……心から想える唯一無二の存在を大切に大切に愛しみたい。
 リョーマの傍にいるだけで、心安らぐ気持ちをいつまでも味わっていたいと……そう思ってしまうのだから。
 愛しいという衝動の赴くままに、そっと唇を触れ合わせ、子猫の毛並みにそうするように白い喉もとを優しく撫でた。
 するとリョーマは、擽ったそうに肩を竦めて勝気な眼差しで睨み上げ……次の瞬間には破顔する。
 今にもごろごろと聞こえそうにご機嫌な顔で、額を肩に刷りつけて甘える仕種は、隠してしまいたいほど可愛かった。
「俺は国光と一緒にいられて嬉しいけど、大丈夫なの?お仕事」
「あぁ。『武徳の会』については、あらかた終わった……あとは当日を迎えるのみと……」
 そこで手塚は、溜息を付く。
「本選前に行われる、模範試合の人選に難航しているくらいだ……」
「模範試合?」
「そうだ」
『武徳の会』まで、もう十日もないというのに……
 通常は、本選には出場しない禁軍将軍たちや、私官たちによって行なわれるのだが、なかなかおもしろい組合せを選べないでいた。
 同じ観戦するならば、手塚も武人として存分に楽しみたい。
 今回に限ったことではないが、『武徳の会』で最も自分たちを悩ませるのは、この『模範試合』の人選なのだ。
 昨年は、一昨年の優勝者でもある河村と、紫師(しすい。宮中警備を職務とする軍隊)の四将軍の一人とで試合を行った。
 見ている側が手に汗握る、一進一退の白熱の試合は国史に残る試合と言っても良いくらいで……
 おそらく昨年の試合は、今だ多くの者の目に焼き付いていることから、余計に人選は困難を極めている。
「今年も河村には出てもらおうと思っていたんだが……」
「ダメなの?」
「ある筋から文句が入ってな。断念した」
「ある筋って?」
「不二だ」
「周助?なんで?」
 目を大きく見開いて、恋人は首を傾げた。
 どこで噂を聞きつけたのか、執務室に直談判しにやってきた、不二の笑顔を思い出して、手塚は再び溜息を付く。
「あいつの独占欲は、半端じゃないんだ。ようやく得たただ一人だからな……気持ちはわからないではないが……リョーマ、河村は、女官の間では人気が有る。人柄もいいし、腕っ節も強い。その上、王の側近である私官だからな。不二という将来を誓った相手がいることはわかっていても、あわよくばと思う強者もいるということだ。しかも遊びではなく、本気が多いから、不二に言わせると性質が悪いらしい。昨年のことで懲りているんだろうな、これ以上河村に注目を集めたくないと、俺に言ってきた。河村のことは信じているが、我慢ならんものは我慢ならん……とな」
 不二にとって河村は『光』だ。
 渇望しながらも手を伸ばすことを恐れ、そんな気持ちを乗り越えてようやく得たたった一人の存在に、彼女がどれだけ癒されてきたかを間近で見てきただけに、その願いを無下にすることはできない。
 とすれば、断念するしかないではないか。
「なーんだ、そう言うことか。ふふっ、周助って可愛いね」
「可愛い?」
「うん。なんて言うの、いじらしいよね……河村さんのこと、大好きなんだなーって」
 なるほど、ものは言いようだな、と手塚は思った。
 あの現場にリョーマが居合わせたとしたら、そうは思わないかもしれないが。
「まぁ、そう言うことに……!?」
 しとくのもいいだろうと続けようとして、手塚は押し黙る。
「国光?」
「誰かが結界に許しなく進入した」
「えっ」
 リョーマが拉致されたという一件があってから、内宮全体を更なる強固な結界で覆った。
 そして予め、手塚が許したもの以外の立ち入りを禁じたのだ。
 それなのに……
 手塚は、腕の中に恋人を抱き寄せた。
 リョーマも、しっかりと胸にしがみつく。
 結界を探る。
「?」
 壊された……と言うわけではないようだ。
 ひびや歪みは感じられない。
 侵入してきた何者かは、結界を傷つけることなくすり抜けた……そんな感じだった。
 しかしそんなことができるのは、加護女である半身か、北辰王の力に近しい力を持つものだけ……
 瞬間……蒼い光が、矢のように鋭く目の前へと降り立った。
 その眩しさにわずかに目を眇め……
 きらきらと輝く粒子を残して、蒼い光は一つの獣の形へと変じていく。
 力強い四肢、鋭い爪。
 銀をまぶした様に輝く蒼く艶やかな毛並み……金の瞳。
「……オオカミ?」
 リョーマが呟いた通り、そこにいたのは美しい狼だった。
『お久しゅう……天将閣下』
 低く、夜を渡る風のような声で、狼は人語を喋った。
 そしてその呼び名で自分を呼ぶのは、天に属する配下のみ……
『彼』の帰還を悟り、手塚は警戒を解いて苦笑を浮かべる。
「久しぶりだ、天狼。息災であったか?」
『は。そちらが……?』
 蒼い狼は、金の眼差しを恋人へと向けた。
「我が加護女だ」
『無事加護女を得られたこと、心よりお慶び申し上げる』
「あぁ……リョーマ。この者は北辰王に仕える星神の一・天狼星神だ」
「星神?この狼が?」
 リョーマは手塚の腕の中から、天狼の様子を伺う素振りを見せる。
『然様。お初にお目にかかる、元君。私は、天狼。北辰王の忠実なる僕にして、天よりの監視者』
「監視者って……」
 不安そうに見上げてくる幼い恋人に、手塚は説明するために口を開く。
 基本的に、天領の知識は、双神の加護によりリョーマの頭の中に書き込まれていくようだが、傍に人がいれば彼はそれを直接聞くことを選んだ。
「天狼星神は、数多いる星神の中でも特別の役割を天帝から与えられている。それは北辰王の治世の監視だ。天より与えられし天命を、北辰王が怠るようなことがあれば世界の均衡を崩すことに繋がる。恙無く天命を果たしているか、それを監視するのが役目。天の将軍とはいっても、人間であることに代わりはない。人とは須らく迷いながら生きるものだ。その迷いは時として王に道を誤らせることもある……そしてそれが積み重なれは、世界は荒れる……そんなことがないように、もしものときは七星剣が王の胸を貫くより早く、天狼が牙をもって北辰王を弑して、世界の理の平らかなるを保つ。だから、天狼星神は、媒介を通すことなく、地上で実体化できる唯一の星神なんだ」
 弑する、と言う言葉を使ったとき、リョーマの小さな手が、ぎゅっと手塚の胸元を掴んだので、安心させるように恋人の拳を優しく包み込んでやる。
「大丈夫だ、リョーマ。俺は天に後ろ暗いことなど、何一つしてはいない。天狼は、ただ、帰還の挨拶に来た……そうだろう?」
『御意……安心召されよ、元君。貴方様の北辰王は、歴代の中でも初代に劣らぬ高潔な御方。間違っても我が牙にかかることなどありえませぬ』
 くつくつと、どこか面白そうに天狼が言うのに、リョーマは何度も蒼い狼と自分を見比べて……ようやく安心したようだった。
「帰還って……天狼、今までどこかに行ってたの?」
 おずおずと問いかけてくるのに、手塚は頷く。
「天狼はな、通常は一振りの剣の姿をしている。蒼く透き通った刀身を持ち、強大な力を宿した天狼剣。俺は、その剣を友人に与えた。ちょうど俺の治世が落ち着きを見せ始めた頃、『見聞を広めてくる』と言って、旅に出た友人にな……」
 やれやれと肩を竦めて、手塚は樹の影へと視線を走らせた。
「それきりまったく音沙汰なしだったが……ようやく戻ってきたか、桔平」
 繁みを掻き分け、姿を現したのは間違いなく懐かしい友。
 諸国を渡り歩くうちに、最後に見たときよりもはるかに逞しくなり、浅黒く日焼けしている。
「あぁ……久しぶりだな、手塚。元気そうでなによりだ」
「おまえもな」
「その子がおまえの加護女か?半陽だと聞いたが……」
「そうだ……リョーマ、これは橘桔平。家を出たきり連絡も寄越さん放蕩三昧と杏か嘆いていた、彼女の兄だ。挨拶しなさい」
「おいおい、手塚。そりゃないだろう」
 苦笑する橘の前に、軽く背中を押してやると、リョーマは杏との共通点を探すように彼の様子を伺い、得心が行ったか頷いて、にこりと勝気に微笑んだ。
「越前リョーマです、ヨロシク」
「あぁ、よろしくな、越前。杏がえらく気に入っていた様子だったから、どんなやつかと思っていたが……俺も、気に入った。おまえなら、手塚のことを任せられる」
 闊達に笑い、乱暴な……けれど親しげな手つきで、橘はリョーマの頭をがしがしと撫でる。
 その光景に、ちりと少しだけ胸が妬けたけれど、さすがにそれくらいで感情を露わにしていては狭量過ぎて情けないと言うものだろう。
(……俺も、不二のことをとやかく言えないか……)
 内心で溜息をつき、橘の手から逃れて、自分の元に戻ってきたリョーマの髪を直してやりながら帰還を果たした友人と向かい合う。
「リョーマのことを聞いたと言っていたな……実家に戻ったのか?」
「まぁな」
「親父殿と杏にすごい剣幕で出迎えられたのではないか?」
 四年ほどだろうか、ふらりと家を出て音信普通だったのだ。
 橘の当主や杏が、心配を通り越して呆れ果て、怒りをふつふつと燃やしていたことを知っているだけに聞かずにはいられない。
 リョーマも杏から事情を聞き及んでいるせいか、興味津々と言った感じだ。
『それはもう……父御に雷を落とされ、妹御には薙刀を持って追い回され……こやつの実家は、嵐が通りすぎたような有様ですぞ、閣下』
「うるさいぞ、天狼!」
 自分で答える前に、相棒の口から暴露されて橘はじろりと天狼を睨み付けるが、星神の方はどこ吹く風だ。
 こいつらの旅路はさぞかし珍道中であったのだろうと、手塚は軽く頭を押さえた。
「そんなことはどうでもいい……ところで、手塚、桃城はどこにいる?」
「桃城?どうしてだ?」
 やたら剣呑な気配を滲ませて問いかけてくるので、訝しく思い天狼に視線を向けると星神は訳知りのようで面白そうにしている。
「やつに話がある……あいつも私官になったのなら、宮城にいるだろう?」
「いるとは思うが……」
 常に居場所を把握しているわけではないのだ。
 内宮に気配はないから、おそらく修練場で武官相手に打ち合ってでもいるのではないだろうか。
 そう答えようとしたところへ、第三者の声が更に割って入った。
「兄様!」
「あ、杏だ」
 ざかざかとものすごい勢いでもって、こちらに向かってくるのはリョーマの言う通り、橘の姫。
「お父様のお説教も、私のお説教もまだ終わってないわよ!!こっそり家を抜け出してどこにいるかと思えば……主上、先触れもなく参上した非礼、兄妹ともどもお許しくださいませ。即刻この馬鹿者を連れ帰り、改めてご挨拶に伺いますので。リョーマ君も、また遊びましょうね」
「あ、あぁ」
「う……うん」
 あまりの剣幕に、手塚もリョーマも頷くしかない。
 杏は、リョーマに負けず劣らず勝気な少女ではあるが、これほど烈火のごとく怒っているのを見るのは久しぶりだ。
「杏!兄に向かって、馬鹿者とはなんだ!」
「馬鹿者を馬鹿者と言って何が悪いの?それなら、うつけ者とでも言い直しましょうか?」
「おまえ……可愛げがないぞ」
「兄様相手に振りまく可愛げなんて、あいにく持ち合わせてないわよ!主上にご挨拶に伺うと見せかけて、桃城君になにか言う気なんでしょ!私にわからないと思ったら、大間違いよっ」
「なにか言う気だと?大有りに決まってる。俺の知らないうちに婚約なんぞ、絶対認めんぞ!」
 さすが兄妹と言うべきか……
 お互い一歩も譲らずに、言い合いを続けているのに、手塚もリョーマも口を挟む隙を見つけられない。
「知らないって、私もお父様も、桃城の家からだってちゃんとそれを知らせる手紙を何度も出したわよ!兄様が、あちこちをふらふらふらふらしてたのがいけないんじゃないの!そもそも婚約の話が出たのは、三年前よ。せめて兄様から、何か一言あるまではって二年も待ったのに、音信不通だったのは兄様のほうじゃない」
「そ、それは……」
「自分のことを棚上げにして、認めないだのなんだの……子供みたいな駄々捏ねないでっ」
「なんだと!とにかく俺は認めん。あんなやつに大事な妹をやれるか!!」
「あんなやつですって!人の婚約者を侮辱するのも大概にしなさいよ!!」
 言っていることの分は杏にあるのだが、はっきり言ってどう収拾をつけていいのか、どこから手をつけるべきなのか……判じかねているところに、向こうのほうから不二が、二人の人物を伴ってやってきた。
「あ、やってる、やってる。このやり取り、久しぶりだなぁ。橘も、相変わらずだね」
「…………不二」
 妙に楽しそうなのは、気のせいだろうか?
「周助、止めなくてもいいの?」
 リョーマが問うのに、不二はにっこりと微笑んで頷く。
「大丈夫だよ、リョーマ君、どうせ杏ちゃんに撃沈されちゃうんだから」
 確かに、その通りかもしれない。
 橘が妹を溺愛を通り越してやや偏愛気味なのは、昔からだが、いつだって杏に一蹴されてきたのだから。
 仲裁を諦めて、不二が連れている二人に視線を向ける。
「お久しぶりです、主上」
「どうも」
 控えめに挨拶をしたのは、橘家の家人である神尾と伊武だった。
 幼い頃に、何度か顔を合わせたことがあったし、放浪の旅に出た橘の随従をしていたと聞いている。
「太極殿の前で、なんか困ってたみたいだから、連れてきたんだ」
「そうか……元気そうでなによりだな」
「はっ、はい」
 恐縮する神尾と、飄々としている伊武。
 ますます珍道中を確信すると、手塚は今だ言い合いを続けている兄妹に視線を向けて。
 楽しそうなのは、不二とゆったり座り込んだ星神のみ。
 それ以外の面々は、手塚やリョーマはもちろんとして、兄妹喧嘩が終息するのを、ただ呆然と見守るに努めることとした。


続

  • 2012/01/18 (水) 04:48

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