作品
六章 榴火月・参
「だから、認めんと言ってるだろうが!」
「四年も音信普通だった兄様に認めてもらおうなんて、欠片も思ってないわよ!私たち本人はもちろん、両家の間でだって婚約はしっかりと成立してるんだから」
喧々囂々。
ああ言えば、こう言う……とは、まさにこのことだろうか。
一歩も引かない橘兄妹の仲裁を諦め、傍観を決め込んだはいいが、一向に言い合いが終わる気配はない。
リョーマは二人の姿に視線をやって、やはりどこか呆れたような顔の恋人を伺う。
眼差しに気づいた手塚は、軽く肩を竦めて見せた。
「ところで四年も音信不通にしてきたのに、何に思い立って天領に戻って来たんだい?」
兄妹喧嘩など、さっぱり聞こえていない風で、おっとりと微笑みながら不二が橘の傍仕えをしていると言う二人に声をかける。
彼女の何がすごいところかと問われれば、こういうところだと思う。
いつだって平常心。
自分のペースと言うものを崩すことはない。
柔和な美貌に、優しげな笑みを浮かべて。
少なくともリョーマは、不二が取り乱しているところなど今までに一度も見たことがなかった。
自分が拉致された折、重傷を負った菊丸を前にしたときはさすがに我を忘れてしまったようだった……というのは、手塚から聞いたけれど、リョーマ自身が目にしたことは一度もないのだ。
本人曰く、手塚の母であり、先代の加護女である鈴鹿御前を見習っている……とのことだが、まだまだ未熟なのだと言っていた。
この国でも五指に入るだろう美姫に微笑みかけられて、神尾のほうは、やや頬を赤らめてしまっているし、マイペースそうな伊武は答える気はないようで。
『世界を守る二つの力、その新たな誓約を私が感じたのだ、法術師殿。なれば、閣下の半身となった御方に一目なりと挨拶しようと、立ち戻った次第』
止むを得ず……という感じで、美しい毛並みを持つ狼が口を開いた。
その金色の目が、一瞬自分に向けられたのに、どきりとなる。
北辰王の治世を監視する役目を持つと言う星神の眼差しには、全てを見通すような意志の光が燃えているようだったから。
その意志は強い力だ。
リョーマは蒼い狼から、抑えてはいるものの強大……というよりは雄大な力を感じて、これが神の力なのかと納得した。
私官とはすなわち、神の意志と力を身体に宿す器。
常人の精神力では耐えられないだろうことは、漠然とわかっていたけれど、天狼星神を前にして、確かにそうなのだろうと思う。
強い魂(こころ)を持つ者だけが、神を宿してなお、己を保っていられる。
砂漠に一粒の宝石を捜すように、それだけの人物を見つけるのは困難なこと。
けれど手塚は見出した。
七つの星を宿せるだけの、強き魂を持つ者たちを。
それはあたかも彼が王の王たる証であるように思えて、リョーマの胸に誇らしさが満ちる。
それを感じたのか、蒼い狼は……表情が浮かぶわけではないのだけれど……愉快そうに笑った気がした。
「それで、天狼はリョーマくんをどう見るのかな?」
『……計り知れぬ輝きを内包した原石、と言ったところですかな。その輝きを引き出し、いかように磨き上げるかは、我らが閣下のお手並みしだいでしょう』
「だってさ、手塚」
実に楽しそうに不二が話を手塚に振る。
恋人は、不二と天狼を交互に見て、苦虫を噛み潰したような表情になった。
一見すると気分を害した風に見えるが、実は照れているのだとわかるから……リョーマも少し恥ずかしくなって、頬の熱を逃がすように視線を彷徨わせた。
「!!」
そちらの方向から感じた『気』に、リョーマはぎょっとする。
タイミングがいいと言うか、悪いと言うか……
太極殿の方から、どんどんこちらに近付いてくるのは、まさに渦中の人物・桃城の『気』だった。
…………まずい。
まず頭に浮かんだのは、その言葉。
橘兄妹は、相変わらず一歩も譲らない言い合いをしているけれど、桃城の存在はそこに火に油を注ぐであろうことは予想するまでもなく明らかだ。
何しろ二人とも頭に血が上っている。
式神を使ってこちらに来るなと言うべきだろうか……いや、この距離じゃもう遅い。
「どうした、リョーマ」
内心のおろおろした気配を感じ取ったのか、恋人が訝しげに声をかけてきたのに、思わず縋るような眼差しを向けてしまった。
視線で桃城の来る方向を示すと、手塚もそちらに目をやって……彼の端正な顔にも、あからさまに『まずい』という表情が浮かんだのをリョーマは見た。
そして……北辰王と加護女の、うろたえる心情に『彼女』が気付かないはずがなく……
「おやおや……楽しいことになりそうだね」
美貌の法術師は、嘘偽りも含みもなく楽しげに、おっとり笑ってそう言い放つ。
「……周助……」
ここで過ごすようになって半年近い月日が流れようとしている今、不二がただ単に優しい人というだけじゃないことはわかっていたつもりだったけれど……
心の底から楽しそうな風情に、ついつい脱力してしまう。
「リョーマ君、こういうことはね、楽しまなきゃ。いずれにしたって揉め事になるのは、わかってるんだから」
害になるわけじゃないんだし、と続けられて、それもそうかと思いなおす。
揉め事は後になればなるほど処理やら修復やらは厄介になるものだ。
傍らの恋人の顔を伺うと、彼もすっかり腹を括ったようで、こちらを見下ろし小さく苦笑した。
ひょっこりと、いつもののんびりとした雰囲気で、桃城が精悍な顔を覗かせる。
「あのー、こっちにすんげえ勢いで杏が来たって聞いたんすけど……」
本当か、とでも聞きたかったのだろうか。
しかし後の言葉は続かなかった。
「桃城君っ」
婚約者の声を耳で捕らえた杏の方が先に反応した。
「おうっ……神尾に、伊武じゃねぇか……それに……橘さん?」
不二の隣に立つ二人と、杏の背後に見知った顔を見つけて、桃城はきょとんとした表情を浮かべた。
「なーんだ、みんな揃って帰参の挨拶っスか。それなら前もって教えてくれたって」
いったいいつ帰ってきたのかと、嬉々として旧知のものに笑顔を向けているのだが……
(……桃ちゃんって、大物?……それとも、海堂さんが言うみたいにただのバカ?……)
仮にも、北辰王の私官に任じられているのだから、自分に注がれる剣呑な気配になぜ気付かない?
それても気付いてて、この余裕の態度なのだろうか?
「…………桃城」
どよーんと、暗雲を背負った橘の口から、まさに地底を這うような声が発せられた。
「は?」
「貴様、杏と婚約しているそうだが……」
「はぁ」
「その婚約、今すぐ解消しろ!」
いきなりの直球である。
桃城は、前後の脈絡がちっとも掴めていないのか、ポカーンとしているし、リョーマはもちろん手塚も、神尾たちも呆気に取られてしまった。
平静のままことの成り行きを見守っているのは、不二と星神のみ。
一番始めに立ち直ったのは、当事者の一人である杏。
「ちょっと、兄様、いきなり何言い出すのよ!」
「おまえは黙ってろ!」
「黙ってろですって?自分の将来のことなのに、なんで黙ってなきゃいけないのよ!」
「どうせ貴族間の家と家の繋がりを重んじるための婚約だろうが」
「なっ……何言ってんのよ!」
決め付けられて、杏がむっとしたのが伝わって来た。
リョーマもその一方的な物言いに、ちょっと気分を害する。
なぜならば、リョーマは知っているから。
桃城と杏が、ちゃんとお互いを想い合って、大切にしていることを。
いくら妹を溺愛してるからって、言っていいことと悪いことがあるだろう。
そう思って、唇を開きかけたのを制したのは手塚だった。
不服に思って恋人を見上げると、彼はゆったりと頷き、桃城に任せるようにと眼差しで伝えてくる。
あくまでも当事者で解決しなければ、意味がないのはわかるけれど……
「あのー」
橘の剣幕をものともせず、間延びした声で桃城が兄妹喧嘩に割って入った。
「なんだ?」
言いたいことがあるなら言ってみろ、と橘の鋭い眼差しが向けられて。
杏は静かに婚約者の動向を見守っている。
「家は関係ないっすよ。俺が俺の意志でそう望んで、橘の親父殿に『杏をください』と申し込みました」
射殺されそうな視線に物怖じせず、桃城はきっぱりと言ってのけた。
「それに、チビん時から決めてたんだ。例え橘さんの言葉でも……天帝の玉命でも、婚約は解消しないっスから」
茶化したような物言いだけれど、そこには揺るぎのない意志。
照れもなく断固とした言葉に、杏はほんのりと頬を染めて自らの恋人に見入っている。
桃城の、そんな態度を見て橘も、ただ剣呑なだけだった表情を引き締めた。
「そうか……それほど強い意志か」
「はい」
互いを探り合う眼差し。
ぴんと張った緊張感。
「……ならば、その覚悟とやらを見せてもらおうか?」
「へっ?」
にやり、と笑った橘の顔は、獰猛な肉食獣の様で……リョーマは一瞬その気配に飲まれかけてしまった。
(……この人……すごい強い……)
魂も、そしておそらく武人としても……
気圧されたことを悔しく思いつつも、ぎゅっと……恋人の袍の袖を握った。
つまりそれくらい、橘の『気』は尋常ではなかったのだ。
リョーマの仕種に、手塚はそっと手を取り、安心させるように握ってくれた。
「おまえがおまえ自身の意思で杏を望むと言うのなら、俺を納得させてみろ」
「……そりゃ、構いませんけど……具体的には、いったいなにすりゃ……」
桃城は、気圧されるどころか、なんの痛痒も感じていないようで……リョーマは、彼をちょっぴり見直した。
「ちょうどいい行事があるじゃないか」
口を挟んだのは不二。
彼女もいつもとちっとも変わらない口調で、やっぱり北辰王の私官と言うのは普通の神経の太さでは勤まらないことをリョーマに再確認させる。
「たしか武徳の会の模範試合の組み合わせ、まだ決まっていないんだろう?手塚」
「あぁ」
「橘の嫡男が帰参したと言う報告にもなるし、見てみたくない?桃と橘の試合」
きっと面白くなるだろうから、僕は興味あるな……と悪戯っぽくけしかける。
手塚が逡巡する間もなく、まず橘がその話に乗った。
「それはいい。仮にも俺の妹の婚約者を名乗ると言うなら、意思の強さと共にその腕っ節も確かめさせてもらおう」
「望むところっスよ!橘さん相手なら、相手にとって不足なしです!」
と、桃城の方もやる気満々だ。
杏のことはもちろん、彼は強い相手と剣を交えるのが好きなのだ。
「おい、ちょっと待て……」
一方的に話を進めるな、と手塚が歯止めをかけようとするのだが……それも徒労に終わる。
「いいじゃない手塚、君だって、興味がないとは言わせないよ?」
「それは……そうだが……」
恋人の気持ちが揺らいでいる……というか、大分傾いているのはリョーマにはわかった。
手塚の武人としての血が、リョーマですら波乱があると予感させる組み合わせに、わくわくしないわけがないのだ。
「なら、決定、だね?」
にこりと不二が微笑むのに、手塚はやれやれと肩を竦める。
「……仕方ないな」
不二は重要な政に対し占師として以外口出しすることはないし、手塚も決して押しに弱い性質ではない……王なのだから、と言ってしまえばそれまでだが慎重に物事を吟味するほうなのだが。
武徳の会自体、堅苦しい行事ではなくどちらかと言えばお祭り、イベントなどの類という認識のせいだろう。
結局、あっさりとOKを出した手塚に、リョーマはちょっと複雑だ。
二人のやり取りを見ていると、過ごしてきた年月に裏打ちされている絆が見え隠れするから。
(……ちょっとだけ……妬けるんだよね……ほんと、ちょっとだけど……)
家族同然と言うことはわかってるし、互いをそう言う対象としてみたこともないのも知ってる。
これも手塚を好きだから。
仕方ない気持ちなのだと受け入れた。
「桔平、桃城……今年の武徳の会の模範試合はおまえたちの組み合わせで行う。異論は……ないようだな」
「おう」
「もちろんっス!」
「ならその様に……桔平、桃城がおまえに納得のいくものを出せたのなら、この婚約に関しての干渉はするなよ?」
「…………わかっている。男の言葉に二言はない」
いまいち納得してなさそうな口調だが、橘はそう言った。
『安心召されよ、閣下。万が一にも往生際の悪い真似などしようものなら、証人としてこの天狼自ら天罰を下しましょうぞ』
くつくつと笑いながら、星神が言うのに、彼の相棒は苦虫を噛み潰したような表情になる。
「杏も、それでいいか?」
「…………私としては、納得しかねる部分もありますけど、何を言っても無駄のようですから、主上のご裁量にお任せします。最も、それはそれとして、私も桃城君との婚約を解消する気はありませんから」
兄への牽制か、きっぱり言ってのける。
ぎりぎりと睨み合う兄妹。
渦中にありながら、プレシャーなどどこ吹く風の桃城。
(……見直したけど……やっぱり、大物か、ただのバカ?……なのかな……)
ちらりと恋人を見上げると、手塚は肩を竦めて仕方なさそうな笑みを口元に刷く。
わが身にはとりあえず被害は降りかかってこなさそうではあるけれど。
自分にとって初めての武徳の会は、どうにも小さな嵐を巻き起こすものになりそうだと、リョーマも苦笑を浮かべて恋人と顔を見合わせたのだった。
続
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