作品
六章 榴火月・四
太極殿の前の広場は、即席の武闘場に設えられていた。
王の御座は、最も見晴らしの良い露台に用意され、外部からは見えぬように御簾が下ろされている。
姿を隠すのは、武特の会には腕に覚えがあるものであれば、身分を問わず参加でき、本人だけでなく近しいものの登城も認められているためだ。
王とはいえお忍びで市井に雑じることもある。
そのためうかつに姿を明らかにするわけにはいかない。
それだけでなく。
王の傍らには、加護女や女、もしくは半陽の私官の姿もあるのだ。
過去に優勝者が、垣間見た加護女の美しさに懸想し彼女を望んだという事例があってから褒美にいささかの制限が加えられたことと共に(官位を望んではならない。人間を物のように褒賞とはしないなど)、御座に御簾を下ろすのが慣例となった。
その御簾の内で。
手塚に贈られた正装に身を包んだリョーマは、その恋人の姿を呆然と見上げていた。
「リョーマ?」
訝しそうに、手塚が首を傾げるのに、はっと我に返る。
次いで、かーっと頬が紅くなったのがわかった。
「どうしたんだ?」
心配そうな言葉に、俯いてしまった。
「あっ、俺わかっちゃったー。おちび、手塚のこのカッコ見たの初めてだもんねー」
「あ、そう言うこと……かわいいなぁ、リョーマくん」
すぐ後ろにいた菊丸と不二がそう笑い合う。
二人の言葉にリョーマは、身を縮込ませて、ちらと見上げた先で手塚は全く事情が飲み込めていない表情をしているのにさらに恥ずかしさが増した。
この後の展開が予想できたので。
「俺のこの格好が、どうかしたか?」
「んもう、にっぶいにゃー」
「まったくだよ。リョーマくんは、初めて見た王衣(おうい)に見惚れたのさ。君ってとりあえず見てくれはいいし、恋する欲目も加わればそりゃあ、ねぇ?」
「……誉めてるのか?貶してるのか?どっちなんだ、不二」
「それはお好きなように……とにかくもう少し敏感になっても罰は当たらないよ」
からかう不二と菊丸に、憮然とする手塚。
ああ、やっぱり、予想通り……
二人の言ったことは図星だったので、ますます居た堪れなくなったリョーマの耳に、救いの声。
「まぁ、まぁ……それくらいにしてやれよ。そろそろ模範試合も始まるんだから」
大石がそう言ってくれなければ、この奇妙な雰囲気がいつまで続いていたことか。
(本当にもう、英二と周助ってば、国光からかう隙は絶対見逃さないんだから)
おまけに最近では、照れるリョーマが可愛いからとまで言い出す始末で。
けど、恥ずかしいけど、そう言うスキンシップはいやじゃない。
玉座に座った手塚の隣。
ふかふかの毛皮を引いた床の上に座るのが、加護女の定位置なのだと乾に指示されて、そこに腰を下ろした。
そしてこっそりと、恋人を盗み見る。
全くもって菊丸と不二の言う通り。
リョーマは見惚れたのだ。
武徳の会に臨む手塚が身に付けているのは、いつもの鎧甲姿ではない。
王衣と呼ばれている、もう一つの正装だった。
鎧甲は天の代理人としての正装。
王衣は天領国という国家の統治者としての正装。
武徳の会は、統治者としての行事であるために、王にしか許されないその衣装を身に付ける。
艶やかな漆黒の絹の上着は袞(こん)と呼ばれるもの。
袖や襟口に金糸で刺繍が施されている。
深い藍色の帯を締め、五本爪の竜が豪奢に刺繍された膝掛けをして、黒い沓(くつ)の爪先が見え隠れしていた。
そして頭には、冕(べん)という冠を被っている。
冕は高官の正装には欠かせぬものだが、王のものは金で作られ前後に垂れ下がる飾り珠は真珠を用い、その数は最高位をあらわす十二。
映画などで見たことのある、中国皇帝のような装いなのだ。
鎧甲姿も威風堂々とした、まさに天界の将軍に相応しい麗姿であることだが、この王衣もまた手塚には良く似合っていた。
知的で泰然自若とした、一国を統べる若き王の才気に溢れている様に、見惚れないでいられるわけがない。
(…………カッコイイ……)
気を抜くと、ついいつまでも見つめてしまいそうで、リョーマはどきどきと高鳴る鼓動から気を逸らすのに一苦労だった。
きっと、不二や菊丸には気付かれているのだろうけれど。
私官の面々も、王の傍近くに仕えているのに恥じない装いで玉座より一段下に、思い思いに腰を下ろしている。
文官寄りの乾や大石はは礼服(らいふく)を、武官寄りの河村や海堂は鎧甲を身に付け、不二と菊丸はリョーマと同じく裳衣姿だ。
(……この御簾ってあって正解だよね……)
でなければ、本題である武術会そっちのけで、衆目はこちらに集まること間違いなしだろう。
「あの……主上……」
どこか落ちつかないような、少女の声にリョーマはそちらに顔を向けた。
このメンバーの中で、内輪にあって手塚を『主上』と呼ぶ者はいない。
特別な計らいによって、この特等席に招かれているのは、模範試合をする両者にとって縁浅からぬ存在。
「なんだ、杏」
「本当によろしいのですか?私がこのような席に……」
いかに正位貴族の姫とはいえ、本来であれば畏れ多くて仕方のない場所に、勝気な彼女も気後れしているらしい。
そんな彼女に、手塚は低く笑った。
「気にすることはない」
「は、はい」
「そうそう、おにーさんと、桃ちゃんの試合なんだもん。杏には、一番の特等席で見る権利があるって」
リョーマも頷くと、杏は表情を和ませる。
「リョーマの言う通りだ。遠慮はするな」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、彼女が座りなおしたのを見届けて手塚が大石に合図をした。
やや間を置いて模範試合の開始を知らせる天鼓の音が盛大に鳴り響く。
広場の東西から、桃城と橘がそれぞれ武器を片手に姿を現すと、観客からざわめきが広がっていった。
桃城は落ちついた深紅の鎧甲に、大剣を担いでいる。
それはもう、軽々と。
リョーマも一度持たせてもらったことがあるが、正直持ち上げることが出来なかった代物だ。
長さは、桃城の肩ほどまであり、刃の幅は、小さな子供であればすっぽり隠されてしまうほど横に広く、そして厚い。
あれを振り回せる人間は、桃城と……それから河村くらいしかいないのだそうだ。
対する橘は闇色の鎧甲。
持っている武器は……あれはどう見てもブーメランだった。
ただし大きさは、桃城の持っている大剣と比べても遜色はない。
材質はなんだろう……鎧甲と同じく艶を消した漆黒のその武器は、陽光に光を弾いている。
「あんなの見たことないにゃ」
リョーマの心の疑問を代弁したのは菊丸だった。
疑問に対する答えを見つけるために視線を向けたのは、もちろん乾にである。
すると彼は分厚いレンズの眼鏡を押し上げて、いつものようにその博学ぶりを疲労してくれた。
「あれは翔翼刃(しょうよくじん)と言う武器だな。大陸の南方に住んでいる少数民族の武器で、俺も見るのは初めてだ。南方守護の神・朱明真君(しゅめいしんくん)の獣身(四方の神は、人の姿と神獣の姿を持つ)である朱雀の飛翔している姿を模したものだそうだが……材質は特殊な方法で精錬し加工した黒鉄(くろがね)や赤銅(あかがね)で、一対一の接近戦では打撃や斬撃用の武器としても使えるし、飛ばせば攻城兵器としても通用するほどの威力があるそうだ。最も、扱いが難しくて、その使い手は少ないと俺が読んだ書物にはあった」
『さすが乾殿ですな。諸国を渡り歩くうちに、桔平はあの翔翼刃に出会い、すっかり気に入ったようで、以来あれを愛用しているのです』
杏の横に優美な体躯をゆったりと伏せた天狼が、そう補足する。
「さすが……と言うのは、橘の方だろう?あの武器を使いこなせるのだとしたら、この四年、どんな研鑚を積んでいたのだか……」
乾は呆れたように肩を竦めた。
「……あの」
先ほどからどこか苛々していると言うかそわそわしている風な海堂が、珍しく話に割り込んで来る。
「なんだい、海堂」
「橘さんって人は、強いんスか?」
おそらく、海堂だって彼と対面したときにその強さは感じていただろうが、敢えて質問をしたようだった。
自分が感じたことを、確認するため、とでも言うように。
「そっか、海堂やタカさんが橘に会うのは、こないだが初めてだったよね」
不二が頷きながらそう言って。
「橘って、俺が宮城に上がった直後くらいに、旅に出たんだもんにゃ。だから、俺も、あいつのことはあんまよく知らにゃいんだけどさ」
菊丸も、回想するような表情で追従した。
「橘は、強いぞ」
きっぱりと大石が言い切る。
「あぁ。なんせ、三回に一回くらいの割合でも手塚相手に引き分けまで持ち込めたのはあいつくらいだったからな」
乾の言葉に、河村は純粋に驚いたようだし、海堂は悔しげに舌打ちした。
根本的に似たもの同志な桃城と海堂。
おそらく、戦う相手が自分でないことが悔しいのだろう。
リョーマは、広場の中央で試合開始の合図を待つ二人を見下ろし、それから傍らの恋人を見上げた。
手塚は、リョーマの視線に気付いてふっと微笑む。
「どこでなにをしていたかは知らんが、またさらに腕を上げたようだ。時間があるときに、俺も手合わせを頼むとしよう」
「そのときは、俺も見てていい?」
「もちろん……さぁ、そろそろ始まるぞ」
心なしか楽しげな口調。
否、真実楽しんでいるに違いない。
王であると共に根っからの武人である彼には、このカードはたまらなく胸躍らせるものなのだろうから。
わくわくとした、どこか少年のような雰囲気に、リョーマも感化されて今まさに、試合が開始されようとしている広場に視線を落とした。
模範試合の審判は、六官の一・軍事を司る夏官長が執り行う。
桃城と、橘……二人の間に夏官長が進み出て、互いに礼を促し、高々と上げた片手を勢いよく振り下ろす……同時に天鼓の音が華々しく鳴った。
その余韻の中 一瞬で、場は緊張に包まれて。
双方共に武器を構える。
動かない。
まるで、互いに腹の内を探り合うように。
(……桃ちゃんのことだから、一気に仕掛けるかと思ったのに……前に、河村さんと試合したときはそうだった……)
桃城の闘志は、存分に伝わってくる。
彼の『気』はそのように昂ぶっているのを、リョーマは感じていた。
それは橘の方も同様だ。
妹の婚約のことを何やかやと言ってはいたが、彼自身この試合を純粋に楽しんでいるような『気』が伝わってきているのに……
広場で展開しているのは、焦れるほどに静かな攻防。
「意外か?リョーマ」
心の内が聞こえたように、そう声をかけてくる手塚にリョーマはこくんと頷いた。
「だがあれが桃城のやり方なんだ。あれは単純なだけの男ではない。何も考えていないようで、深く物事を考えている……全くもって、食えないやつだ」
くつくつと面白そうに笑う年上の恋人。
「その上誰よりも状況適応能力に優れているからね。桃のやつは、相手によって戦い方を変えるという器用な真似をする。しかもそれを本能として自覚しているから、性質が悪い」
「まさに、曲者ってね」
乾の分析に、不二も悪戯っぽく微笑んだ。
海堂は面白くなさそうにそっぽを向いたけれど、意識は向き合ったまま動こうとしない桃城と橘に集中している。
『桔平も曲者ではいい勝負だな』
「つまり曲者対曲者ってことにゃ。面白そー」
もしも菊丸に猫の尻尾があったなら、ご機嫌にゆらゆら揺れているだろう……そんな声と表情で、うきうきとそう言った。
「ん?どうやら、腹の探り合いはやめるようだぞ」
菊丸の隣に座っている大石が、変わり始めようとしている雰囲気を読み取る。
その変化は劇的だった。
静かに燃えていた炎が、一気に爆発したかのように。
桃城の大剣と、橘の翔翼刃が文字通り火花を散らす。
剣戟の音は、すぐ傍で見ているわけではないのに、腹に重く響いた。
「早いな」
ぽつりと、河村が緊張した声音でそう呟く。
確かに早い。
翔翼刃の重さがどれほどのものかはわからないけれど、あれの全てが鉄だと言うなら、相当な重量のはずだ。
桃城の大剣は言うに及ばず。
それなのに、リョーマには二人の動きを追うのがやっとだ。
彼らは手にした武器を身体の一部のように操り、弾丸のような打ち合いを続けている。
ぶつかり合う刃に、激しい火花。
「二人ともやるじゃないか」
少なくとも現状では互角に見えた。
真剣な眼差しで、手塚が楽しげな感想を漏らす。
一歩も引かない、一進一退。
橘が上段から振り下ろしたのを、桃城が大剣で受け止める。
その衝撃で、僅かに桃城の踵が下がった。
音からしたってその打撃がいかに重いものなのかわかる。
常人ならば腕が折れる、もしくは骨に皹が入ったっておかしくないかもしれない。
二人とも本気で。
そして楽しそうだ。
口元に笑みを刷いている。
そんな余裕なんてないはずなのに。
「……すごい」
我知らず、唇を突いて出た言葉。
ともすれば、呼吸さえも忘れてしまいそうになるほど。
見つめる先で、橘がにやりと笑った。
そうして翔翼刃を両手で持ち、捻るような仕種をする。
「あっ」
短く叫んだのは菊丸。
橘の手に、二つの翔翼刃。
「……分かれた」
二刀流。
さらに変幻自在な動きとなって、桃城を翻弄し始めた。
「……桃の方が押され始めたね」
不二が冷静に状況を読む。
二本に分かれたことで、斬撃は幾分軽くなったようだが、その分動きの速度が増して、かわすこと受け止めることで手一杯となり攻撃に移ることができないのだ。
リョーマは、ちらっと杏の方に視線を向ける。
彼女は、胸の前でぎゅっと手を組み、息を飲んで兄と恋人の試合を見守っていた。
橘が、桃城から距離を取る。
そして……片方の翔翼刃を勢いよく投じた……と思ったら、もう片方を手に突っ込んできた。
桃城はそれを刃で食い止める。
火花が生じた瞬間に、また離れて。
そこへ、橘の手から放たれた翔翼刃が戻ってきて、実に的確に桃城を急襲した。
咄嗟にそれを避けたところへ、容赦ない一撃が叩き込まれる。
再び翔翼刃を投じ、波状攻撃を仕掛けてくる橘に、桃城の顔から笑みが消えた。
真っ向からの真剣勝負。
分は、橘にあり、どう見て桃城が不利なのは明らかだ。
「だが、あいつはまだ諦めていない」
手塚の言葉に、リョーマははっとする。
じりじりと追い詰められながら、確かに桃城は、まだ闘志を失っていない。
それどころか、チャンスを探す気満々だ。
彼がわずかに視線を上げた。
一瞬だったけれど。
こちらを見た。
ここにいる、御簾のうちに隠れている杏の姿を。
桃城の精悍な顔に、漲る力。
放たれた翔翼刃が、またも桃城に襲い掛かる。
が、それが再び橘の手に戻ることはなかった。
がつん……と鈍い音がして。
ぐっと張り出した左腕……それで、勢いのついた翔翼刃を無理やり叩き落としたのだ。
「うわっ……今の音……」
菊丸が、眉を顰める。
たぶん自分も同じ表情をしているだろうと、リョーマにはわかった。
そう、あの鈍い音。
間違いない、桃城の左腕には皹が入った。
最悪の場合骨が折れているかもしれない。
防具の下から、滴り落ちる血。
「きゃ……」
杏の口から、短い悲鳴が上がる。
だが試合は止まらない。
不敵な笑みを湛えて、桃城は片手で大剣を持ったまま、一気に懐に飛び込む。
その勢いに、気迫に……橘の反応が遅れたその隙に。
右腕を跳ね上げ……
橘の手に残っていた翔翼刃が、大剣に弾かれて……そして空を飛び、広場の石畳に突き刺さった。
「それまでっ」
夏官長の声。
そして響く、決着を告げる天鼓の音。
試合の勝敗は、片方が負けを認めるか、どちらかが戦闘不能と見なされるか、その手から武器がなくなったときに決まる。
しん、と静まり返った場内。
だが次の瞬間には、わっと歓声が上がった。
「桃の、気迫勝ち、だね」
不二が呆れたように肩を竦めて微笑む。
「愛の力は偉大なりってにゃ」
硬直しかけている杏の肩を、菊丸は冗談めかしてそう言いながら、ぽんと叩いてやる。
手塚も、杏を安心させるように言葉を続けた。
「さすがに、これでは桔平も、これ以上文句をつけることはあるまい……不二、あとで桃城の腕を診てやれ」
「了解」
ちゃんと言葉は届いているものの、放心というか、虚脱というかとにかくぼうっとしている杏の傍に近付いて、リョーマはその顔を覗き込み、にっこり笑う。
視界の隅に、握手を交わしている桃城と橘の姿。
「よかったね、杏」
心から、そう告げると、ようやく杏の顔にもかすかな笑みが広がったのだった。
続
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