庭球小説

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九章 柊雪月・壱

 一年の最後の月。
 柊雪月は、一年の締め括りということもあって忙しい。
 官から奏上される書簡も、決裁する書類の量も常よりも多い。
 特に新しい年の予算関連については、毎年のことながら朝議でも大きな議題となり、最終的にまとまるまでに何度かの紛糾やら、衝突やらを繰り返すのだ。
 今も来年に割り振られる予算のことで冬官(土木や工作、技術開発などを司る官)から奏上された文書に目を通していたのだが……
「主上(しゅじょう)、お昼のお食事の準備が整ったそうでございます」
 控えめに式神から声がかかり、手塚は顔を上げた。
「あぁ、わかった。すぐに行く……大石たちには?」
「これからお伝えいたします」
 律儀に一礼して、神鏡を本性に持つ式神は、白銀の残像を残して掻き消える。
 大切な半身が預けてくれた鑑月は、いかに執務の最中であろうとも手塚に昼食時であることを告げることを怠らなかった。
(……たぶん、リョーマに、そう言い含められているのだろうな)
 仕事に熱中すると、食事を忘れるくらい日常茶飯事だったという過去を、幼い恋人が不二らから聞かされているのは想像に難くない。
 リョーマに出会ってからはそんなことも滅多になくなったが、それでも染み付いた癖がそう簡単に抜けるわけもなく……
 何度かかつての悪い癖が出てしまったとき、恋人は式神から報告を受けたのだろう、眉と目を吊り上げて怒ったものだ。
 自分の身を心配してのことだと言うことは充分わかっている。
 だからその姿は愛しかったし、その気持ちはとても嬉しかった。
 そこには自分を想ってくれる心があるのだと、幼い恋人に懇々と説教されながら感じていたのは、申し訳なさと嬉しさだったのだ。
『ねぇ、たかが一食くらい……なんて絶対に思わないで。食べれるときは必ず食べる、これって生きていく本能の基本でしょ?人間、身体が資本なんだよ。それに用意してくれる河村さんの気持ちだって考えて。お仕事が大変なのも責任重大なのも知ってるけど、俺のことを大事に想ってくれるなら、自分のことも大事にしてよ』
 リョーマの言うことは尤もで。
 以来、鑑月は必ず手塚に食事を摂らせようとするし、そのときは手塚も仕事の手を休めるようにしていた。
 机の上のものを簡単に整理してから立ち上がり、隣の書室へ移動する。
 王が執務の合間に休憩するために設えられたそこは、かつての住まいといっても過言ではない場所だった。
 事実、王位を継承してから手塚が寝起きしていたのはこの書室だ。
 けれど、今思い返してみても、安らぎだとか寛ぎだとか言うのとは程遠い空間であった。
 ただ眠るためだけの場所。
 その睡眠すら、仮眠と言うのが正しく、不二たちが眉を顰めるのを知りながら、この部屋にも平気で仕事を持ち込んでいた。
 リョーマと出会う前の自分の生活が、いかに乾いていたものなのか……
(あの頃には、もう戻れないな……)
 なぜなら手塚は知ってしまった。
 お帰りなさい、と温かい笑顔が迎えてくれる幸福を。
 愛しいものと過ごす、満ち足りた時間を。
 そして思い出した。
『家族の団欒』を。
 だから。
 今はこの部屋には、あんなに幅を利かせていた簡易寝台はない。
 壁に作りつけられた書棚と、代々受け継がれている年代ものの長椅子と小さな側卓(サイドテーブル)だけはあの頃のまま。
 簡易寝台の代わりに持ち込まれたのが、大石や乾たちと食事をするための円卓だった。
 先に椅子に腰掛けて待っていると、それぞれ仕事をしていた二人もやってくる。
 女官が配膳してくれた昼食を囲んで、いくら手を休めたといっても結局は完全には離れきれず、話題は自然と政のことなどになった。
「そういえば、越前は随分、月波琴(げっぱきん。月弓琴=ハープより二周りほど小さい弦楽器。半月形の枠に、弦を張ったもの)、上達したそうじゃないか」
 ふと思い出したように、否、興味深そうに乾がそう言う。
「あぁ、そうだな。覚束ないながらも、何とか旋律を奏でるまでになった。天地拝までまだ二十日以上ある……この分なら大丈夫だろう」
 天地拝とは、柊雪月の最終日、つまり大晦日(この世界での大晦日は柊雪月の三十日)から、新年・元旦の太陽が昇るまでの間に行われる儀式である。
 年間を通しても、満月期以外に行われる神事・行事は一年の終わりと始まりに跨るこの儀式だけだ。
 北辰王と、その伴侶たる加護女が、星彩の塔に籠り、終わりゆく一年の無事への感謝と、これから始まる一年の安寧なるを祈願して天地の神々に楽の音を献上する。
 天地拝には、他の神事と異なる点がもう一つ。
 これには加護女の代役は立てない。
 それは、この世界に置いては『二人で楽を奏する』ことには重要な意味があるからだ。
 友人と二人で、ならば、命やそれに値するものを預けるほどの命友(めいゆう)であることを知らしめ。
 それを誘うことは、恋の告白と言う意味もあり。
 特に、恋人同士や、互いを伴侶と誓い合う二人の間で奏でられる旋律は、愛を詠うものであると言われていた。
 その旋律が美しければ美しいほど二人の心は深く寄り添い合い、逆に不協和音を奏でるようになれば心が離れた証なのだと言う……つまり、二人で奏でる楽の音は、目には見えぬ絆を明らかにするものなのだ。
 その始まりは、世界創世の折に、天帝は弦を爪弾いて理と言う律を作り、西王母は笛を奏でて生み出した生命に魂を吹き込んだという伝承にある。
 故に、過去にも加護女不在期間のこの儀式に代役が立った史実はなく、手塚もこれまでは一人で天地拝に臨んでいた。
 初めてこの儀式に望むリョーマは、元の世界で多少は楽器に触れたことはあるらしいが、それでもその素養はないに等しく一からの修練。
「菊丸がかなり頑張ってくれたようだ。無理をさせないように、堅実で的確な指導をしたのだろう。あいつはあれで物を教えるのに向いているのかもしれん」
 教師役を勤めてくれた友人を褒めると、その恋人はまるで自分が褒められたように嬉しそうな表情になる。
 そういう点に置いては、大石は実にわかりやすいのだが、微笑ましくもあるので手塚は乾と目配せをして、笑いを噛み殺した。
「でも、越前も大変だよな。ただでさえ異世界に来て、覚えることはたくさんあるだろうに、加護女だからと急ごしらえでも詰め込まなきゃいけないことも多すぎる。投げ出さずにやり抜くところが、本当にすごいよ」
 心底感心したように大石が言うのには、手塚も無論同感だった。
 紅の儀のときも思ったが、恋人の努力と向上心には、見習いたいとさえ思うことがあるほどだ。
『子供だからとか、やったことがないからっていうのを言い訳にするのはいやなんだ。だって自分に負けたくないよ。それって全力を出して強いやつに負けたときより、絶対悔しいんだ。そんなの、俺はいやだし、卑屈になったりするのはごめんだもん』
 きっぱりと言い切った瞳は清しく、誇らしかった。
 思い出す手塚の耳に、乾のどこかからかうような声。
「もともと負けん気が強いっていうのもあるんだろうけど、誰かさんのためにって言うのもあるんじゃないか?まったく健気なことだと思うよ。ぜひ後世のために、書き残しておきたい。そしたら芝居の題材になったりしてな……お前の父上と母上の恋物語のように」
「…………煩い」
 どう思う、と話を振られたのを切って捨てる。
 まったく学者というのは……と、呆れ半分で、わざわざ当人の前でそんなことを口にする乾を睨み付けると、彼はなんら痛痒を感じた風もなく、人の悪い笑みを浮かべるだけだった。
 そこへ……
「みんな、食事終わったかい?」
 ひょっこりと河村が顔を出した。
「タカさん、珍しいな……ん?なんだい、それ?」
 乾が目敏く、そう問いかける。
 河村が、皿に乗せてきたものは、見たことのないものだったのだ。
「みんなに味見してもらおうと思ってね」
 ということは、なにか新作だろうか。
 料理の修業がしたくて武徳の会の優勝者となった友人は、現在この宮の料理長の下で、宴などの際に出される宮廷料理のすべてを会得すべく励んでいる。一口に宮廷料理といっても、長い天領国の歴史の中で培われたそれは一朝一夕に覚えられるものではなく、王とその近親者の食事を専任するほどの腕になってもなお、容易いことではない。
 けれど修行の傍ら、自らが考えた料理を食卓に並べるときがある。
 今回もそうなのかと思って、皿の上に乗せられたものを興味深く眺めた。
 甘い匂いがすることから、どうやら焼き菓子のようらしい。
 こんがりと狐色に焼けた表面は、見るからに美味そうだった。
「リョーマたちにも出したのか?」
 甘いものの試食、というなら自分たちより先に、あちらの食卓に乗っていることだろうと思ったのだが……
「ううん。これ、越前には、まだ内緒なんだ」
「?」
 乾たちも同じように思ったのだろう、訝しげな表情をしているが、河村は穏やかに微笑んだまま言葉を続けた。
「これは越前に教えてもらった、越前の故郷のお菓子なんだ。ほら、今月は、越前の誕生日があるだろう?あっちでは誕生日には贈り物を贈って祝うものだって、先月の俺の誕生日に贈り物を貰ったしね。周助たちも何か用意してるみたいだけど、俺に出来ることっていったら、まぁ、料理くらいだから……どうせなら、びっくりさせたくて、内緒なんだ。とりあえず、こちらにある材料で作れそうなもの、越前が比較的詳しく作り方を覚えていたのを再現してみた。何度か試作を繰り返して、ようやく食べさせてもおかしくないかなってところまで来たんで、味見してもらおうかと……」
「なるほど、そういうことか」
 手塚は納得して、首肯する。
 他の二人も、それぞれの反応をしながら、その表情は優しい。
 天領では、ただ戸籍に記載されるだけの誕生日を、リョーマたちの世界では親しい者たちで祝うものだという。
 こちらの暮らしにすっかり慣れても、恋人はその慣習を貫くつもりのようで、リョーマが召喚されてから誕生日を迎えた者には、心の篭った贈り物を用意してくれた。
 今までになかったことなので、多少戸惑いはしたけれど、胸の奥にぽっと優しい明かりが灯ったように温かく、嬉しい気持ちを感じたのをみんな忘れていない。
 その喜びを少しでも返せたら。
 そして、二度と戻れない故郷の代わりにはなれないけれど、この世界で初めて迎える誕生日に、幸せな気持ちになってほしいと願うから。
 やはり、リョーマ本人には内緒でささやかな宴が企画されているのだ。
 その日を思うと、心が躍る。
 どんな表情を見せてくれるのか……待ち遠しくて。
「ほう、これが異世界の菓子か」
 しみじみとした乾の口調に、手塚は思考を引き戻す。
 そうして自分の前に切り分けられたそれを、興味深く観察した。
「これは……肉桂(シナモン)で香り付けしてるんだな」
 独特の香りに、大石がそう言うと、河村は頷いた。
「中の餡は、林檎を砂糖と少量の水で煮込んで、肉桂で香りをつけたんだ。皮は、黄油(バター)と、薄力粉をそぼろ状に混ぜて水で繋いだものだよ。『アップル・パイ』って言ってたっけ……アップル、というのが越前が日本に来る前に住んでいたアメリカという国の言葉で『林檎』という意味で、パイ、というの皮のことらしい。他にも中の餡を変えたパイがあるって言ってたけど……さすがに分量までは覚えてないって言われたから、手探りで少しずつ調整していって……まだ完成品じゃないけど、越前の教えてくれたのに近いものが出来たと思うんだ」
 渡された叉子(フォークのようなもの)で、一口大にして口の中に入れてみる。
 河村の作るものだから、不味いとは思わなかったが……
「……美味いな」
 思わず口に出ていた。
 皮は香ばしくさくさくとして、中の餡はとろりとしているが林檎の歯応えは残っており、肉桂の香りが甘酸っぱさを引き立てている。
「あぁ、食べたことのない食感だが、悪くない」
「砂糖で煮たというからどんな甘いものかと思ったけど、林檎の酸味が活きてるからくどくないし、食べやすい味だよ」
 乾・大石も同意して、しばし異世界の菓子に舌鼓を打った。
 あちらの物を食べたことがあるわけではないので、その辺に関してはなんとも言えないが、十分に美味いというと河村はどこかほっとしたような表情で引き上げていった。
 おそらく、リョーマの誕生日まで、幾度となく試作を積み重ねていくつもりなのだろう。
 何より河村の心が篭っているのだから、多少故郷の味とは違っても、リョーマが喜ばないわけがない。
(……あの子はきっと喜ぶだろう)
 そして自分からの贈り物にも、喜んでくれるだろうか?
 そう考えて……手塚は想いを噛み締める。
(あぁ、本当に……もうあの乾いた日々には戻れない)
 昼食を終えて、執務室の椅子に腰掛けた手塚は、書類を手に取りながら、何度目になるかわからない実感を深く胸に刻み付けた。


続

  • 2012/01/20 (金) 04:17

タグ:[比翼連理]

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