庭球小説

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十章 松露月・壱

 新しい年が明け、官吏の間で執り行われる年初めの行事などに一段落付いた頃。
 夕食を終えたリョーマは、手塚に誘われ水晶宮の外を散策していた。
「ねぇ、国光、どこ行くの?」
「着いてからのお楽しみだ」
 はぐらかすのに唇を尖らせつつも、すぐに機嫌を直して自分と速度を合わせて歩いてくれている年上の恋人の腕に自分の腕を絡めた。
 こんな風に夜のお散歩というのは、滅多にないことだから少々浮かれているのかもしれない。
 ぴったりくっついて。
 濃密な夜の気配の中を歩く。
 冬だというのに花の絶えることのない内宮は、陽が落ちると一際花の香りが強く感じられた。
 他愛ない会話を交わしながら、しばらく歩くと、リョーマの背丈ほどの高さの木が垣根のように連なっている一角へと辿り着く。
 天領に召喚されて、早九ヶ月。
 いまだに足を運んだことのないところは多く、手塚に連れてこられたこの辺りは、まさにそうで。
 このような垣根で区切られているということは、宮城の中にいくつも点在する花園らしいということは、リョーマにもわかった。
 蔦が絡まるアーチの前で、手塚が足を止める。
「ここなの?」
「あぁ」
 促されて中に入ると……
「わ……すご……」
 上弦の月明かりに照らされて、薄蒼い花が和えかに発光していた。
 恋人から離れて、近付くとその花が本当は真っ白であることに気付く。
 目の痛くなるような白ではなくて、優しい乳白色の花弁。
 甘く鼻腔を擽る香り。
 密やかな夜に似合う、大人びた匂いだとリョーマは思った。
「……月下香と言う。夜、月明かりの下でしか咲かない花だ。香玉などの香料としても使われている」
「へぇ」
「……ここは、生前母上が手ずから管理されていた花園でな。彩虹苑というんだ。今は夜だから、月下香しか見当たらないが……昼間来ればその名のごとく、虹のように色鮮やかな花たちが妍を競って咲いている。ならば昼間連れてくればいいと思うだろうが……俺は、夜の彩虹苑をお前に見せたかった。月下香は、母上が植えて、ここまで育て上げたものだから」
 手塚の指先が、白い花弁に懐かしそうに触れる。
 どんな表情をしているのだろう……と見上げてみれば、彼の眼差しは胸がぎゅっとしそうなほどの優しさを湛えていた。
「こんな気持ちで、またここに来れるようになるとはな……」
「国光?」
 ポツリと唇から零れ落ちたらしい言葉が、リョーマの心にかかって、思わず彼の名を呼んだ。
 恋人は、照れくさそうな……それでいて嬉しそうな笑みを浮かべて。
「ここには、母上の思い出が多すぎた。ともすれば幻影さえ見てしまいそうで……己の心の弱さが浮き彫りになる気がして、あれから一度も訪れたことはなかった」
「…………」
「不二もそうだったな。あいつはよく母上とここで花の世話をしていたから……思い出が多すぎて、辛かったんだろう。ここに来るどころか、近辺に近付くことすらしなかったみたいだ。母上が亡くなってしばらくは、花を見るだけでも顔を歪めていた。俺もあまり余裕がなくて……そのことに気付いていてもどうすることもしてやれなかった」
「そう、なんだ」
 最近。
 よく手塚は昔のことを話してくれるようになった。
 菊灯月に、二人で泰山を訪れたあと辺りからだろうか。
 本当にぽつぽつとだけれど、リョーマと出会う以前のこと……北辰王を継いでからのこと、それからそれより前の両親のいた頃のことを。
 彼の唇から語られる度に、切なく、また嬉しい気持ちが胸の奥から湧き上がってくる。
 自分の知らない、彼のことを知ることができるのは嬉しい。
 その反面。
 それは無理だと知りつつも、もっと早く彼に出会えていたらと言う想いもあって。
 胸の奥が、ぎゅっとなるのだ。
「そんな顔をするな」
「……俺、どんな顔してる?」
「どうしたらいいのかわからない、と言う顔だな。俺はお前のどんな表情も見たいと思うが、できれば笑った顔を一番見たい」
 花の香りを纏った指先が、愛しげに頬を撫でる。
 リョーマは恋人の手を取って、頬をそっと押し付けた。
「リョーマが今、俺の隣にいてくれるから、俺はまたこうしてここに来ることが出来た。かつて感じていた辛い気持ちはない。ただ懐かしいと思うだけだ」
「ん」
「今でも鮮やかに思い出せるよ。水晶宮を花で飾ろうと言い出した母上と不二に無理やり引きずられて、両手いっぱいに切った花を持たされたことや、水撒きに駆り出されたことを……」
 その思い出を探すように、手塚の視線が周囲を巡る。
「俺はその思い出をそのままに取っておきたかったのかもしれない。不二も足を踏み入れることはなかったし……だから、俺はずっと、ここへの人の出入りを禁じていた。でも、それも今日までだ。久しぶりにここに来て、かつてここを愛した人はいなくなっても花はその思いを継いで咲き続けているものなのだとわかった。母上や不二が丹精していた花は、以前にも増して美しく咲いている」
 恋人は手を伸ばし、月下香の花を一本手折る。
 花は抵抗する気配はなく、自ら進んでとも取れるように、ぽきりと容易く折れた。
 差し出された花をリョーマは手に取って、香りに引き寄せられるように顔を寄せる。
「リョーマ」
「なぁに、国光」
「この花園をどうかお前が引き継いでくれないだろうか?不二や菊丸と一緒に」
「……いいの?」
「もちろん。お前が来て、不二の中でも母上の記憶は優しい思い出になっているようだからな。よく、母上との思い出話をしてくれると、河村が嬉しそうに教えてくれた。リョーマがこの花園を引き継いでくれるなら、それはあいつにとっても嬉しいことだと思う」
 手塚が、あんまり幸せそうにそう言うから。
 リョーマも口元が自然に綻んで、こっくりと頷いていた。
「うん。俺でいいなら喜んで」
「頼む。母上が丹精していたものだけでなく、お前たちの裁量で新たな花を植えて、彩虹苑を更に鮮やかで賑やかな花園にしてくれ」
 穏やかに微笑む恋人に抱き寄せられて、リョーマは逞しい胸に身体を寄りかからせる。
 自らの胸元で、手塚の手折ってくれた月下香を弄びながら。
 月明かりの中、花の香りに囲まれて、大好きな恋人と寄り添い合う……唇からは、甘い溜息が零れ落ちた。
「ねぇ」
「なんだ?」
「あったかくなったら、ここでみんなでご飯食べよ。お茶を飲むのでもいいや。杏や橘さんも呼んでさ」
「そうだな。それは楽しそうだ」
「約束だよ」
「あぁ」
「へへっ」
 笑顔のまま見上げれば、手塚も穏やかに笑ってくれる。
 嬉しくて、リョーマはますます笑みを深めた。
「そうだ、リョーマ」
「んー?」
 恋人の胸にごろごろと懐きながら、ご機嫌の態で返事をする。
「実はな、明日丸一日、暇を出された」
「え?」
 王の職務に暇など出されるはずがない。
 たぶん自分は、訝しいを通り越して変な顔をしていたのだろう。
 手塚が喉の奥で、小さく笑った。
「明日は執務室に行っても入れてくれないそうだ」
「誰が?」
「乾と大石が、だ」
 真意が掴めなくて、ますます首を傾げる。
「おかしいと思ったんだ。最近やたら処理する書類の枚数が増えたと思っていたら……聞いてみても、『処理能力が早くなったからそれに合わせた』とか何とかはぐらかす。まさか、俺に丸一日休みを取らせるためのものだったとはな」
「丸一日お休み?」
 思わず声が大きくなってしまった。
 これまで、手塚の身体が空くのは、どんなに長くても半日が限度だった。
 その半日だってよほどのことがない限り捻出できない時間で……
 王が丸一日職務を休むなんて、それがどれだけ大変なことかわかるから、リョーマは嬉しいとかそういう気持ちよりも先に驚きのほうが勝ってしまった。
「あぁ。頑張っているリョーマへの褒美だそうだ。城下はいま新年で賑わっているから、連れて行ってはどうかと言われてな。お前は街に降りたことはないから、これはいい機会だろう?」
「俺へのご褒美ってそんな……そんな理由で、大事なお仕事……」
「いやか?」
「いやじゃないよ!すごく、嬉しい、嬉しいけど……でも……」
 戸惑ってしまう。
 王様の仕事は、とても大切なことだから。
 自分のためなんかに、それを疎かにしてほしくない。
「仕事も大事だが、お前も大事なんだよ、リョーマ。天領に召喚されてからというもの、お前は慣れないことにも積極的に頑張って、そして結果を示してきた。そんなお前のために、丸一日くらい空けるのは、天帝もお目こぼしくださるさ。それに今日のために仕事をこなしたから、明日の執務はもとよりないも同然なんだ。乾たちの好意でもある。明日は俺と一緒に城下に降りて、俺たちが守るべき世界の一端を見て来よう?」
「…………うん」
 嬉しくて、ぎゅうっと抱きつく。
 いつもは忙しい恋人を、一日独り占めなんて、ものすごく贅沢だ。
「俺、すごく、嬉しいよ。国光」
「そうか」
 手塚も満足げに微笑んで。
 そっと頤を掬い取られた。
 闇を凝ったような美しい漆黒の瞳に、自分の顔が映っていて。
 言いようのない幸福感が胸を擽る。
 うっとりと瞼を閉じると、優しい温もりが唇に触れてきた。
 ほんの少し伸び上がって、もっとと催促すると、今度は啄ばむように軽く幾度もくちづけてくる。
 濃密な夜の気配と、花の香りに包まれて。
 明日の約束に胸を躍らせながら、飽きることなくリョーマは恋人とくちづけを交し合った。


続

  • 2012/01/20 (金) 04:25

タグ:[比翼連理]

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