庭球小説

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十章 松露月・弐

「あれ、今日は静嵐じゃないの?」
 嬉しげに纏いついてくる恋人に、愛しさを感じながら手塚は首を横に振った。
「違う。龍馬(りゅうめ)などで街に降りたら、必要以上に人目を引いてしまうしな。下手をしたら、俺の素性がばれてしまうかもしれん。遠出をするとき以外のお忍びは、別の騎獣に乗ることにしている」
「そっか。そうだよね。神獣を乗騎にしてる人なんて、滅多にいないに決まってるもんね」
 納得したのか、頷いて、厩舎から引き出されてきた騎獣を興味津々に覗き込む。
「まぁ、静嵐は拗ねていたが、致し方あるまい」
 厩舎の中で、苛立たしげに前脚を叩きつけていた愛騎を思い出して、手塚は苦笑した。
「拗ねる?」
「そうだ。静嵐は、賢いからな。その分プライドも高い。主が自分以外の騎獣に乗るのも気に入らなければ、それが自分もお気に入りのリョーマと出かけるものとわかったんだろう。それはもう拗ねていたぞ」
 想像したのが可笑しかったのか、リョーマも肩を震わせて笑う。
「帰ったら飴でも持って行ってやるとしよう」
「俺も一緒でいい?」
「あぁ。俺と一緒に、静嵐の機嫌を取ってくれ」
「うん……この子は、なんて言うの?」
「薄氷(うすらい)だ」
「周助の東雲(しののめ)と同じ騎獣だよね。確か吉量(きつりょう)だっけ?」
 褐色の毛並みに、白い縞模様。
 朱色の鬣が美しい馬に似た幻獣で、性向が大人しいため騎獣として重用されている。
 黄金の瞳をじっと覗き込んでいる年下の恋人の問いに、そのとおりだと頷いてやった。
 薄氷はやや人見知りする性格なのだが、リョーマにはすぐ懐いたようで胸元にしきりに鼻面を押し付けている。
「では、行こうか?」
「え?またここからなの?禁門から出るんじゃないわけ?」
「あぁ。一応、王が公務でもなく宮城を空けるというのは、あまり褒められたことではないし、表向き俺は今日も執務に従事していることになっているからな」
 以前にも一度そうしてもらったように、そのような理由のため、半身に借り受けた式神に今日も影武者を務めてもらっているというわけで。
 何かあったときには、不二に式神を飛ばしてもらう手筈になっているので、安心しろと続けると……
「ふぅん」
 手塚の説明に納得したのか、恋人は素直に頷いた。
 腕の中にすっぽりと納まってしまう華奢な身体。
 両脇に手を差し込んで、手塚はリョーマを鞍の上に座らせてから、自分も鞍上に身を預ける。
 手綱を軽く引き、腹を蹴ると薄氷は宙へと脚を踏み出した。
 ふわりと頬を風が嬲る。
 静嵐に比べれば、緩やかな速度で吉量は空を駆け、一路春連の街を目指して降下していく。
 城下に降りるだけであれば、半刻もかからない。
 リョーマはいつものように、ぴったりと胸に頬を寄せていて、そのぬくもりが心地好かった。
 雲の下に抜けると、首都の街並みが眼下に広がる。
 紫電宮の浮かんでいるちょうど真下のあたりに、人工の湖『芯』が見て取れた。
 あれが世界の、まさに臍であるのだと教えてやると、恋人は手塚の腕の中から僅かに身を乗り出して、初めて見る光景を見下ろす。
 灰味の強い明るい茶の瞳が、きらきら輝いていて、愛らしさに口元が自然と綻んだ。
 ぐんぐんと間近くなってきた地表。
 人気のなさそうなところを瞬時に確認して、手塚はそこに薄氷を着地させた。
 路地を挟んだ向こうの通りでは、人々の賑やかなざわめきが聞こえる。
 広場のほうなどでは大道芸や、出店などもあるため、皆そちらに向かっているらしい。
 年の初めと、花の季節は、春連の街がもっとも賑やかになる頃なのだ。
 リョーマもそちらに興味を引かれているようだが、まずは薄氷を預けなくてはならない。
「リョーマ。まずは、行きたいところがあるんだが、かまわないか?」
「うん、いいよ。どこに行くの?」
「薄氷を預けに、知人のところに行く。一度は必ずお前を連れて行きたかったところでもあるんだ。きっと喜んでくれると思うがな」
 含みを持たせてそういうと、リョーマはきょとんとした表情を見せ、やがて微笑した。
「じゃあ、連れてって」
「あぁ」
 手塚は片手で薄氷の手綱を引き、もう片方の手は大切な恋人と逸れてしまわないように小さな手をきゅっと握った。
 リョーマも自分の意図に気付いたのだろう、握り返す力がいつもより強かったのが、胸に温かく感じられる。
 年下の恋人は、途中行き交う人々……花や菓子を売るものや、馬や幻獣に荷物を括り付け手綱を引いているものなど……を興味深げに眺め、見慣れないものを見ると即座に問いかけてくるのに、その都度答えた。
「ねぇねぇ、あの人たちは花束持ってどこに行くの?」
「あぁ、あれは新年の祈願に行く者たちだ。首都や州都には、必ず祭宮があるというのは習っただろう?天帝や西王母……各州を守護する方位神に新たな年も恙無く暮らせるように、花を供物として祈るんだ。遠方に住む者は、町や村ごとに代表を立てたり、それを生業としている者に代理を依頼したりする」
「へぇ……なんだか初詣みたいだね」
「初詣?」
「うん。日本の新年の行事なんだって親父に教えてもらった。年が明けたら神様を祭ってる神社って所に行って、お賽銭をあげて、それでいろんなお願いをするんだって」
「なるほど、神を初めて詣でるから、初詣か。リョーマたちの世界の神はなんというんだ?」
「んー、いっぱいいるよ。国とか地域によっては信仰してる神様違うし、俺の世界には本当に神様がいっぱいいたなぁ。唯一神教とか、多神教とか。信じてる神様の教えの違いなんかで、戦争が起きちゃうこともあるし」
「そうか……難しいものだな」
「うん。そうだね。まぁ、たくさん神様がいる中でも、日本っていう国はそういうのに寛大っていうか、無頓着な国だなって親父の話を聞いてて思った。無頓着って言うのはいい意味でだよ。親父が言うにはね、日本はヤオロズの神が住んでる国なんだって」
「ヤオロズの神?」
「そう。詳しい意味は俺にもよくわかんない。でもね、要約すると存在するありとあらゆるものには、神様が宿ってるんですよってことらしいよ。たとえば、道端に転がってる石なんかでもね」
「なるほどな。あちらの世界の話はいつ聞いても興味深い」
「そっかな?俺はあまりにも物知らずで時々恥ずかしいけどね。こんなことなら、もっと真剣に勉強しとけばよかったって思うよ。せめてアメリカと日本のことくらいは、もう少し詳しく知っとくべきだったかも。そしたら、国光たちに、もっとちゃんとあっちのこと話せて、いろんな参考になるようなこととかも教えることが出来たかもって思うもん」
 それがあるから、天領のことは真面目に勉強しようって思うんだけどね……とリョーマは苦笑いする。
「そう思えるなら、結構なことだと思うぞ」
 不勉強だったと自覚し、悔いる心を持ち、それを新たな向学心にすることが出来るならそれは決して無駄なことではないと思うから。
 決して怠惰ではないその姿勢が、手塚には好ましい。
「ありがと」
 にっこりと笑う仕草が愛らしくて、頭を撫でるかわりに繋いでいる手を微かに揺らした。
「薄氷を預けたらさ、まず祭宮に行ってみたいな」
「混んでいて中には入れないと思うぞ」
「それでもいいよ。外からでも見てみたい。一年を穏やかに暮らしたいって願ってる人たちの顔」
「…………そうだな」
 リョーマの口から零れた、その心根が嬉しかった。
 自分は、そして世界は、なんと素晴らしい加護女に恵まれたことか。
 相変わらずきょろきょろと周囲に視線を向けながら、はしゃぐ恋人……城下に連れてきてよかったと、心の底から思った。
 目的地に着くまでの間にも他愛ない会話を交わして。
 ようやく辿り着いた場所。
 リョーマに薄氷の手綱をしばし預け、店先からひょいと顔を覗かせると見覚えのある顔が、こちらに気付きぱっと表情を明るくさせた。
 少しきつめの美貌の若い女性。
 しかしその面立ちは、手塚も……そしてリョーマもよく知る人物に似通っていた。
「まぁ、手塚さん、いらせられませ。あの子から聞いてはいましたけど、本当にいらっしゃるなんて……お久しぶりね」
「本当に……ご無沙汰して申し訳ない」
「仕方ないですわ。お忙しいのですもの。騎獣をお連れなのね。裏に回ってくださいな」
「あぁ、そうさせてもらう」
 言われたとおりにしようと、自分を待っているリョーマのところへ行くと……彼は、少しばかり不機嫌そうだった。
「リョーマ?」
「……女の人の声だった」
 ぶすりとしてそう言う。
 確かにリョーマの位置からは、彼女の顔は見えず声のみだったのだろうが、この言いようは……
 もしかしなくても、やきもちだろうか。
 くすぐったくて、手塚は笑いを抑えるのに苦労してしまった。
 万が一にも笑ってしまったら、愛しい半身の機嫌を大いに損ねることになりそうだったので。
「お前が心配するようなことは何もない」
「別に心配なんてしてないもんっ」
「ならいいが……おいで、お前に会わせたかった人たちがいる。きっと、お前も喜ぶとさっき言っただろう?」
 まだ、どこか拗ねたような恋人の手を引いて、手塚は裏口に回る。
 するとそこには、主に言われたのだろう。
 待っていた老爺に薄氷の手綱を預けた。
「手塚さん、ようこそ」
 出迎えてくれたのは、初老の上品そうな婦人。
「お久しぶりです」
「あら、可愛い方とご一緒なのですね?そちらが?」
「はい」
「はじめまして……確かお名前は、リョーマさん、と仰ったわね。周助から聞いています」
 婦人の口から出た名前に、リョーマは驚いたようにやや俯けていた顔を上げた。
「周助?」
「はい。新しい家族ができたと、嬉しそうに教えてくれたのですよ」
 先ほど自分が話していた女性より、よく似た面立ち。
 おっとりと優しげに微笑む、どこか少女めいた印象の婦人にリョーマもようやくわかってきたようだった。
「リョーマ、こちらは、不二の実のご母堂でいらっしゃる。不二を養い子とした縁で、俺も家族のように遇してもらっているんだ」
「じゃあ、さっきの女の人は……」
「不二の姉上だ」
 勘違いのやきもちに気付いて、頬を紅くする。
 だが、すぐにはっとして、不二の母親に姿勢正しく向き直った。
「初めまして。越前リョーマです。周助にはいつもお世話になってて……よろしくお願いします」
「こちらこそ……本来のご身分を考えると非礼極まりなくて申し訳ないのですけれど……」
「そんなことっ」
 ぶんぶんと勢いよく首を横に振る恋人に追従するように、手塚も言葉を続けた。
「そのようなことを気になさる必要はないと、以前にも申し上げたはずですよ」
「恐れ多いことです……周助から話は聞いていますが、見聞の前に、よろしければお茶などを差し上げたいと思うのですが、いかがですか?」
「そうですね。不二のご家族をリョーマにもぜひ紹介したいと思っておりましたので、ありがたく……リョーマは、異存はないか?」
「ないよ!」
 先ほどまでの不機嫌はどこへやら。
 嬉しそうに頷くリョーマに笑みが零れる。
「では、中へどうぞ。リョーマさんは甘いものはお好きかしら?」
「はいっ、大好きです」
 促されるまま邸内へと足を踏み入れながら。
 手塚は己の胸の内が、温かいもので満たされていくのを感じていた。


続

  • 2012/01/20 (金) 04:26

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