庭球小説

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十章 松露月・四

 宴は酣だった。
 新年を祝う、初音之宴。
 歌舞音曲などを愛で、そして楽しむ。
 広間の中央では、宮廷一の名手と言われている菊丸が、その見事な舞を披露していた。
 胸の下に鼓を括り付け、楽の音に乗って綾棒で打ち鳴らしながら、軽やかに舞う彼女の姿を見つめる傍らの恋人の目はきらきらと輝き、頬は紅潮していて憂慮の色は伺えない。
 宴を心から楽しんでいることが伝わってくる。
 そのことが手塚をほっとさせた。
 先日、初めてリョーマを伴い春連の街に下りたのだが、そのとき以来、時折であるが彼女の心が乱れているのを感じていたからだ。
 リョーマ自身、それをどうしたらいいのかわからないらしく、平静を装っているが、互いに存在を分け合っている手塚にそれが伝わらないはずがない。
 ただ、無理に聞き出そうとは思わない。
(リョーマは幼いが、聡い子だ。この子が言わないということは、まだ確たる言葉にならず、その時期ではないということだろう)
 恋人は、必要と判断すれば必ず言ってくれる。
 絶大の信頼がそこにはあった。
 だから今は、自分の隣で、純粋に宴を楽しんでいる姿が手塚を心から安心させるのだ。
「手塚」
 菊丸の舞に視線を戻そうとしたところで、背後から低く名前を呼ばれた。
 振り向くと、乾が神妙な面持ちでそこにいて。
 彼の意図を汲み取って手塚は小さく頷く。
 立ち上がる前に、反対側に腰を落ち着けている不二と視線を見交わすと、彼女も心得ているというように首肯する。
「国光?」
 席を外そうとする自分に気付いて、リョーマが首を傾げた。
「すぐに戻る」
「うん。いってらっしゃい」
 にこりと微笑む可愛い恋人の頬をそっと撫でてから、手塚は宴が開かれている広間を出て、回廊の柱の影に乾の姿を見つける。
「どうした?」
「お前に頼まれていたことについて、さっき報告書が上がってきた」
「…………天船のことか?それとも……」
「もう一つのほうだ。お前たちが行き会ったという酔っ払いの一件」
 リョーマと共に降りた新年に賑わう春蓮。
 大道芸を見ていたときに起きた騒ぎは、手塚の胸に違和感をもたらした。
 暴れていた男は、酔っているようにも見えたけれど、そうではないような気がしたのだ。
 どんなに泥酔したところで、完全に個人の意思を消し去ってしまうことは無理だ。
 意思というよりは『我』と言ったほうがいいかもしれない。
 つまり、その者のその者たる所以。
 本能に秘められた核とも呼べるもの。
 それが感じられなかったのだ。
 王として、そして天将として人の『気』を読む術には長けているほうだという自負がある。
 特に本質と呼ぶべきものを見抜くことにはかけては。
 暴れていた男から感じたのは、まるで傀儡みたいにいいように操られているような、そんな気配。
 あの男の四肢に、魂に、絡み付いている糸のようなもの……
 だいいち、酔っていると周囲のものは勘違いしていたようだが、酒気は一切感じられなかった。
 不審に思うには十分だ。
 不二の弟から聞いた天船のことも含めて、乾に調査を指示していた。
 その結果が出たというのみならず、宴の最中にわざわざ呼びに来るということは、それなりの事態と乾が判断したということになる。
「……聞こうか」
「あぁ……お前の推測どおり、男は酔ってなんかいなかった。その男は官兵(街の治安維持などを仕事にしている、夏官の末端。交番勤務の警察官のようなもの)で、同僚などの話によると腕は立つが、下戸で酒の類は一切飲めないそうだ。なにしろ一杯で、ひっくり返るほどだそうだから、酔っ払って暴れるなどありえないと首を捻っていた。役人の調べでも、酒気を帯びていなかったことが確認されている。本人の話では、何をしていたのか一切覚えていないということだ。ただ終始、誰かの声を聞いていた気がする、と言っていたらしい。どう思う?」
「……洗脳、と考えるのが妥当だろうな」
「やはりそうか……『奴ら』の術かな?」
 乾が眼鏡の位置を直しながら、明言を避けつつ、そう口にする。
 やつら……鬼が徒なそうとしているのは確かだが、それを全てとするわけにもいかない。
 天領国の民すべてが善良であるとは言えないからだ。
 この世界に住まう全ての民には、善良なものもいれば、悪辣なものもいる。
 それで当たり前なのだ。
 だから邪な心を持つ術者の仕業と言う可能性を捨て去ることは出来ない。
 手塚は指先で軽く顎を撫でるようにして、考える。
「一概に断定することは難しい。仮にやつらの仕業だとして、大体たった一人を洗脳してどうなると言うんだ。天城のようにある程度財も力もあるものならともかく……官兵を一人だぞ?たかたか男一人を、酔いに任せた風を装って暴れさせるだけの意図が掴めん」
「……だな」
「警戒する……それしかすることがないと言うのも、もどかしいことだ」
「あぁ。しかし最善を考えるための材料さえも少ない今、それしか打つ手がないのが現状だよ」
「仕方あるまい」
「天船の件については引き続き調査するよ。何かわかったら、改めて報告する」
「頼む……取り合えず、宴の席に戻ろう。王と私官がいつまでも不在なのでは、官に余計な不安を与えるだろう」
「了解」
 連れ立って、広間に戻ると、菊丸の舞がちょうど終焉に差し掛かった頃合だった。
 途中から見ていないが、いつもながらにそれはそれは見事なものだったのだろう。
 その場に居合わせているものたちは、声もなく、また酒を飲む手を休めてひたすら彼女の舞に見入っている。
 きっと、手塚が席を外していたことにも気付いてはいまい。
 定められた御座所に戻り、そっと御簾を上げてリョーマの隣に腰を下ろした。
「お帰りなさい」
「ただいま」
「お話終わったの?」
「あぁ」
「英二の舞、すごかったんだよ」
「みたいだな。途中退席したのが残念だ。全てを見ていない俺からでは、あいつも嬉しくないだろうから、労いの言葉はお前がかけてやるといい」
「いいの?それって王様の役目なんじゃ」
「別に王の役目と言うわけではない。お前は俺の加護女だし、将来的に正妃になるのだから、立場から言って問題ないしな」
「……そ、そっか」
 手塚の言葉に、リョーマは恥ずかしげに俯いてしまった。
 ぽっと、耳が紅く染まっているのが見えて、愛しさが込み上げてくる。
(……王母の仰った、風が吹き始めているのかもしれない。全てのことは、その予兆……)
 不二の星占にも、凶兆が見えていると報告を受けた。
 けれど。
(何があっても守って見せる。お前と……そして皆と暮らす、この世界を……)
 鬼と呼ばれるものたちが何を考えているかわからない。
 それでも。
 徒なすというのならば、迎え撃つまで。
 年下の恋人が、ちらりとこちらを見上げるのに、やわらかく笑いかけて。
 日ごと強くなっていく決意が、新たに胸の内に満ちていくのを感じていた。


続

  • 2012/01/20 (金) 04:29

タグ:[比翼連理]

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