作品
十一章 梅信月・弐
また、夢を見ていた。
今度の夢は、ちょっとだけだけれど覚えている。
生まれたばかりの赤ん坊が、盥に入れられて、海に流されるのだ。
どんな理由があるにせよ、その夢の残滓は、リョーマの心を陰鬱にさせた。
(…………赤ちゃんを海に捨てるなんて……酷い……)
理由があって育てられないにしたって、産み落としたなら、せめてその子が恙無く育つよう道筋だけでも立ててやるのが親と言うものではないだろうか。
里子に出すとか、孤児院などの施設に預けるとか。
親しか頼るもののない赤子に対しての、その仕打ち。
あんまりだと、溜息をついた。
そもそもそんな風にして捨てるなら、なぜ産んだのか。
暗澹とした気持ちで溜息をつき、リョーマは寝台に起き上がった。
「おはようございます、リョーマ様」
「おはよ、透理」
顔を洗って、さっぱりして。
眠気の残る目元を擦った。
「リョーマ、目を擦るな」
咎める声がして、顔をそちらに向ける。
「国光……おはよう」
「あぁ、おはよう」
大好きな恋人の傍まで走っていき、屈んでくれた彼の頬に軽くキスをする。
彼からも額にキスを返されて。
いつもの習慣に、心が和んだ。
「また、夢を見たのか?」
「ん」
「眠いなら、まだ寝ていてもいいんだぞ。朝食はこちらに運ばせてもいいから」
甘やかす声が、胸に染みたけど。
「ううん。みんなと一緒に食べるよ。お昼寝させてもらうから、平気」
「そうか」
そっと背中を支えるように押されて、食堂へ向かう。
卓には全員が揃っていて、自分たちが最後だった。
「おっはよー、おちび…………にゃ?目がちょっと赤いぞ」
目敏い菊丸が心配そうに顔を覗きこんでくる。
「本当だ……もしかして、また、夢を見たの?」
不二も優しげな顔に憂慮の色を滲ませて、そう問うて来る。
「うん」
「そうか……夢見の夢は、感覚としては起きているときと変わらないから……続けざまに何度もその能力を使うと、身体に負担になってくるからね」
不二自身には先天的に夢見の才はないらしく、占いにその手法は合わないということで、知識として知っているくらいだ。
それでも、リョーマの身を案じるように表情を曇らせる。
「越前の夢見の能力は、先天的なものだから、自己制御が利かない。頻繁に夢見の夢を見るというのには、何か意味があるのだろうが、それでも……このままでは、身体が参るのが先だな」
乾も眼鏡のふちを弄りながら、難しい顔をした。
「何度夢見の夢を見ても、覚えてないんじゃ意味ないよ」
最近頻繁に見ている夢見の夢。
その自覚はあるのに、目が覚めると何も覚えていなくて。
何の啓示も読み取れない。
ただ消耗するだけなら、これほど意味のないことはない。
みんなにも心配をかけるだけだし。
悔しくて溜息をつくと、目の前に温かいお茶が置かれる。
湯気を追って顔を上げると、河村がにっこりと微笑んでいた。
「夢見の夢、それ自体に意味があるなら、起きたときにそれを覚えてないのにも意味があるんじゃないかな」
穏やかな言葉は、あまりに楽観的だったけれど。
「そーそー、あんまり思いつめるもんじゃねぇよ。とりあえず、夢を見たってことは覚えてんだ。そのうち思い出すかも知れねぇだろ」
桃城も追従するのに、苦笑が零れた。
「河村や桃城の言うとおりだ。あまり気に病むことではない。大石、何か薬を調合してやってくれ」
「了解」
「昼寝をする前に、それを飲んでから寝るといい。薬によってもたらされた眠りに、夢見の力は発動しないはずだからな」
「うん……あ、でもね、今日見た夢はちょっと覚えてるよ」
みんなの気遣いがありがたい。
未来か過去か、自分たちのこれからに何が関係しているのか、それとも全く関係ないものなのかはわからないが、それでも覚えていることだけでも話さなくてはと気を取り直した。
「どんな夢だったにゃ?」
「んとね……あんまり楽しい夢じゃないよ。生まれたばかりの赤ちゃんが盥に入れられて海に流されてるの」
夢見の夢には二種類あって。
一つは夢の登場人物に同調する形のものと。
もう一つは、普通の夢を見ているように、第三者の視点……たとえば、テレビを見ているような感覚……で見る形のもの。
今回覚えている夢は、後者の立場で見た夢だ。
だからだろうか、余計に苦いものがある。
「それって……親がそうやって捨てたってこと、かにゃ?」
菊丸だけじゃない、その場にいた全員がなんともいえない顔になったのだけれど……
乾が、なにやら思案げに口を開いた。
「盥に入れられて、流されてたのか?」
「うん」
「ひっでーよなぁ。親のすることじゃねぇな。することじゃねぇよ」
桃城は大いに憤慨したようだ。
夢の話なのに、本気で腹を立てている。
「……ふむ……それは、空舟(うつほふね)かも知れないな」
「うつほふね?それって何?」
初めて聞く言葉に、リョーマは首を傾げて、乾の説明を待つ。
「僕も名前だけしか……」
「俺、知ってるっス」
不二も首を捻ったのに、海堂がぼそりとそう言ったので、みんなの視線が彼に集中した。
そのことに、やや気後れしたのか、彼は姿勢を正して。
「この世に許されない存在を、船に入れて海に流すことで、常世に送り出す。それを空舟っていうんスよ」
「海堂の言うとおりだ。今は、流浪の民の間にしか残っていない慣例だよ。昔、どこかの国で一国の姫が他国の王に嫁いだのだけれど、その姫と言うのが三国一の醜女(しこめ)といわれていて、他国の王はその姫を大きな盥に入れて遠くの海に流してしまったという伝承がある。流浪の民の間では、奇形の子供などが生まれるとその子を空舟に乗せて、天海に流すそうだ。正しい形を持たずに生まれてきた子は、この世ではなく天の物、あるいは常世の物と言う風習があるからな。俺の見た文献には、鬼人(鬼と人の混血)を禍として流した例も載っていた。空舟に乗せられるものは、常に平常の社会から追放される者。だから、空舟に乗せられて、海に流されたものはこの世のものではなく、彼岸の存在となって、こちらに戻ってくることはない」
淡々とした説明は、リョーマの眉を寄せるものだった。
酷いことだ、と非難するのは簡単だけど。
文化を一概に否定するわけにはいかない。
それは、国の、あるいは民族の成り立ちから現在までを否定することだから。
だから、とても苦いものを飲み下したような顔になってしまった。
「まぁ、あまり聞いてていいものでも、手放しで納得する慣例でもないのは確かだよね。一種の、呪術的儀式なんだろうけど」
「それはそうだろうね。越前、その盥に入れたれていた赤ん坊は、何か特徴はなかったか?たとえば、何らかの奇形だとか……」
乾に問われて、リョーマは夢で見た記憶の断片を探る。
どんな赤ん坊だったろうか。
生まれて間もなくというのは、身体の大きさなどでわかった。
「あ!」
「どうした、リョーマ?」
「瞳の色……紅かった、かも知れない。はっきりと覚えてないから、それが鬼の赫かはわかんないけど……」
だから、余計に胸が痛かったのかもしれない。
リョーマが大好きな恋人も、その赫い瞳を持っているから。
普段は発現することはないけれど、彼が己に流れるもう一つの血から受け継いだ力を揮うときその色は顕れる。
人と鬼の混血児……つまり、鬼人が必ずしも、周囲の人間に受け入れられるわけがないことは聞いている。
望んで生まれてくること自体が稀なのだ。
何しろ、手塚の両親のように想い合って子をなすということはほとんどない。
大概が、気紛れに孕まされるか、無理強いされた結果だ。
そして産み落とすまでにも、母体には大きな負担がかかる。
異形の血に耐え切れず、狂う者、産むと同時に死に至る母親もいる。
生まれてきた子も、鬼の性に流され、残虐で暴力的な性向に育つ子も多いという。
だから。
自分たちに扱いきれない存在を、害のない赤子の内に、空舟に乗せて流してしまうのかもしれない。
夢で見た、あの子も。
「なるほどな。鬼人だったかもしれないというわけか……なら、ありえないことではないな。悲しいことだけどね。過去にいくつもの事例がある」
「まぁ、それはそれとして……なんでおちびはそんな夢見たにゃ?」
菊丸が不思議そうな顔でそう言った。
その疑問はもっともかもしれない。
鬼人の赤子が、空舟によって流された。
それはとても、陰鬱な気分にしてくれる出来事だが、リョーマやその周囲の人間、そして世界そのものにかかわりがあるとは思えない。
先天的な夢見の見る夢は、たいてい自分か自分に近しい人たち関していることが多いので。
「リョーマ」
「ん?」
「空舟に乗せられた赤子の夢は、今日見た夢の一部分だけなんだろう?」
「うん。本当にちょっとだけの部分だったと思う。実際はもっと長い夢だったと思うもん」
「なら、この部分だけで論じるのは軽率というものだ。そういう夢を見た、それにとどめておけ」
「そうだな。手塚の言うとおりだ」
大石が頷き、その点にはリョーマもみんなも納得したので、その話はそこで打ち切りとなったのだが。
胸の奥には何かが引っかかっていた。
どうして夢を覚えていないのか。
微かに覚えていた夢の断片は、ひょっとしたら何か重大な意味があるのではないか。
(…………天帝の蝕が近いから、そう思うのかな……)
楓錦月の王母の蝕と対を成す神事。
月が完全に真円を描くその真昼に、中天に上った太陽が空から姿を消す。
一年に一度だけの日蝕。
王母の蝕で、西王母から受けた啓示が、対の儀式を前にリョーマを落ち着かない気持ちにさせているのかもしれなかった。
何事もなければいい。
そう思うのに。
何かがリョーマの『気』に障る。
ふと落ちた溜息に、背中がぽんと叩かれて。
顔を上げると、大好きな人の優しい顔がある。
安心させるような笑顔に、弱気になっちゃ駄目だと、リョーマは己に言い聞かせた。
続
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