庭球小説

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十一章 梅信月・参

 水晶宮の私室で、半身に借り受けた式神の介添えを受けて、衣服を北辰王の正装である鎧甲に改める。
 今日は、天帝の蝕。
 年に一度の日蝕に、天帝が天より地上に降臨する日だ。
 いつも以上に気を引き締めて、手塚は儀式に臨む仕度を整えた。
「主上、こちらを」
 神鏡を本性に持つ式神が、差し出したきたもの。
「あぁ、ありがとう」
 邪な心を持つものには、触れることさえ許されぬ唯一無二の神器名剣。
 七星剣を腰に佩いて、眼鏡を外した。
「これを頼む」
「はい」
 やや近視気味で、執務中などは欠かせないが、外しても普段の生活に支障はない。
 二・三度目を瞬かせて。
 はっきりとした視界に、手塚は星彩の塔へ向かうべく、扉を開けると……
「リョーマ?」
 そこには、年下の恋人の姿があった。
 先日贈った、真新しい裳衣に身を包んで。
 黄昏の空のような色合いの衣は、半陽独特の淡い青の瞳に良く映えて、愛らしい。
 花鈿(はなかざり)の代わりに、誕生日に菊丸に貰った鼈甲の櫛を挿していた。
 今日の神事は、手塚一人で臨むもので、リョーマが正装する必要などないはずなのだが……
「俺も一緒に行っていい?儀式の間は、塔の外で待ってるから。王母の蝕のとき、国光、俺が塔から出てくるまで待っててくれたでしょ?」
 だから、自分も。
 大きな目で見上げられて、断る理由などありはしない。
 手塚は、僅かに口元を綻ばせて頷いた。
「かまわないとも。ただし、不二と菊丸にも同行してもらうこと。待っているとき、たとえ神域であっても、お前に何かあってはいけない。いいな」
「うん!周助、英二、国光が俺も行っていいって!」
 顔をぱっと輝かせて、恋人は背後を振り返る。
「ほらね、大丈夫って言ったろ?」
「手塚は、おちびに甘いにゃ」
 隣の房……つまり、リョーマの部屋……の扉から、姿を覗かせて、不二と菊丸が姿を現した。
 予期していたのだろう、神域への敬意を払って、二人とも正装を身に付けている。
「…………お前らな」
 やれやれと、肩をすくめつつも、反論する気はない。
 するだけ無駄なのは学習済みだし、自分がリョーマに甘いのは確かだ。
 むやみに甘やかしているつもりはないが、それでも甘いという自覚はある。
 意味深な笑みを浮かべている友人たちから視線を逸らし、可愛い恋人の背中をそっと押して、行こうと促した。
 天帝の蝕に、自分以外の人間が同行する。
 よもやそんな日が来ようとは、考えたこともなかった。
 神事の場に着くまで潔斎は続いているので、言葉は少ない。
 けれど時折、他愛ない会話を交わしながら、塔に続く森を抜けた。
「それじゃあ、行って来るが……二人とも、リョーマを頼んだぞ」
「まっかせるにゃ」
「うん」
 二人が応えるのに頷き返して、手塚は視線を華奢な恋人に向ける。
 そうして、櫛を挿していない方の髪をゆっくりと梳いてやった。
 友人の目があっては、くちづけることも出来ない。
 しても構わないだろうかとは思うのだが、からかわれることは必至だし、気恥ずかしい気持ちもあるので、それは二人きりになるまでお預けだ。
「行ってらっしゃい、国光」
「あぁ」
 にこりと微笑む恋人の眼差しを背に感じつつ、手塚は塔の中へと入った。
 中央の水晶盤に乗ると、蒼い輝きが視界を埋める。
 次の瞬間には、最上階・星辰の間へと転送されている。
 水晶に似た、天界の鉱物を用いて作られたとされる天井の向こうには、青い空。
 冬の、どこかくすんだ色合いの青が目に飛び込んできて。
 手塚は、ただ、そのときを待った。
 太陽はすでに中天にある。
 密やかな蒼とも銀ともつかない優しい光で夜を守る月が西王母の化身であるというのなら。
眩い光で、世界を照らす太陽は、天帝そのもの。
空を見上げる手塚の視界の中で、徐々に陽光が翳り、太陽が端から欠けていく。
 夜ではない。
 純粋な闇が世界を包み。
 消えたはずの太陽の残像を映した中央部分。
 そこにきらきらと、金色の砂のような光が降ってくる。
 光は、一人の男の姿を形作った。
(……父上……)
 懐かしい、父の姿。
 武人というには、あまりにも優しげな面立ちの人だった。
 緊張感に欠けていけない、と冗談交じりに笑っているような。
 のんびりとした気質の人だったけれど、己に課せられた責任は弁えていた。
『大切な存在があるから、世界を守る意義がある』
 私は、そのために行くんだ。
 七星剣を手に、振り返ることなく行ってしまった。
 気丈である母を見習おうとして、自分も不二も言葉もなくその後姿を見つめていた。
 誰も止めなかった。
 止めたかったけれど、止めてはいけないと思った。
 多分あのときには、父はすでに覚悟していたのだと思う。
 亡き父の武人らしい顔を見たのは、あれが最初で最後だった。
 いつも思い出すのは、自分に剣術の稽古を付けてくれているときですらのんびりしていた優しげな表情なのに。
 こうして年に一度。
 天帝が父の姿を借りて降臨するのを目の当たりにするとき。
 最後に見た表情がしきりに思い出されてならないのだ。
 輪郭だけはしっかりとしている、けれど陽炎のように儚い実体のないものなのに。
 重厚な存在感がそこには在って。
 それは人のもつものではありえない。
 漆黒の瞳には、悠久の時の流れが感じられた。
 手塚は、その場に静かに膝を付き、恭しく頭を下げる。
『一年ぶりよの……わが臣よ。息災であったか?』
 やわらかくそれでいて重々しい響きの声。
「は。帝(てい)もお変わりなく」
『ふ。我らの上に時はないも同じ。相変わらず生真面目よの』
 天帝は、どこか可笑しげに声を揺らした。
『無事、加護女を得たこと、重畳であった。いささか時はかかれども、その価値はあったであろう?』
「はい。私にはもったいない、宝にございます」
『なるほど、宝か……父御と同じことを言うのだな。いや、これまでも、北辰王たちは己の加護女のことを同じように申したもの。はてさて、その絆は卵が先であったか、鶏が先であったか……。我と王母が創りし世界の仕組み。それゆえに汝らは求められたか、それとも汝らの想いに応えた結果がその仕組みであったか……あまりにも昔のことゆえ、我ももはや覚えてはおらぬ。もっとも、論じても詮無きことと我は思うのだがな……汝にも、すでにそれはわかっていよう?』
 北辰王と、加護女の惹かれあうそのわけを。
 いつまでも、リョーマを元の世界から奪ったのだと思うことはやめよという叱咤に、手塚は苦笑するしかない。
 罪悪感をなくすことは出来ないが、それに捕らわれてはならないと、至高の神は言っているのだ。
「……はい」
『なればよい』
 天帝は満足げに頷き。
 やがて表情を改めた。
『我が臣よ』
「はい」
『先ごろの異変は、すでに知っていような』
「……はい。怪異というには及ばない、けれども天海の周辺では天候の荒れが目立ち、天船の運航異常が、たびたび報告されております。これまでにはなかったことです。これは何者かの意図的なものと考えたほうが、よろしいかと……」
『うむ』
「それに……先ごろ謀反を企んだ者の娘を洞府へと預けていたのですが……その娘、ある日忽然と行方を眩ましたと……」
 天城の娘、涼華(すずか)が失踪したとの連絡を受けたのは数日前のことだ。
 親交のある女仙に預けたのだが、あの娘は心を閉ざしたまま、なかなか現実を認めようとはしなかったという。
 その涼華が。
「洞府は、人が簡単に往来できるような場所にはございません。ましてや貴族の娘として育てられたかの娘が、躯となって見つかることもなく幾日も彷徨えるはずがない。まるで何者かに攫われたようと……件の女仙から、監視が行き届かず申し訳ないとの書状が届きました」
『なるほどな』
 杞憂ですめばいいと思う。
 けれど、自分や……そしてリョーマに憎悪を抱いているはずの娘が、忽然と姿を消したことは不安を煽るに充分だった。
 このことを知っているのは、書状が届いた場に居合わせた乾と大石、そして不二のみだ。
 鑑月にも口止めを頼んだ。
 ただでさえ、覚えていない夢見の夢に思い悩んでいる彼女を追い詰めるようなことはしたくなかったから。
 如何ともしがたく、それが必要な事態と判断するまでは。
 その事実の公表を避けることを決めて。
『…………北辰王よ』
「はい」
『汝が加護女は愛しいか?』
「はい」
『何にも変えがたいほどに?』
「御意にございます、帝よ」
『なれば、心を強く持て。疑ってはならぬ、恐れてはならぬ。汝の守るべきもののために、すべてを乗り越えよ』
「…………」
『世界を守るということは、時として非情であらねばならぬ。そのことの意味と向き合う時が迫っている。汝が元に影は射し、その操り手は現れるだろう。それこそが冷たく尖った風である……これが、我の啓示ぞ……』
 汝忘れるなかれ。
 その声は、頭の中にのみ響いた。
 手塚の視界の中で、天帝は消えてしまった。
 いつものように、緩やかに薄らいでいくのではなく。
 父の姿も。
 神の気配も。
 唐突になくなったのだ。
 まるで何かに断ち切られたように。
「……っ、帝」
 その瞬間。
 何かが、高く澄んだ音がした。
 その音は、美しいのに耳障りで。
 手塚の、北辰王としての感覚に訴えかける、不快感。
 硝子に皹が入ったような。
「……なん、だと……」
 空にはすでに太陽が戻っていて明るい。
 けれど。
 空を覆う、極光。
 不吉に禍々しいそれは、いつしか消えて。
 先ほどの頭に響いてきた、音の訳を悟る。
「……馬鹿な……」
 世界を支える、その枠組み。
 理と、そう呼ぶべきもの。
 そこに、異変が生じたのだ。
 はっと気付いて、手塚は塔の外へ急ぐ。
「手塚!」
 不二の切羽詰った声。
 最愛の半身が、力なく菊丸の腕の中に倒れ付している。
「リョーマ……何があった?」
「わからないにゃ!太陽が突然元に戻ったと思ったら、おちびが倒れて。そしたら、空に極光が……」
 幼い顔は、蒼白だった。
「リョーマくんの気が突然乱れたんだ。ううん、乱れたというより、何かに反応して急激に力を放出した。多分その反動で……」
「そういえば、倒れる前に、おちび『ダメ』とか何とか言ってたような気がするけど、でも……」
 二人が珍しくおろおろとしている。
 手塚は、リョーマを菊丸の腕から抱き取り、意識を失っている顔を覗きこむ。
「…………リョーマ」
 幼い恋人は、今もまだ己に与えられた力を放出し続けている。
「とりあえず、水晶宮に戻るぞ。不二は、俺と来い。菊丸、お前は太極殿に行って、乾に執務室にみんなを集めるように伝えろ」
「う……うん」
「あんまり焦っていくな。官に余計な不安を与える」
「……ど、努力する」
 そう言って、菊丸が太極殿へ向かって駆け出していった。
「行くぞ」
「了解」
 さすがに不二は、もう冷静さを取り戻している。
「ところで、神事のほうはどうなったんだい?天帝にはお会いできたの?」
「……それも後で話す。少なくとも、リョーマが倒れたことには、関連しているだろうからな」
「わかった」
 天帝の啓示が頭を掠めたけれど。
 今は意識を失った恋人を介抱するべく、水晶宮へと急いだのだった。


続

  • 2012/01/20 (金) 04:36

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