作品
十一章 梅信月・七
みんなで今後の対策を話し合ったその翌日。
結界が修復されるまで、五行の流れを支えることにしたリョーマは、今日から本格的にそれに取り組むため、一日の大半を星彩の塔・星辰の間で過ごすこととなる。
かなり大規模に力を使うためには、そのほうがいいと手塚や不二に助言されたためだ。
「周助、準備できた」
「そう、じゃあ、行こうか」
正装をする必要はないということだけれど、禊の意味も込めて風呂に入り衣服を改めてから、待っていてくれていた不二に声をかける。
いつもなら、菊丸もいるはずだが、彼女は昨日の内に南州へと旅立っていった。
結界修復の任を受けた他の四人も同様に。
一気に減ってしまったメンバーに、寂しい気持ちは拭えない。
でもそればかり気に掛けているわけにはいかなかった。
リョーマには己で課した、やるべきことがある。
「リョーマ様、不二様」
扉に手を掛けたところで、手塚付きとしていた式神の鑑月に、背後から声をかけられた。
「鑑月、どうしたの?国光から、何か伝言?」
「はい。お客様が参られたので、塔に向かう前に執務室に来るようにとのことでございます」
「お客さん?」
わざわざ自分たちを呼ぶなんて、どういうことだろう。
手塚だって日常の執務に加え、五行の気が乱れたことによる影響のための処理に奔走し、いつも以上に忙しくしているはずなのに。
「ひょっとしたら……わかったよ、鑑月。すぐに行く」
「かしこまりました」
すいっと、銀の残像を残して、式神は掻き消え……
「ひょっとしたらって、周助、心当たりがあるの?」
「うん、まぁ……相変わらず、行動が素早いなぁ」
苦笑する不二に首を傾げつつ、彼女の後に続いて太極殿は、執務室に向かった。
北辰王の執務室は、おおよそ三つのスペースで成り立っている。
執務机が置かれた、手塚が実際に仕事をするスペース。
乾や大石たちが、補佐に従事するためのスペース。
それから、六官の長などと会談するためのスペース。
その三つ目、会談スペースの長椅子に、でんと思い切り寛いでいる、見たこともない男がいた。
黄みと赤みが程よくブレンドされたような、明るい茶の髪はオレンジのよう。
琥珀色の瞳。
肌は程よく日焼けしていて、顔立ちは整っているといってもいいけれど、目尻が少し下がり気味なので、美形というよりは愛嬌のある感じを受ける。
リョーマの第一印象は言えば……
自堕落を絵に描いて色を塗ったような……
あるいは、遊び人ってこういうタイプを言うのかなぁ、というものだった。
袍の襟元を止めず、着崩しているところが、さらにそういう印象を強めているのかもしれない。
男の向かい側の長椅子には手塚が腰掛け、その背後には乾と、それから橘が立って控えている。
「やぁ」
男は、リョーマたちに目を留めると、片手を上げ楽しげに笑った。
「久しぶりだね、不二くん」
「お久しぶりです」
「いやぁ、相変わらず、綺麗だなぁ。決まった相手がいなければ、ぜひ俺のところに来てほしいくらいだよ」
君からの呼び出しだというから、取るものもとりあえず来ちゃったよ、なんて。
これは一つのナンパだろうか?
第一印象を裏切らず、軽薄そうな人物ではありそうだ。
リョーマは呆れたけれども、不二は慣れているのかさらりとかわしている。
「そちらこそ相変わらずお口が上手くていらっしゃる。守備範囲の女性には、会うたびにそうおっしゃってるんでしょう?」
「あはははは」
(……しかも、否定しないし)
河村が、困ったような表情をしていたわけがなんとなくわかった気がする。
こちらに来てから、このような性格の人物と会うのは初めてのため、妙に新鮮な気にさえなった。
彼は不二から、視線をリョーマに移し……
「こちらのお嬢さんが、当代の加護女か。かわいいね。でも、ちょっと若すぎるかなぁ。俺としては、あと五年ってところかな」
要するに守備範囲外だといいたいのだろうが、リョーマからしてみればそれでけっこうという感じだ。
値踏みされたのが気に入らなくて、思わずむっとしてしまう。
「あなたからすれば、ここにいる誰もが若すぎると思いますが……」
手塚が呆れたように溜息交じりでそう言った。
「あははは、そうだね。かれこれもう三百歳くらいだもんねぇ。竜族の中では若造だけど……普通に考えれば、そうなっちゃうか」
「さ、三百歳っ」
手塚たちと大して年が変わらないように見えるのに。
思わず、声に出してしまったリョーマに、彼は闊達に笑った。
「うん。お兄さんは、龍人だからね。人よりちょーっと、時間の流れがゆっくりなんだ」
「龍人……じゃあ、この人が……」
「そう。僕が昨日言ってた人だよ」
「ええっ」
なんと言っても昨日の今日だ。
緋焔は、夕方には戻ってきたけど、まさかその翌日に早速やってくるなんて。
「まさかこんなに早くいらっしゃるとは思いませんでしたよ」
肩をすくめながら不二が言う。
「まぁ、けっこう大事みたいだったからね。思い立ったが吉日って言うだろ?いや、善は急げの方がいいのかな。結構長生きしてるけど、紫電宮は初めてだから、見てみたかったってのもあるし。父上に頼んだら『世界の大事、たまには役に立ってこい』って三本爪の竜を貸してくれたんだよね」
だから、こんなに早く着いたのだと。
「そうだ。まだお嬢さんの名前を聞いてなかったね。俺は千石清純。何番目か忘れちゃったけど、青竜王の息子だよ」
「越前リョーマです」
「そっか、よろしくね」
「……はぁ」
何番目か忘れたって……自分のことなのに、と思いかけたが、竜族は多淫の性なのでそういうこともあるのかと考えを改める。なにしろ、気に入れば、同族でも、馬でも、人でも種類も数も関係なく番う神様たちなのだから。
きっと兄弟姉妹が、数えるのも億劫なほどいるのだ。
「千石殿、急ぎ紫電宮にお運びいただいたことありがたく存ずる。青竜王にも、いずれきちんとお礼申し上げよう」
ともすれば堅苦しいくらいの挨拶をする手塚に、千石は楽しげな表情で返す。
竜王の息子とはいえ、北辰王を前に少しの気負いもない。
(…………あ)
そして気付く。
彼の、琥珀色の瞳。
長い時間を生きてきたものだけが持ちうる超然とした余裕。
軽薄さの中に見え隠れする、底知れない強さを感じて、納得した。
(……なるほどね。この人も、食えない人ってわけか……)
目に見えるものがすべてではない。
「それで、先ほどお話したこと、引き受けていただけるだろうか」
どうやら自分たちがつく前に、詳しい経緯を話したようで。
「いいよ。地の祭宮にある、陰の宝玉に陽気を注げばいいんだね」
手塚の申し出を千石は、あっけないほどあっさりと受け入れた。
それには、不二以外の全員が目を丸くする。
「あの……本当に、よろしいのか?」
「うん。地の祭宮なんて、そうそう入れる場所じゃないでしょ。世界のためにもなるし、珍しい経験も出来る。一石二鳥ってやつ」
あまりにもあっけらかんと、けっこう不謹慎かもしれない発言をするのに……リョーマは呆れた。
全くもって怒る気もしない。
傍らの不二は、苦笑している。
手塚は深々と溜息をつき。
「それでは、よろしくお願い申し上げる。リョーマ」
「はい」
「千石殿に式神を貸して差し上げてくれ。お一人では、地の祭宮に辿りつくことも出来ない」
星彩の塔に護りの森があるように。
地の祭宮にも、同様の力が働いており、容易に近付くことは出来ない。
たとえ竜王の子息とは言え、北辰王や加護女、その私官でもない者が辿りつくことが出来ないようになっている。
ゆえに、式神を案内に立て、加護女の支配下にある存在を地の祭宮の鍵とするというわけだ。
「わかった。波綾(はりょう)」
その役に相応しいと思う式神の名前を呼ばわった。
「お呼びでございますか」
ゆらりと現れたのは、二十代後半ほどの外見をした女。
漆黒の髪、深蒼の瞳……しっとりとした美貌の持ち主で、特に特筆すべきは抜けるような肌の白さだった。
「へぇ……鮫人(こうじん。いわゆる人魚)かぁ」
千石は、一目で波綾の本性を見抜いた。
鮫人は竜の眷属なので、当然かもしれないのだが。
「東海青竜王様の若君でいらっしゃいますね。お会いできて光栄に存じます」
「はは、そんな風に言われるのは久しぶりだな。君は、越前くんの式神になったのだから、そこまで畏まる必要はないよ」
波綾は千石に向かって一礼し、リョーマに視線を戻した。
「リョーマ様、ご指示を」
「うん。千石さんを、地の祭宮へ案内してあげて」
「はい」
首肯する式神を見、更に恋人のほうを見て、これでいい?と確かめる。
手塚が頷いた。
「それでは、よろしくお願いいたします」
「いいや、構わないよ。それにしても……仮面の鬼はともかく美人で泣き黒子のある鬼……ねぇ……うーん、ひょっとしたら、彼のことかなぁ」
「……鬼の一族のこと、何かご存知なのか?」
千石の漏らした言葉に、手塚の眼差しが鋭くなる。
「ご存知ってほどでもないよ。最近の事情は良く知らない。長く生きてるからね。ただ……君たちから話を聞いて、ちょっと思ったんだよ。今回のやり方は、ひょっとしたら……本物の悪路王なんじゃないかって」
「本物の、悪路王?それはどういうことですか?」
乾が眼鏡を押し上げて、口を開いた。
リョーマはもちろん、他の面々も千石を注視しながら、その答えを待っている。
「悪路王って言うのは、鬼の中の鬼。いつの時代かの鬼の一人が自然と名乗りだして、以来時代時代の最強の鬼の通り名みたいになった。僕が生まれるずっと以前から……かなり長い時間そうだったから、悪路王の名は代々継がれるものだと、認識されるようになったんだろうと思うよ。大体鬼の社会のことなんて、ぜんぜんこっちには伝わってこないしね」
でもね、と千石は続ける。
「悪路王って言うのは、本当はたった一人のためだけの銘なんだよ。でもその本人は、なかなか表に出てこないからね。いつしか名前だけが一人歩きして、勝手に本人じゃないものたちに受け継がれるようになった」
ご存知というほどではない、という割には、やけに詳しい気がする。
顔に出ていたのだろうか。
千石は、外見の年齢に似合わぬ、老獪そうな笑みを浮かべた。
「どうして知っているんだって顔だね」
図星を刺されて、思わず視線を逸らした。
「……昔ね、一度会ったことがあるんだ。俺がまだ本当に、ぴちぴちだった頃に……本物の、悪路王にね」
「えぇっ」
驚愕は、声になってしまった。
たいていのことに表情を変えない不二も、目を見開いている。
「うちの妓楼の客としてやってきたんだ。俺もひよっ子だったから、最初はわからなかったんだけどね。彼は、その頃『人はなぜ自ら死を選ぶのか』って言うのに興味を持ってて、妓楼の客に成りすまして、女たちをそうなるように追い詰めて死を選ばせてた」
「なんで……そんなこと……」
理解が出来ない。
リョーマは呆然と瞬きをした。
「さぁ?この世で自ら死を選ぶのは人間だけだからって言ってたっけ。あの頃は俺もちょっと青くてね、自分の店の女がそれで死んだって言うのもあったし、真っ向から彼に対決したよ。結局、ぼこぼこにやられちゃったけどさ」
竜王の息子は、皮肉げな表情で肩を竦める。
「それは、どれくらい前のことですか?」
「二百年と、ちょっと前……だったかなぁ」
乾はしばし考えて……
「あぁ、文献に同時期にかなりの数の娼妓の自殺が報告されたというのが載っていたが……そうか……」
そう納得した。
「それなりに手応えはあったとか言われたよ。龍人だから、常人に比べれば頑丈だし、困らない程度には神力も使えるしね…………なんだか、気が遠くなるくらい永く生きてるらしいから……飽きることにも飽きると、ああなるしかないのかなって、今は思う。琴線に触れるものにしか、心を動かさない、そして時々思い出したときにだけ鬼の本性に立ち戻って、残酷な遊戯を仕掛ける。代々悪路王の名を継いで来た鬼たちは、残虐なだけだけどね」
琥珀色の瞳が、深遠なる光を湛えて、自分と……そして半身を見やる。
「どんな形であれ、はっきりとわかるような……直接的な仕掛け方じゃなかったし、泣き黒子の美人でしょ?……彼じゃないかな、と思ったんだ」
そして軽く目を眇めた。
その表情に、リョーマは心がぴんと張り詰めるのを感じる。
でも、見つめた先で、手塚が力強い眼差しでこちらを見てくれたから。
肩から力が抜けた。
「彼は、俺を殺さなかった。それでちょっとは楽しませてくれた礼だって言ってたな。そして自分の銘と、名前を教えてくれたよ」
千石は、ふっと息を吐いて。
「跡部景吾……もし、君たちの敵である悪路王が彼だとしたら……跡部くん、彼は……強いよ?」
そう言って笑った顔は、感情というものを全く読ませないものだった。
続
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