庭球小説

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十一章 梅信月・八

 年下の恋人が、星彩の塔に篭り、五行を支える役目をこなし始めてから三日。
 神事などではなく、己の意思で加護女としての力を使うのはこれが初めてのことで……彼女は、ますますその自覚を強めているようだった。
 リョーマの心根は嬉しい。
 おかげで、一度は滞った五行の気の流れは、安定している。
 もっとも、いかに加護女と言えど、まだ幼く、たった一人で支えていることもあって時々覚束なくなるのはやむを得まい。
 天帝の蝕のあの瞬間。
 天領国内だけでも、相応の被害が報告された。
 各地で地震や、川の氾濫……あるいは季節外れに青葉が茂ったり、森がすべて枯れたりと、様々だったが半身のおかげで現在はその異変は治まっている。
 手塚はといえば、通常の執務に加え、調査や支援のため、そしてこれから先も万が一のことを考えて、各地に禁軍や官を派遣する調整作業に忙殺されてはいるものの……
 それでもやっぱり恋人のことが心配で。
 不二が付いていてくれているから、無理はしないと思うのだが……
 合間を縫って、塔まで足を運ぶこともしばしばだった。
 今も、各地の祭宮へ私官たちが着いたという報告を携えて、塔へ向かうその途中で。
(……皆、無事に着いたことは良かったが……)
 ひょっとしたら、と思う。
 私官が五人……紫電宮を離れた。
 これ自体が敵の思惑なのだろうと。
 北辰王、そして加護女の身辺を手薄にして、何を企んでいるのか……
 現在紫電宮に詰めている私官は、乾と不二のみ。
 穴を埋めるために、橘にも来てもらっているが、彼には星彩の塔に篭っているリョーマの警護を頼んだ。
(……だが、本格的にこの国に……そして世界に何かしようというには、手緩すぎる)
 仮に手塚が、敵の立場だとしたら、分散した私官たちにもなんらかの攻撃を仕掛けて、より確実に力を削ぐ。
 あの龍人の青年の言う真の悪路王が敵だとして。
 それでも私官に星神が降りれば、厄介だと思うのだ。
 徹底的にやりあうつもりなら、後顧の憂いを断つのが定石。
 けれど、ただ単に分散させ、時間稼ぎだけが目的のようなやり方に、首を傾げざるを得ない。
『……彼は残酷と言うより、気紛れな性質なんだよね』
 千石のその言葉がとても印象的だった。
 気紛れ。
 手塚の知る鬼の本質とは、残虐で非道というのが基本だ。
 己の中にも、それを好む部分があるのを、今では認めている。
 獲物と定めれば、容赦なく陥れ、負の感情を啜り嬲って破滅に追い詰めて。
 手を抜いたりだとか、手加減するだということは有り得ず、鬼のそれは本能的なものといってもいいのではないかと、手塚は分析していた。
 母・鈴鹿御前のような性向のものは、本当に稀なのだが、それは本能より理性が勝っていただけのことかもしれない。
(…………敵は一体何を考えているのか)
 じわりじわりと近付いてくるもの。
 すっと首筋を脅かす、冷たい風のように。
 五行の結界の件も、あれは時限的に鬼道の術を発動させて、瞬時にして五つの宝玉を汚したものだと、判明した。
 けれど、その予兆は現れていたのだ。
 天海付近の天候が奇妙に荒れたこと。
 世界の理になにか異変が生じたとき、真っ先にその影響が現れるのはこの国だ。
 仕掛けられていた敵の術に、世界はすでに反応していたのに。
 気付くのが遅すぎたのは、明らかに自分の落ち度だ。
 実感したときは、思わず舌打ちしてしまったほど……しかしいつまでも拘っている暇はなかった。
 それはそれとして認め、反省し、経験として蓄積して今後に活かす。
 そのようにして、前向きに対処するしかない。
(それにしても奴らは、どうにも俺たち個人に焦点を絞っているようだ)
 これまでにも何度かあった事例を振り返ってみても、鬼の討伐に乗り出すことになったその原因は、彼らの行動の結果見過ごせないほどの瘴気が発生しためであるところが多い。
 先代のときも。
 確かに、母が加護女となったことが原因だった。
 鬼としての誇りを踏みにじり、怨敵とも言える北辰王と通じたことを一族への裏切り行為とした。
 その報復として、大量虐殺をし、あからさまに瘴気を撒き散らし……
 彼らは北辰王と加護女が護るこの国の民を標的と据えていたが、それだけだった。
 それが……
(今回の標的は、俺たちなのではないか)
 その推測はきっと正しい。
 被害がなかったわけではないが、無益に命が奪われたりはしていない。
 自分たちを標的にしているからこそ、結界を汚したのだろう。
 そうすれば……
(確実に俺たち自身が出る)
 予測するまでもない。
 自分たちは踊らされているのだ。
 気紛れと、龍人の青年が証した者に。
(なぜ、そんなことをしたのかまではわからないがな)
 目的がわからない。
 だから、気持ちが悪かった。
 得体の知れなさが、ただ……
 手塚は何かを感じて、ふと足を止める。
 違和感。
 首筋をちりちりと刺す。
(……封印結界か?いや、違う……)
 無意識に、腰に佩いていた七星剣に手をかけて……
「!」
 足元から、するりと影が伸びた。
 そしてそこから溶け出すように、誰かが姿を現す。
 どくん、と心臓が強く拍動した。
 頭の中で警鐘音がしきりになっていて。
 誰か、は男だった。
 体格差はほとんどない。
 目を引いたのは、身に纏っている衣装と、そして……仮面。
「お前、は……」
 その衣装と似たものを、手塚は見たことがあった。
 まだ本当に幼い頃だ。
 両親が不二を引き取る前。
 母が、かつて着ていたという鬼の一族の装束。
 長持ちの中にひっそりとしまわれていた、それ。
 母が持っていたのは、当然女物だろうから、ところどころ違いはあるけれど……
 目の前の男が着ている着物は、それと雰囲気が酷似しているのだ。
 仮面の鬼。
 それなのに。
 二人の間に流れるのは、痛いくらいの沈黙。
 男が動いた。
 顔の上部を覆っている、仮面を外したのだ。
「おまえ!」
 手塚は愕然とした。
 そこには、見覚えのある顔があったからだ。
 ほんの一月ほど前。
 リョーマと降りた、春蓮の街で。
 男は、酷薄な笑みをその唇に刻んだ。
「その節はどうも……って言うとくべきか?」
 男は……、あの小柄使いだった。
「おまえが、リョーマを攫った、鬼……だったのか?」
「せや」
 身体を流れる血が、一瞬熱くなったような気がした。
 すると男は、冷たく目を細める。
「なんや、おまえの目も赫うなるんやないか。鬼気が出たときだけみたいやけど……不公平やん」
「なに?」
「俺の目ぇはな、生まれたときから赫かってん。力の使い方覚えてからは、隠せるようにもなったんやけど……生まれついて目が赫かった……それだけで……」
 漆黒に擬態されていた男の目の色が、変わっていく。
 赫。
 禍々しい鬼特有の瞳。
 その瞳と、視線がかち合った……瞬間……
 どくん、と再び心臓が拍動して。
 全身の血が、逆流するかのような衝撃。
 魂が、震える。
 何かに共鳴して。
 耐え難く、這い上がってくるもの。
 目の前の男も、不快そうに顔を歪めていて。
 彼もまた、自分と同じ感覚を味わっているのだと感じた。
 いったい、なぜ。
 いったい、どうして。
 伝わってくる。
 自分にはそんな能力はないはずなのに。
 確かに。
 いくつもの映像が、頭の中に流れ込んでくるのだ。
 絶望し、屈辱に塗れた。
 その人生が、悔しい。
 まるで自分のことのように。
 そうして垣間見えた、泣き黒子の、美貌の男。
 雷で打たれた衝撃とともに、その共鳴は止んだ。
 一気に引き戻された感覚に肩で息をして、互いに呆然と見詰め合う。
「おまえは……俺の……」
 男は、手塚の驚愕を冷笑に付した。
「知らんかってんやろ?俺はあの女が墓場まで持って行った禁忌やからな。けど、俺はしっとったで……俺と同じ血、同じ魂を持ってるやつがおること……」
 吐き捨てる。
 男の言葉。
 疑うことなく……魂と、血がすでに受け入れていた。
 不二の星占で、唯一無二不動のはずの北極星がぶれたわけ。
 彼こそが妖霊の星。
 彼が、自分の片割れだということを。
「おまえにも、見えたんやろ?俺にも見えたわ、あんたのこれまで。一つのものを分けて生まれてきたのに、この違いはなんやろな?なぁ、兄上様」
 そう呼びかけられて、手塚はなんと答えるべきか、声を失った。
 彼が、なにを言っているのかわかったからだ。
 生まれたばかりで、空舟に乗せて流された。
 あの慈愛深い母がそんなことをしたのだとは思いたくない。
 しかし、それが事実であるとわかってしまった。
 先代の悪路王……といっていいのだろうか、ともかくそう名乗ってた鬼の呪詛を母は受けた。
 生まれ来る命に。
 強力な呪いが。
 それは親殺しの呪い。
 長じて必ず、父に徒なすように。
 その証として現れた赫い瞳を持って生まれた弟を、母は故に切り捨てた。
 その呪いが成就されたとき、北辰王の血脈そのものが穢れてしまうからだ。
 その血脈の元に、新たな北辰王となるべき器のものは生まれなくなる。
 連綿と流れる血に掛けられたその呪詛を断ち切るために。
 北辰王は天の代理人。
 世界のために、その存在を失うわけにはいかない。
 そして、一国の為政者。
 子捨ての烙印など、押させてはならない。
 万が一にも火種になりそうなことは、避けなくてはならないのだ。
 ただでさえ、鬼を加護女とし、正妃に迎えたという火種を抱え込んでいる。
 そう思ったから。
 だから。
(…………リョーマ、おまえが先日夢に見たのは、この弟のことか……)
 空舟に流された鬼人の赤子の夢。
 母のしたことは、人として、親として非道と責められるのは仕方がない。
 けれど、時に……世界を守護するべき立場のものには、そのための非情の決断を迫られるときもあるのだと……
 自分にも、いずれその選択を迫られるときが来るかもしれない。
 北辰王としてこの地位にある以上、その可能性が皆無とはいえないのだ。
 蝕の折に、天帝が下した啓示の意味がわかって。
 しかし手塚は、その重さに押し潰されはしなかった。
 父も母も背負ってきたもの。
 これまで何代もの、北辰王と加護女が背負ってきたもの。
 ならば自分もその重責に臆することはすまい。
 一人ではない。
 自分には、愛する半身が……リョーマがいるのだから。
 手塚は、真っ向から弟の赫い瞳を見据えた。
「おまえには権利がある」
「…………」
「母上のしたことは、責められても仕方ないことだ。おまえには、それを責める権利も、恨む権利もある。もし母上がご健在だったとしたら、母上にはそれを甘んじて受ける義務があったろう」
 だが、と手塚は続けた。
「俺は、そのことを責めたりはしない」
「おまえは恵まれて育ったもんな。両親がいて、友人がいて、恋人がいて、必要とされて……」
「……確かに俺は恵まれている。おまえのように暴力を振るわれたことも、何者かに強制的な支配を受けたこともない。だが俺が責めないのは、そうだからではない」
「…………」
「俺もまた、いざというときその非道の決断を迫られるべき立場の者だからだ」
 何かを護るということは、綺麗事だけではどうにもならない。
 護る対象の規模が大きくなればなるほど、だ。
 たった一人だけ、護っていられればどれだけいいだろう。
 けれど、それは出来ない。
 自分は、北辰王なのだ。
 それを否定するということは、リョーマとの出会いや、彼女との間に交わした想いも否定することになる。
「おまえの気持ちは俺にはわからん。ただ怨みに思って当然だと察するだけだ……だがな、それとこれとは別。おまえが世界に、そして俺たちに徒なすというのなら、全力を持って阻止するまで」
「…………そうしたい気持ちは山々なんやけどな。生憎俺は、縛られとる身や。俺がここに来たんは道案内と……」
 言いながら彼は近付いて来る。
 手塚は構えたが、彼は無防備なまま。
 すっと手を上げて、肩を軽く叩かれた。
 途端に視界が巡る。
「回収係や」
 つまらなそうな、その言葉にはっとしたけれど、いつの間にか手塚は見知らぬ場所にいた。
 強制的に転移させられたのだと、気付いたときには遅い。
「侑士は上手いことやったみたいだな」
 耳に届いた声は、甘いのに、酷く冷たかった。
 声のしたほうに顔を向けると……
 泣き黒子が印象的な、美貌の男が朽ちかけた……あれは玉座だろうか……に腰掛けていた。
 ゆったりと、組んでいる足を変える。
 ぞっとするほど美しく、禍々しい赫いその瞳。
 では、この男が……
「待ちかねたぞ、北辰王。ようこそ、わが混沌の城へ」
 にやりと笑んだその表情に、手塚は腰の七星剣に手を伸ばした。


続

  • 2012/01/20 (金) 04:42

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