作品
十一章 梅信月・拾
いまだかつて、体感したことのない空間で。
手塚は美貌の鬼と対峙していた。
悪路王・跡部景吾と、その鬼は名乗った。
あの龍人の青年の推測は、当たっていたというわけだ。
「さぁ、手塚、剣を抜けよ」
凄絶な笑みを浮かべながら促すのに、眉間に皺が寄るのがわかった。
あまりに、一方的な物言いが癇に障ったのだ。
だから。
「悪路王、貴様はなぜ、俺をここに招いた」
問いかけに、跡部はくつりと喉の奥を鳴らした。
「理由を聞きたいのか?」
「当たり前だ。貴様には問い質したいことが山のようにある」
「くくっ。噂に違わず、真面目な奴」
赫い瞳。
それが、すうっと眇められる。
「おまえは『本気』になったことがあるか?」
「どういう意味だ?」
「言葉のままさ。北辰王は、地上に比類なき武人……だが、『本気』で戦える相手がどれほどいる?天軍を率いる将であるおまえは、人間を相手にするときは、常に力を制御してるはずだ。物足りなくはないか?」
「…………」
「俺は物足りない。最後に『本気』になったのなんか、もう忘れちまった。相手になりそうな奴を躍起になって探してたこともあるが、それすら飽いた。長い時間、時々手応えがあるやつには会ったが『本気』になることはなかった」
淡々と吐き出される言葉。
手塚にも覚えがないわけではない。
本気で戦える相手は少ない。
最後に本気になったのは、両親がまだ健在だった頃だ。
武人として、誰かと本気の真剣勝負がしたいと思う。
けれど、その相手がいない。
対戦するときは、真剣に臨むけれど、それが本気なのかといえば嘘だ。
自分を誤魔化してはいるが、常に相反する感情を持て余している。
「おまえもそうじゃねぇのか?」
見透かすように、悪路王は笑った。
「先代の北辰王の魂が砕けた光。それを見て俺は久しぶりに心が沸き立ったよ。忘れていた願望を思い出した。侑士を拾って、俺はますますおまえへの興味を深めたね。初代に匹敵すると言われる北辰王。そいつなら、俺を『本気』にさせてくれるだろうってな」
だから、剣を抜け、と跡部は続ける。
「断る、といったら?」
「おまえが、本気で俺にかかって来れるよう好き勝手にやらせてもらうだけさ。お前が護るべき人間どもには、大層な災難になるだろうぜ」
「なぜ、天城を利用したり、五行の結界を穢すような真似をさせた」
「……退屈しのぎと、おまえをはかるため。妖力にも目覚めることが出来てよかったじゃないか」
にやり、と告げられた台詞に、眦が微かに釣り上がった。
「五行の結界に関しては、半分はお前の思ってるとおりだ」
「俺から、私官を引き離す、ということか?」
「まぁな。あとの半分は、侑士にそれができるか見てみたかった。目覚めた力を、自分のものにしているかの試験でもあったわけだ。あれは、面白い素材だ。鍛えれば、更に俺を退屈させないと思った。そのために、おまえには出汁になってもらった」
くつくつと、まるで可愛がっている動物のことでも話すように。
「あいつの憎悪や劣等感は、俺には心地いいからな」
「弟は、おまえの玩具ではあるまい」
「玩具さ。あれは、俺が拾った、俺の所有物だ」
理解が出来ない。
自分には半分鬼の血が流れていて、その性も受け継いでいる自覚はあるが、それでも生粋の鬼の言葉は理解に苦しむ。
まるっきり価値観が違うのだ。
溜息をついて、手塚は七星剣を抜いた。
そして切っ先を、美貌の鬼の喉下に突きつける。
「俺が勝てば弟をおまえの支配から解放するか?」
「しねぇよ。だいたいあいつの名は俺がつけたんだ。名づける、ということがどういう意味かわかってるだろ?名は呪だ。侑士は、たとえ俺が死んでも、俺の支配から逃れることはできねぇよ。これは、神も鬼も人も関係ねぇ。共通の『理』って奴だ」
それに、と跡部は可笑しそうに肩を揺らした。
「その賭けに俺が乗ったとしても、あいつはしたがわねぇよ。誰よりもおまえを憎んでいるんだからな」
わかっていた。
けれども、共鳴したときに感じた、弟の支配への反発……それが引っかかっていたから。
どうしても、口を突いて出てしまったに過ぎない。
もしその支配から、逃れることを望むなら。
それは弟自身の手でなされなくてはならない。
手塚は跡部の喉元から切っ先を離し、改めて剣を構えなおした。
それを見て取って、美貌の鬼は楽しげな表情で、自らも太刀を抜いた。
黒い刀身。
影から引き抜いたような……影そのものであるような。
美しいことは美しい。
けれども、ぞっとするほど禍々しい。
まるで、目の前の男そのもの。
「?」
手塚は、七星剣に視線をやった。
月光を凝ったような、白銀の刀身が震えている。
ぱちぱちと、静電気のようなものを纏って。
「ほぅ……その剣は、覚えてるみてぇだな」
「なに?」
「この太刀はな。初代北辰王に滅せられた、混沌の邪神・蚩尤が鍛えたもの。この太刀を使いこなす者を真なる悪路王と言う。こっちも覚えてるみてぇだぜ。かつて烈しく打ち合った記憶をな……」
本気で来い、と赫い瞳が輝いている。
「俺としてはおまえを殺す気はねぇが、ついうっかりってこともある。せいぜい気をつけるんだな」
構えたと思った瞬間には、悪路王の姿が消えた。
とっさに身体が反応して、辛うじて受け止める。
(……速い)
さすが悪路王と言うべきか。
剣技のほうも、恐ろしく強そうだ。
「転移術なんかの小細工はしねぇ。全力でいくぜ」
「受けて立とう」
受け止めた剣を更に弾いて、後方に間合いを取る。
そうして間髪を入れずに突進した。
神剣と魔剣。
白銀の刃と、漆黒の刃が、打ち合うたびに稲妻が生まれた。
七星剣は神気を迸らせ、蚩尤の太刀は妖力を纏う。
常人であれば、その場にいられないほどの、凄まじい力のぶつかり合いだった。
「くっ。これでも気を遣ってやったんだぜ。人界では、全開の力をぶつけ合えば、怪我人が出るくらいじゃすまねぇからな」
「鬼の中の鬼が、そんなことに気を遣うのか?」
「別に俺はかまわねぇよ。破壊行為も、殺戮行為も飽きるほどしてきたんだからな。俺は、ただ、本気でやりあいたいだけさ。だが、おまえは、天の代理人だ。気になって、本気にはなれないだろ」
それじゃ、つまんねぇんだよ……と、悪路王は言った。
「じゃあ、そろそろ本気で行くぜ」
瞳が赫く輝く。
太刀をもつ、跡部の手が閃いた。
すると、剣圧で妖気を孕んだ風が起きる。
その風を断つために、剣を上段から振り下ろしたのだが。
「くっ」
勢いを殺しきれず、左腕の付け根の辺りを掠った。
掠っただけなのだが……
布が裂け、骨が露出するほどぱっくりと傷口が口を開ける。
大量の血が溢れ、服に染み、腕を伝い落ちて。
「言ったろ?うっかりしてると死ぬぜ?」
血の香気が立ち込めて、生粋の鬼の瞳が、爛々と耀きだす。
残酷な笑みを、薄く形の良い唇に刻んで。
跡部は自分を殺すつもりはないといった。
けれど、殺したところで、なんら痛痒に感じないだろう。
喜々とした雰囲気が、それを物語っている。
まずいことに利き腕だった。
柄が血で滑ることを懸念して、持ち替えようとした、そのとき。
音が、聞こえた。
魂に響く、涼やかな音色。
対の神器・七星剣を通じて。
あたたかな、癒しの力が、伝わってくる。
『国光』
愛しい声が、耳のすぐ傍で、名を呼んだ気がした。
気のせいではない。
これは、半身の心。
彼女が自分を呼んでいる心。
北辰王と加護女の間に存在する、絆の共有。
リョーマが呼んでいる。
宮城から突然消えたことで、皆に心配をかけているかもしれない。
一刻も早く、戻らねば。
「生憎と、うっかりで失っていい命ではないのでな。こちらも全力で行かせてもらうぞ」
ゆらりと。
全身に満ちていく己の力。
神気と鬼気が、溶け合うような感覚。
両の瞳が、熱く燃える。
構えた剣の刀身に映る瞳の色。
口角が、僅かに持ち上がる。
闇色でもなく。
凶眼の赫でもなく。
炎のように揺らめく、朱金をそこに見出して。
手塚は油断なく、剣を構えなおした。
続
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