作品
十一章 梅信月・拾壱
手塚が帰還したのは、宮城から気配が消えて、二日後のことだった。
袍のあちこちは破け、大半に血が滲み……
まさに満身創痍という有様で。
水晶宮の中庭に、倒れていたのだ。
怪我だけではない。
体力も、気力も消耗していて、不二ですらこんなに疲弊しきった手塚はみたことないと言い切ったほどに。
私室に運び込み、リョーマは不二と二人で、必至に介抱したのだ。
少しは自分の送った癒しの力が、ちゃんと伝わっていたようだったけれど、五行の流れを支えながら、それをするには未熟すぎて……
実際、常人であれば生きているのが不思議なほどの怪我だった。
鬼人の強靭な肉体が、彼の生命力を繋いだと言える。
星占に現れた凶兆とは、すなわち北辰王の生死に差し迫る事態を示していたのだ。
外的な傷を癒しても、手塚が目覚めるまで、それから更に二日を要した。
その間、式神さえも含めて、てんてこ舞いの有様だったのだ。
リョーマは、変わらず五行を支えつつ、手塚の看病をし、天領に召喚されて以来、もっとも多忙な日々を過ごした。
「ただいま、国光」
ひょっこりと衝立の陰から顔を覗かせると、ベッドの上で間から奏上された書簡に目を通していた恋人が、お帰り……と微笑む。
静養が必要と判断された彼は、少しずつ仕事を再開したものの、いまだベッドの住人として一日の大半を過ごしている。
『即位してからというもの、全力疾走できたんだから、少しは休めって言う天帝の思し召しだよ』
手塚が昏々と眠り続けている間は、とても心配そうにしていたのに、目覚めた途端いつもの口調で、不二はしっかりとリョーマに監視を言いつけていって。
おかげで、鑑月はいまだに手塚の影武者のままだ。
「なんだか、少し、変な気分だな」
「なにが?」
「この間までと、立場が逆転してる」
言われてみればそうだ。
確かにそう思うと、くすぐったいけど、でもいい感じ。
「いいじゃない。今後、こんなことってあるかどうかわからないんだから、貴重な経験だと思えば」
椅子を引き寄せて座りながらそう言うと、手塚も違いないと笑った。
「そういえば、聞いたか?」
「なにを?」
「大石たちだか、あと五日ほどで戻ってくるらしい」
「本当?」
「あぁ」
「やっと、みんな揃うんだね。良かった」
結界の修復は思ったよりも早かった。
こちらの状況を伝えてからというもの、実際彼らもとても心配していたから、相当頑張ったのかもしれない。
「あぁ、おまえの大任もあと少しだ」
「うん!」
気を抜かないで頑張る、と張り切って言うと、恋人は表情を和らげた。
そして指先でそっと、頬を慰撫される。
「少し痩せたな」
「そ?」
自覚はしていないけれど。
彼の案じるような眼差しに、リョーマは勝気に微笑んだ。
「大丈夫だって。食欲はちゃんとあるし、すぐに元に戻るよ。俺のことより、国光だよ。みんなが帰ってくる頃までには、完全復帰してないと」
「そうだな」
あれから。
一連のことに関して、何度か話し合い、その全貌は見えた。
退屈だから。
本気で勝負がしたいから。
そんな理由で。
天城たちを利用し、挙句の果てに涼華は人形として死んでしまった。
いい感情を持っていなくても、その扱いはやっぱり酷いもので憤りを覚える。
五行の結界を壊したことだって。
死者は出なかったけど、怪我人はたくさん出て、五行の気の乱れによって起きた天災で、住む家を失ったり、田畑が駄目になったりと、被害は甚大だった。
確かに、真の悪路王と言う存在であることを考えれば、犠牲は少なくてすんだけど。
価値観が大きく違う。
そういう種なのだと思っても、その感覚を理解したいとは思わなかった。
手塚の弟のことにしたって。
絶対的に支配して、巧みに彼のコンプレックスを抱いている部分を刺激するように『駒』として動かして。
その感情を、悪路王は楽しんでいたとしか思えない。
悪路王の支配は、彼が飽きたとしても、寿命が尽きるまで消えたりしないのだ。
ひょっとしたら、悪路王は、手塚の弟が完全に壊れてしまうのを待っているのかもしれない。
彼が何かを壊すのではなく。
壊したいと欲する、彼自身の願いで、彼が壊れていくのを。
そう分析したのは、恋人だ。
『鬼と人のそれは違う。ましてや、鬼の中の鬼。跡部は跡部なりに、弟のことを大事に思っているのだろう』
どこか苦い表情で。
手塚の弟……彼のことは、結局、みんなには話さないままだ。
鈴鹿御前が、ずっと胸に秘めてきた禁忌。
このまま、そっとしておくのがいいだろうと。
二人で、その秘密を分け合うことにした。
リョーマは思うのだ。
万物の力は、代々の加護女に受け継がれているもの。
だとしたら、他にも連綿と受け継がれているなにかがあるかもしれない。
たとえば、残留思念のようなもの。
あの夢は。
鈴鹿御前の罪悪感と、哀しみがリョーマを導いたものではないかと、そう思うのだ。
子を捨てた罪悪感が、罪をリョーマの夢という形で告発し。
その哀しみが、夢見たリョーマの目を目隠しした。
臨月の胎を優しく撫でながら、悔しさに一人泣く、鈴鹿御前の哀しみが、胸に残っている。
だから。
これから先、何があるかわからないけれど、今は秘密にしておこうと願う。
リョーマは、年上の恋人の顔をじっと見つめた。
まだ少し、疲労の色はあるけれど、それでも随分顔色が良くなったことにほっとする。
普通の人間なら、死んでいてもおかしくはなかった。
それを思うとぞっとして。
いま手塚が目の前にいてくれること、それがとても嬉しい。
世界中のすべてに感謝したいくらい。
「国光、そっち行ってもいい?」
「あぁ」
わざわざ許可を取るまでもない、という風に微笑まれて。
リョーマは恋人の寝台に腰掛け、すでに傷は完治している胸元に頬を寄せた。
大きな手が、背中を優しく撫でてくれる。
伝わってくる心臓の音。
とても安心する。
「国光」
「ん?」
「早く春が来るといいね。そしたら、みんなで、お花見しよう」
早く暖かくなればいい。
春が来ればいい。
出会った季節がまた巡ってきて。
そうしてまた、新しい時間を重ねていきたいから。
「そうだな。それもいいだろう」
ゆったりと優しく、どこか切なそうな表情で。
恋人の唇が瞼の上に触れるのを、リョーマは微笑んで受け入れた。
終幕・十二章へ続く
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