作品
十二章 桃弧月・壱
その城は、いつもと変わりなかった。
耳が痛くなるくらいの静寂と、猥雑なざわめきが同居する場所。
此岸でも彼岸でもない。
混沌と呼ばれるその場所は。
「大丈夫なんか?」
眼鏡を掛けた長身の青年が、玉座に億劫そうに腰掛けている主にそう問うた。
鬼の中の鬼。
忍足が知る中で、最も美しく、禍々しいその鬼は、薄い唇を笑みに形作る。
「くく……まさか心配してんのか?」
「せやない。ただ、あまりに無様な格好やさかいな」
「無様……無様ね。はははははっ」
いつもの皮肉に満ちた笑いではない、心底おかしそうに声を上げて笑う跡部の姿に、一瞬忍足は呆然とした。
これまでに、そんな彼は見たことがなかったのだ。
片手で目元を覆い、涙さえ浮かべているような……
震わせている肩。
目を覆っていないほうの腕は……付け根から先が失われている。
「確かに無様だな。不覚だったと思うぜ。神剣で切られたから、いまだに切り口が疼きやがるし、再生にも時間がかかりそうだ。でも、まぁ……痛みなんて感じたのは、気が遠くなるくらい久しぶりだ。それさえも心地いい」
くつくつと、笑う。
その表情が、忍足の癇に障った。
「……なんだ、拗ねてんのか?言っただろ、おまえからその感情を失わせるわけにはいかねぇってな」
北辰王とやり合って、すっきりされたらつまらねぇんだよ。
主は、面白そうに言った。
けれど、そうじゃない、と忍足は漠然と感じていた。
北辰王と、彼が大切にしているものを壊せなかったから、この苛立ちを感じているのではない。
苛立つのは……
(……こいつが、北辰王を認めてるのが気に入らんのや)
自分は、跡部にとっては所有物。
従者や、下僕ですらない。
飽きたら捨てる、物と一緒。
それなのに、片割れは、初めから対等……ひょっとしたらそれ以上の存在として、この主の中で認識されているのだ。
自分では、この鬼の中の鬼と互角に剣を交えることは出来ないだろう。
一太刀だって浴びせられるか……
いかに跡部の血を受けたとしても。
あの兄に比べて、自分は劣っているのだ。
それを実感せざるを得ない。
どうしてこうも違うのだろう。
同じ血、同じ魂を分けて生まれてきたというのに。
ぎり、と奥歯を噛み締める。
ふつり……と、腹の底から沸き上がる感情。
(……いつまでも、玩具やなんて思わせへん。俺は俺やと、思い知らせたる)
この高慢で、気紛れな主に。
そうでなければ、何も始められない気がする。
なぜなら自分は。
この主に出会い、拾われて。
生まれたのだと、気付いたから。
それまでは、卵の生命だった。
空舟に流され、全てを閉ざして。
『悔しくはないのか?』
その言葉で、殻に皹が入り、孵った生命。
だからこそ、この主に自分を認めさせなくては。
「北辰王のことは、いまはええねん」
「ん?」
「今あいつの全てを壊しても、達成感なんぞあらへんねや。気が済むはずがない。それは、俺が自由を手に入れてからや。何者にも束縛されん自由を手に入れて。全てはそれからやねん」
赫い瞳を睨み据えると、彼は軽く目を眇めて見せた。
駄々っ子を往なすように。
「ほう、それで?」
「おまえの支配を断ち切って見せる。おまえを倒して……」
「…………やってみろ。その反発も、俺には心地いい。おまえはただ、俺を楽しませればいいんだから」
まだ、跡部の中では、ただの玩具。
けれど、必ずいつか、支配の鎖を断ち切ってこの鬼の中の鬼に自分という存在を認めさせる。
禍々しい赫が、楽しげに瞬いて。
混沌の城には、密やかな笑い声が、響いた。
続
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