作品
外伝 吾亦紅
夏の気配が過ぎて、ひらりひらりと秋が舞い降りてきた頃。
天領国は、遥か上空に威容を顕す紫電宮。
その内宮の一角。
秋の彩が目にも美しい庭園で、世界の要たる当代の北辰王と加護女の二人が、優雅な午後のお茶を楽しんでいた。
東屋の椅子に腰掛け、二人で向かい合って。
卓の上には、河村手製のお茶請け菓子。
今日のおやつは月餅だ。
リョーマは、籠に盛られたそれに早速手を伸ばす。
一口齧ると、自然と笑顔になる。
年上の恋人が、それを嬉しそうに見つめていた。
「美味いか?」
「うんっ」
力一杯頷く。
皮はしっとりとパリパリの中間の歯ざわりで香ばしく、パイのように『層』を作っている。
そして、どんな手法を使っているのかはわからないけれど、層と層の間には蜂蜜が練りこまれていて、それがまた美味しい。
それだけでも充分美味しいのに。
中の餡は、秋の味覚。
栗を裏漉して滑らかにした、栗餡だった。
素材の味を良く活かしていて、皮に練りこまれた蜂蜜と餡が口の中で混ざり、絶妙な甘さが口の中いっぱいに広がるのだ。
「河村さんっては、天才だよー」
「あぁ。この月餅は、河村の作る菓子の中でも特に美味いな。西州にこの人ありと言われた父上が得意にしていたものらしい」
「へぇ」
河村の父は、名料理人として、彼の故郷では知らない者はいないほどだったと、リョーマも聞いている。
「この皮の作り方は、秘中の秘、だそうだ」
手塚は、特に甘いものが苦手というわけではないが、進んで食べるということもあまりしない。
が、河村の作ったものだけは、常になく口に運んで楽しんだ。
春先に不二や菊丸と共に採取して、作った野草茶で喉を潤しながら。
和やかなひとときを、大好きな手塚と楽しむのは、なににも勝る贅沢だ。
他愛のないおしゃべりをして。
……といっても、殆どリョーマが一方的に話をして、手塚はときおり相槌を打つだけなのだけれど。
恋人の目がとても優しくこちらを見つめているから、それで充分。
「それでね……あ……」
「リョーマ?」
話の途中で、リョーマは視界の端に映ったものに気を取られた。
訝しむ手塚に、微かに笑ってからリョーマは東屋の低い段を降りて、『それ』を手折った。
緑の茎の先に、赤紫っぽい楕円形のかたまりがついている。
まるでマッチ棒みたいに。
素朴で、可憐な秋の花。
リョーマにとっては、とても懐かしい記憶を呼び覚ます。
「地楡(じゆ)の花か?これがどうした?」
いつの間にか恋人は傍らに来ていて、長身をわずかに屈め、リョーマの手元を覗き込んでいた。
「天領では地楡って言うの、これ?」
「あぁ、根が血止めなどの薬にもなる」
「あっち……日本のほうだけどね。日本では、この花のこと、吾亦紅(われもこう)って言うんだよ」
言いながら、恋人の手を取って手のひらに、漢字を書いてやった。
漢字は苦手で、こちらに来てからも苦労しているけれど、この花の名前だけはちゃんと覚えている。
「吾も亦(また)、紅なり……か。なかなか詩的な名だな」
「ふーん、国光はそんな風に思うんだ。それもかっこいいね」
「俺は……ということは、誰かが別の感想を持っていた、ということか?」
「うん、母さんがね」
「…………そうか」
やや間をおいて、頷いた手塚の目は慈しみに満ちていた。
リョーマが天領に召喚されて、二度目の秋。
彼の中に染みのようにあった罪悪感は、リョーマを守るのだ、という優しい意志へと今は姿を変えているのが見て取れて、それが嬉しい。
元の世界の話をしても、両親の話をしても、恋人の端整な顔に翳りは見られなくなっていた。
「リョーマの母上は、なんと仰っていたんだ?」
「『吾亦紅』は、『我も恋う』って聞こえるから、少し切ない感じがするねって。その切ない響きが、綺麗だから、母さんはこの花が好きだって言ってた」
我も恋う。
そう、改めて手塚の手のひらに書き、純粋な闇を凝ったように美しい漆黒の瞳をじっと見上げ、小さく笑った。
平仮名は、わからないながらもリョーマの言葉と『我・恋』という字から意味を汲み取った彼は、染み入るような笑みを見せる。
甘い眼差しは、胸の奥の……心がある場所をきゅっと絞った。
「確かに、この花には……リョーマの母上が仰ったような意味合いのほうが似合うのかもしれないな。この花の姿は、控えめで、それでいて健気だから……」
自己主張するでなく、ひっそりと秋という季節に色を添える。
そんな風情が。
「そうだね」
切ないから、愛しい。
誰もが胸に抱く想いのように。
視線を見交わし、微笑んで。
リョーマは、そっと触れてくる唇に、従順に瞼を下ろした。
終幕
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