作品
星に願いを
日曜日の部活。
全国大会に向け、日々邁進している青学テニス部の練習はますます厳しさを増している。
日曜だろうとなんだろうと例外はないが、その日部室を出た時間はいつもよりずっと遅かった。
表向きの理由はミーティング。
現実には、菊丸たちが言い出しっぺの七夕パーティーだ。
レギュラー+αのいつもの面々。
河村の父親が好意で出前してくれた寿司と、顧問の竜崎が差し入れてくれた手作りケーキ。各々が持ち寄った菓子や飲み物で、必勝祈願を名目に手塚に『是』と言わせて。
桃城が持ってきた笹(出所不明でみなが首を捻ったが)に、短冊を飾り付けてささやかに七夕を楽しんだ。
だからいつもより遅い帰り道。
すっかり日の暮れたその道をリョーマは恋人と連れ立って歩いていたのだが、家の近くまで来てふと足を止めた。
「どうした、越前?」
訝しんでかけられた声に、天を仰ぎ見ていた視線を彼に合わせる。
点滅を繰り返す街灯に、薄暗く照らされた端正な顔。
もったいないくらい表情が乏しいことこの上ないのだけれど、今は『部長』の顔ではなくリョーマの『恋人』の顔をしているのに満足してにっこり笑いかけた。
「んー、あまり星が見えないなと思って」
「まぁ……東京のど真ん中では仕方ないだろうな。少しばかり曇りがちだし」
動く気配がないのを察してか、彼……手塚はもと来た道を少し戻ってリョーマの傍らに立った。
「天の川……綺麗な言葉だよね。俺、日本語のそういうトコ好きだよ。見てみたかったのに」
部長は見たことあるの?と問えば、彼は頷いた。
「あぁ。山に登ったときにな。大気の綺麗なところに行けば、それこそ星が連なって川のように見える……まさに満天の星、というやつで一度見たら忘れられない」
「ふーん。それならやっぱりミルキーウェイより、天の川の方が相応しいね」
「そうだな……越前は『七夕』は初めてか?」
「うん。向こうにいたとき話に聞いたくらいかな。あっちでは七月って言ったら独立記念日だしね」
「それを菊丸たちに話したか?」
「うん。英二先輩達がもうすぐ七夕だなって言ってきたときに」
そう言うと、手塚は喉の奥で低く笑った。
その理由がわからなくてリョーマは首を傾げる。
「今日のこと……不二と菊丸が必勝祈願ともう一つ、アメリカ育ちのおまえに日本の風情を経験させてやろうと直談判に来てな。普段なら許可しないが、あいつらは俺がおまえの名前を出されると弱いということをよく心得てるみたいだ」
困ったような、それでいて照れているような表情で、そんなことを言われたので……リョーマとしては紅くなるしかない。
けれどそれを知られるのはなんだか悔しい気がしたので。
「俺ってけっこう愛されてるんだ?」
勝気に言い放つと、たった二つしか違わないのにとても大人びている恋人は、唇の端に人の悪い笑みを刻んだ。
「なんだ、知らなかったのか?」
「~~~っっ」
紅くなるだけでは済まず身体中の熱が一気に跳ね上がったのを感じる。
「知らないよっ。努力が足んないんじゃないっ」
「……そうか。それはすまなかったな」
くつくつと笑うのも憎らしい。
でも、それがまたかっこよくてどきどきするのだから手に負えないのだ。
「それで……どうだった?初めての七夕は?」
「んー。みんなで騒ぐのは悪くないよ。けっこう面白かった。願い事を書いた短冊を笹に吊るしたりする風習向こうにはなかったし。近いのはクリスマスツリーにオーナーメントを飾るってのだけど、それとも全然違う。『フゼイ』ってのがあっていいんじゃない?でも……」
「でも?」
「織姫と彦星?神様の罰で年に一度しか会えないって言うけど、それに黙って従ってるのってすごくまどろっこしい。そもそもそんな風にならないようにやることはちゃんとやっときゃよかったのに。恋に目が眩んだってのは言い訳だよね」
「手厳しいな」
「だってそうじゃん。本当に好きな人と一緒にいたいなら、周りに文句言わせないための努力は基本だよ。それを放り出したなら何を言っても言い訳だもん」
口調が辛辣になってしまうのは、自分も恋をしているから。
誰かを好きな気持ちをこの心に持っているから。
手塚を好きな気持ち。
彼と一緒にいること。
それはリョーマの誇りだ。
だから誰にも文句なんて言わせない。
何かを言い訳にすることなんてしたくない。
ライバルで、あらゆる意味においてパートナー。
そんな風になれる誰かとの出会いは、この先きっとないと思えるから。
「確かにそうだな。織姫と彦星は互いに夢中になるあまり、それ以外の全てに怠惰になっていた。恋に溺れるというのがわからないわけじゃないが……罰せられて当然だと俺も思う」
生真面目な手塚らしい物言いだと、笑いながらリョーマは聞き捨てならない一言に、その部分を混ぜっ返す。
「ふーん、あんたでも『恋に溺れる』気持ちがわかるんだ?」
「まぁな。何しろ現在進行形で実感中だ。そういうおまえは、日々努力とやらをしてるのか?」
この恋人は本当に侮れない。
惚れた弱味の扱い方を心得ているとしか思えないから。
「してるに決まってるでしょ。でなきゃここにいないよ」
綱渡りのような駆け引き。
言葉遊び。
ぞくぞくする。
ますます、好きになる。
だからそれ以上に、手塚に好きになってもらわなくては困るのだ。
一筋縄ではいかない人だから、リョーマなりにその努力は半端なものではない。
それを察することもできない鈍感に人に興味はないよ、という意味を込めて上目遣いで見つめれば、彼は軽く肩を竦めて見せた。
「でもさ、日本人って面白いね。短冊に限ったことじゃないけど、絵馬とかにも願いごとを書く習慣があるじゃない?それもかなり具体的なの。願をかけるって言うんだっけ?」
あちらではあまり聞かない風習だ。
祈ったり、懺悔したりというのは馴染みがあるが、ごく個人的且つ具体的な願い事を神様にするなんて。
しかも叶えて欲しい願い毎に神様がいる。
唯一神教であるキリスト教圏で育ったリョーマには、東洋的とも言える信仰のしかたは不思議でしかない。
家は寺でも、育った環境……リョーマ自身は違うが周囲には敬虔なキリスト教徒が多かったこともあってそう思う。
「そりゃ、不治の病が治るように、とか世界が平和になりますように、とか個人の力じゃどうしようもないことを願うのはわかるんだ。でも恋愛成就とか、受験に合格しますようになんてのは努力の結果で、神様に叶えて貰うものじゃないと思うんだよね」
それなら『努力』という言葉は無用になってしまう。
仮に成就せずに恨まれたとしたら神様も立つ瀬がないだろう、それでは。
「その意見にも概ね賛成だ。だが、人間は案外自分の望みの本当なところを知らなかったりするから、改めて書いてみることで思い知ったり、神様に願をかけるという形式を借りて、発破をかけたり、意気込みを再確認したり、努力を決意させたり……そう意味もあるんじゃないかと思うことがある」
確かに手塚の言うような理由なら、リョーマも納得できた。
思うだけじゃ踏ん切りがつかないこともたくさんあると思うから。
言葉にして、あるいは文字にして、神様という証人を立てる。
「そう言えばあんた短冊に『全国制覇』とか書いてたよね。あんたがそんなこと神頼みなんておかしいって思ってたけど今言った意味なら理解できる」
「今の俺たちなら不可能ではないと思うが?」
「まーね。それくらい楽しませてもらわないと、青学にきた意味ないし」
「おまえは『強い奴と戦えますように』だったか」
「それは神頼みの範疇でしょ?誰と戦うか、なんて『運』だし、決定権は俺にあるわけじゃないもん…………叶えたい願いは他にもあるけど、それは神様にお願いすることじゃないから」
「ほう?」
「ものすごく個人的なこと。手塚国光を好きな越前リョーマとしては、あんたを呆れさせない自分でいたい。そのための努力は惜しまないよ。なるべく長い間、できるならずっとあんたの隣を独り占めしたいからね」
悪戯っぽい口調に紛らして、素直な気持ちを口にするのもたまには大切なこと。
恋に溺れ、星の大河を挟んで年に一度しか会えなくなった恋人同士を戒めにして。
あんたはどうなの?
見つめることで問い掛ければ、彼は一瞬目を眇めて唇を開いた。
「……手塚国光としての願いは、おまえを……『越前リョーマ』を誰よりも近い場所で見続けることだ。これも神頼みすることじゃない。その場所を確保維持するために必要なのは、俺の努力、だな」
視線を合わせ、強気な眼差しで笑い合う。
すいっと、屈み込んできた長身に応えるように瞼を降ろすと、そっと唇に触れる柔らかい感触。
星に願うのではなく、互いに誓い合う儀式にも似た一瞬のキス。
離れた後に、手塚がぽつりと呟いた。
「いつか見に行くか。本物の、天の川」
「連れてってくれるの?」
「あぁ」
「ふたりで?」
「ふたりで」
「約束だよ」
「あぁ、必ず」
了承の言葉と共に再び降りてきた唇に、リョーマは従順に瞼を下ろしたのだった。
END
タグ:[短編]