作品
VIVID
象牙の肌に、鮮やかな真紅。
そのコントラストに手塚は見とれた。
そんな場合ではないと、頭ではわかっている。
けれどもその光景は、ぞっとするほど美しくて、目を奪われずにはいられない。
異例の一年レギュラー・越前リョーマの記念すべきシングル公式戦デビュー。
その試合の最中……リョーマの手を離れたラケットが破損して、持ち主の瞼を抉った。
眼球までは傷ついていなかったが、溢れる血は止まらない。
綺麗に整ったリョーマの顔の半分を血が伝い落ちる。
怪我をした本人の全く意に介していない表情が、非現実的な空気すら作っていた。
周囲が心配する中、それでも彼の不敵さはちっとも失われていない。
口の端に笑みさえ湛え、挑発する姿勢を崩さない。
心配する気持ちは、もちろん手塚の中にもあった。
無理は決してさせたくはない。
部長という立場からすれば、棄権させるのが一番妥当だろう。
それなのに……
「10分だ!10分で決着がつかなければ棄権させるぞ。いいな」
タイム・リミット付きとはいえ試合の続行を認めてしまった。
大石が信じられないような顔で見ていたのは気付いたけれど、その視線から逃れるようにリョーマにラケットを差し出した。
手塚の決断も、リョーマの意志も変わらないことを悟ってか心配性の大石も渋々折れる。
自分の手からラケットを受け取ったリョーマは、ふとこちらを見上げ、片目だけで小さく笑った。
どこまでも勝気な、その眼差し。
しかし、次の瞬間には彼の視線はコートに向かっている。
ハンデをものともしない余裕の態度で、不動峰の選手に向き合うリョーマの姿に手塚は彼の勝利を確信した。
自分の出番はきっとない。
「珍しいね」
ベンチに腰掛けたとき、不二がそう声をかけてくる。
そちらを見なくてもわかる。
彼がどんな顔をしているのか。
面白い玩具でも見つけたような、子供みたいな顔をしているに違いないのだ。
「君のことだから、有無を言わさず棄権させると思ったのに」
「…………」
「そんなに見ていたかったんだ」
無言で睨み付けると、案の定楽しくて仕方がないといった態の不二の表情とぶつかる。
チームメイトとしてはこの上なく頼りになる存在だが、不二のこういう全てを見透かしているようなところは苦手だ。
彼の言葉に答えることはせず、手塚は再びコートに……否、リョーマに視線を戻す。
見ていたかった……そう。その通りだ。
いつだって見ていたい。
越前リョーマという存在を一瞬でも見失いたくない。
生まれて初めて、そう思った。
あの勝気な眼差し。
初めて彼と出会った時、すれ違いざまに彼が寄越したその眼差しを受け止めた瞬間のことを手塚は鮮明に覚えている。
心が震えた。
そうとしか表現できない感覚。
幼い頃から、滅多なことで心を動かすことなどなかった。
唯一熱中したのがテニスで、それ以外に執着や衝動という言葉とは無縁の生活を送っていたのだ。
これからもそうなのだと、漠然と思っていた。
特定の存在に心を傾ける日など来ないのだろうと……
自分は、そういう風にどこか冷たいところがある人間。
そう思っていたのに。
リョーマの、あの一瞬の眼差しが、手塚の心を弾いた。
一番深くて、冷たい場所に火を付けた。
そして、どこまでも現実主義者の自分にそれまでちっとも信じていなかった『運命』という言葉を感じさせたただ一人の存在。
出会って以来、毎日、毎時間、一瞬ごとに彼に惹かれ奪われつづけている自分の心。
実際平静を装うだけで精一杯。
雑事に追われ、ただでさえリョーマと接する機会は少ない。
桃城や菊丸を筆頭として、一癖も二癖もあるレギュラーメンバーに可愛がられ構われつづけている彼を遠くから見ているしかないのが現状。
妬け付くような重苦しさが、彼を独占したい気持ちの表れであると気付いたのはいつのことだろう。
知りたいと願う。
越前リョーマという存在の全て。
余すところなど隙間もないくらいに、自分のものにしてしまいたい。
自分が彼だけを見ているように、彼にも自分だけを見てほしい。
彼の心に誰より鮮やかに焼き付く存在になりたい。
いっそ魂に刻み込まれるくらいに。
自分のどこにそんな熱情が眠っていたのだろう。
片目などハンデにもならないと言いたげに、見事勝利を収めたリョーマに、内心苦笑する。
手塚を捕らえた勝気な瞳。
こちらをじっと見つめる彼が、手塚の言葉を欲しているように見えるのは都合のいい思い込みだろうか。
菊丸たちに労われているリョーマの元に近付き、決して周囲には悟らせないように、完全降伏の想いを込めて手塚は唇を開く。
「よくやったな。いい試合だった」
「ども」
存外嬉しそうに、けれど相変わらず生意気そうな笑顔で応じるリョーマに、釘を刺すことは忘れずに……
「だが、まずは病院だ。きちんと治療をしておかないと、万が一次の試合に差し支えるような状態になっては困るからな。竜崎先生」
「わかってるよ。ほら、リョーマ、ついといで」
「……うっす」
リョーマはちらと手塚に視線を寄越し、さっきとは打って変わった不満そうな雰囲気を漂わせながらも、渋々といった態で竜崎の後ろについていく。
「朴念仁」
ぼそりと背後で囁かれた言葉に、無表情のまま驚いて振り向けば、いつのまにか不二がそこに佇んでいた。
気配などかけらも感じさせずに。
「心配してるなら素直にそう言えばいいのに」
「……何が言いたい?」
「別に」
にっこり微笑む不二の真意は、全く読めない。
「まぁ、素直な手塚って言うのも不気味だけどね。あんまり苦労させちゃ駄目だよ」
さりげなく失礼なことを言って踵を返した不二に、手塚は眉間の皺の数を増やす。
いったい誰に苦労させているというのか。
この面々に囲まれて、むしろそう言いたいのは自分ではないだろうか。
溜息とともに思い出すのは、自分を翻弄してやまない子供のこと。
諦めるつもりなど毛頭ない。
あの眼差しを独り占めするために。
ほかの誰とも違う『特別』な存在として認識されることから始めよう。
越前リョーマ。
無遠慮なほど鮮やかに手塚の心に切り込んできた勝気な眼差し。
いずれは彼を手に入れる。
そのためならば、いくらでも策を労する、その覚悟。
全てはこれから始まるのだから。
久しく忘れかけていた、本気になることへの高揚感に手塚は胸を躍らせて……
唇の端、かすかに笑みを閃かせた。
END
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